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アジールと国家を読みながら

アジール三昧な日々でございます。
湘南のt-siteで網野善彦氏の本と一緒に買った伊藤正敏氏のアジールと国家。
どうやら2020年に発行されたばかりの本らしい。
アジールなんて1、2ヶ月前に知ったばかりの言葉だけど、今の時代と強く相似性のある刺激的な概念、歴史事象だと思う。コロナとペストくらいどんぴしゃりな感じ。
令和の時代にアジールの本なんて書いてくれるだけでありがたい、心から感謝だ。

まだアジールを説明できるほど掴めていない。
自己理解を深めるためにざっと思いつくままに書いてみよう。

中世の日本はレイヤードな世界観で、同一空間に違うシステムで生きている人々が混在していた。
大きく分けて公家、武家、寺社。その中で、宗教、神に従って生きている人々、文化経済に関わる人々は、武家の世界観の中から多かれ少なかれ外れて生きている存在だった。外れているというと、俗世離れしているように聞こえるけれど、文化経済の中心はその外れている存在たちだったし、国の法律があまねく広がっていない時代においての全体社会の法律は、宗教的な法が機能していたとするなら、むしろ外れているのは武家の方だったのかもしれない。
アジールは特に寺社が、もしくは寺社のパワーを手に入れようとした武家や公家がとった、見えないレイヤーを可視化する一つの方法だと思う。
中世日本のパワーの中心は呪術で、だからこそ、寺社はその中心だった。武家を中心とした勢力は、平安時代から戦国時代を経て、江戸で全国を治める法律機関になった。寺社のパワーは、実際的にも思想的にも解体させられて、世の中はレイヤードではなくなり、アジールも消失した。
江戸後期から明治には、パワーの中心は国の軍事力や経済力になり、鎮護的な国家神道が日本という統一国家像を作り出している。気がする。今も日本は江戸から生まれた統一国家という共同幻想が壊れないように息巻いている人々が多くいる、ような感じがする。

アジールとインターネットやブロックチェーンはおそらく近しいものがある。国家を超えて存在する。ビットコインや、GAFAMなどの企業。
ビットコインやGAFAMは、国家を超えた超国家を生み出すような、ある意味では統一国家の延長線上にも進んでいるし、アジールのようなレイヤードな世界観、分散した世界の方にも進んでいるように感じる。
なぜ呪術の時代は終わったのか。猫も杓子も呪術な世界になったのかもしれない。それによって、貨幣を刷りすぎて価値が喪失するように、呪術の価値が喪失したんだろうか。もしくは呪術が通じない異国のパワーに触れたからなんだろうか。

もはや直感としか言いようがないけど、経済のパワーが喪失とは言わないまでも、今までのようなパワーを持つ感じがしない。経済というよりは貨幣、貨幣を中心にした国家という感じなのかな。

呪術、経済と来て、今、そしてこれからは何がパワーを持つんだろう。
とここまで書いて、呪術→経済というのはちょっと違う気がしてきた。
呪術時代も経済は豊かに行われていたじゃん。どちらかと言うと呪術→科学なのかな。
うーん、ここら辺はちょっと難しい。曖昧にしたままで今日は終わりにしよう。

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