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DEATH STRANDINGを体験し、少し人と繋がりたくなった

人生においては因果の縄を見つけることは難しい。
けれど今思い返すに、あのデス・ストランディングをプレイして得た喜ばしい体験と、私のその後の行動は無関係ではないような気がするのだ。

学業からも仕事からもドロップアウトしてから4年が過ぎた冬に、デス・ストランディングというゲームが発売した。
発売前のティザーで'繋がり'がメインテーマとして発表され、次に荷物の配達という非暴力的な行動がメインシステムだと発表された。
その頃には、人を倒すことを主目的としたゲームに忌避感が強かった私は、プレイ時の楽しみが削がれない為に、以降この作品の情報を遮断しコレクターズエディションを予約する程期待していた。
やがて訪れた発売日、開店時間を見計らって訪れた近所の電気量販店から特典が詰まった大きな荷物を自宅に運ぶ。
ディスクをPS4に入れプレイすると自分の予感は間違っていなかったと感じた。
メインストーリーを終えたのは、まだプレイヤー全体の数パーセントしかクリアしていない段階で、持て余していた時間の多くを費やした。
しかし、予感していなかった、じんわりと尚且つ心に残る情動はメインストーリー後に訪れた。
このゲームは、近未来の荒廃した北アメリカ大陸で、各地に点在する孤立したシェルター間を移動しながら、依頼された物資を運ぶことで、ストーリーが進む。
大地は荒れているので配達のルートを、崖に梯子をかけ舗装道路を作り、確保する。
そして自分が建設したインフラは他のプレイヤーと共有され、有用だと感じたらいいねボタンで評価することができる。
メインストーリークリア後は各地に残るサブクエストとしての配達依頼が課題となる。
サブクエストも全ての終わりが見えた頃、配達中に私は'自分の為に'河に橋をかけた。
その依頼を終えた頃、一つの通知が届いた。
自分が建設した橋がいいねされた通知。
じんわりと高揚した。
他者の役に立ったという嬉しさを、非現実であるゲームの体験を通じて実感した。
今から考えるに、自分だけの為に作った橋が他人の肯定を受けることは、下がりきっていた私の自尊心を多いに高めたのだろう。

その一ヶ月後、社会に慣れる為に行っていたボランティア活動の中で、興味のあった動画撮影と編集を始めた。
その一年後、募集に手を挙げ、初めて動画編集で報酬を頂く。
その五ヶ月後、効率化の為にプログラミングした動画編集ツールの拡張機能が初めて売れる。
その一年後、数学の家庭教師を頼まれ賃金を貰う。
その一ヶ月後、プログラミング教室のアルバイトを始め、久しぶりに給与を頂く。

デス・ストランディングからポジティブな心理的作用を受けた以降を振り返り、私が行動可能だった社会的活動に規則性を見る。
'自分の為に'作り、他者に評価される。そこに喜びを感じる。
自分の興味の為に動画を作り、肯定としての対価に喜ぶ。
自分の作業効率の為にプログラムを作り、肯定としての対価に喜ぶ。
自分の興味の為に育んだ知識を伝え、肯定としての対価に喜ぶ。
自分の為に作ったモノを交換することで、経済的繋がり以外に心理的な繋がりを感じられる。

日々が過ぎ、あの情動を分析できる程度に熱は冷めた。
しかし、あのデス・ストランディングから受け取ったものを忘れぬ内に、自分の為に記録する。
デス・ストランディングを体験し、私は他人と繋がることをほんのりと欲し、今緩やかに社会との繋がりを実感している。

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