掃除とコミュニケーション
神社には樟(くすのき)というご神木がそびえ立っています。神主の毎朝の日課は、赤く染まる落ち葉を掃除すること。神主として大切にされている行が、掃除です。神様が住まう場である境内を清らかな空間として保つためにも、日課としてやるべきことであります。
おそらく、経済合理性を考えると、樟があることによって、掃除という「作業」が発生し、人件費が発生するという考えに行き着きますが、木を切り倒すことによって、人間の仕事を省力化することにつながります。
もちろん、ご神木を見れば、神様が宿る神聖な木であることは共通の認識としてあると思います。何百年と続く悠久の歴史において、季節の移り変わりともに、葉が次世代の養分として落ちていく。この景色は、樟というご神木が人間が生きる一生よりはるか長い時間あり続けます。
この景色に、神主という人が介在することで、樟と人の間に関係性が生まれ、そして人が人を思いやる会話が生まれるようになっているのだと思います。
毎朝掃除をしていると、近隣に住まいする方から「今日も大変だね」「ご苦労様です」とお声がけをしてもらいます。
当たり前のように感じる日常の会話であるが、実は一見非経済合理的であると現代社会では捉えられるであろう「落ち葉を掃除する」という行為が、神社と地域住民の皆さまとの縁をしっかりと結んでいるんですよね。
神社は、地域住民の支えがあって成り立っている場であるので、実は「樟というご神木」と「神主が掃除をする」ことには、深い意図があったのかもしれないと想像を膨らまれると、神社がより魅力的に感じるのかもしれませんね。
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