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「移動時間の効用」

陸路で国境を越えることはロマンだ。

ベトナム・カンボジア国境にあるモックバイ(Moc Bai)には地平線を前にうだる暑さを振り切る日本人旅行団がいた。

ホーチミン市から約70km。果てしなく続く悪路を前に、砂埃を舞い上げながらひたすらバスは進んでいく。熱帯モンスーン気候は年間を通して高温多湿なのが特徴だ。強い日差しと蒸し暑さでは、その場に立っているだけで汗が滴り体力が奪われる。雨季だからか、道路の両脇には一面に水田が広がり、放たれた水牛の姿が見られた。プノンペンまでは残り170kmだ。

勃興する熱きアジアを体感するには最適なコースだった。
ホーチミンから始まり、クチ、ミトーの王道観光コースを経て、陸路でカンボジアまでバスを走らせる。

「旅で重要なのは、目的地に到着することではなくて、到着するまでの過程である」と、どこかの誰かが言っていた。確かに移動時間に価値を見出すのは旅の健全な在り方である。

悲鳴を上げそうなエンジンと錆び付いたサスペンションを全身で感じながら、運転手は速度を落とすことなく、まるで楽しむかのようにギリギリのカーチェイスを繰り広げている。鈍重な足運びのトラックを追い越す度に、対向車線の車とは何度も衝突しそうになった。命がいくらあっても足りないとはこの事だろう。

道路は舗装されておらず、凸凹の衝撃は吸収されることなく座席に伝ってくる。街灯がないので夜には満天の星空に出会えるのであろう。必要以上に鳴り響くクラクションにも慣れ始めたとき、乗り心地は決して良いとは言えないが、この瞬間は記憶に残すべき大切な一コマであることを感じた。

開発進むビーチリゾートでもあるシアヌークヴィルに立ち寄った後、首都プノンペンでは孤児院へ寄付したお米で子供たちと一緒におにぎりを作った。現地の日本語学校では各テーマをもとに学生同士でグループディスカッションを行ったのも懐かしい。

悲しい過去を持つこの国の歴史に触れながら、さらにバスは走り続け、世界遺産アンコール遺跡群の都市シェムリアップ、ポルポト派史跡があるアンロンベン、タイとの国境に位置する世界遺産プレアヴィヒア寺院を巡った。

2週間をかけてカンボジアの大半を踏破したが、そのうち30時間弱はバスに揺られていただろう。

旅は移動と目的地での活動に二分され、移動は金銭的・時間的コストとして認知されている。
コロナで急速にオンライン化が普及したことにより、移動時間は“短縮・効率化”を目指し、失われかけている。どこでもドアのように自由に目的地に行けるようになり、実に便利な社会だ。

しかし、一旦立ち止まり考え直してみる。
移動時間がもたらす効用について。

沢木耕太郎は次の言葉を残している。

 >旅を描く紀行文に「移動」は必須の条件であるだろう。しかし、「移動」そのものが価値を持つ旅はさほど多くない。大事なのは「移動」によって巻き起こる「風」なのだ。いや、もっと正確に言えば、その「風」を受けて、自分の頬が感じる冷たさや暖かさを描くことなのだ。『旅する力─深夜特急ノート』新潮社(2008年)

初めて陸路で国境を越えたのは入社1年目の夏だった。
休暇をもらい、バンコクからクアラルンプールまで路線バスや夜行バスを乗り継ぎ、僅か5日間で走り抜けた。タイ側のハジャイから、マレーシア側のパダンブサールへ国境を抜けたときの記憶は正直あまり覚えていない。自らの両足で国をまたぐ高揚感と緊張感を抑えつつ、期待を膨らませ迎えた瞬間は、思った以上にあっさりと終了した。空路と違い、陸路での国境越えは手荷物検査もなく簡単なのだ。何かしらの幻想を抱いていたかもしれないが、実際に経験できたことは大きな財産となった。そして経験よりも重要な”未経験”という財産があったからこそ、ただ移動をすることを目的とした5日間が大切な時間となったのだ。

気がつけば、この仕事を始めて10年が経った。過去の旅には常に「風」が巻き起こっていただろう。これからもその「風」を感じ取りながら旅を作り上げていくのが、私の役目である。

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