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「パンデマニア」第4部 チャールズ・アイゼンスタイン

訳者より:スペイン風邪の例のように3年経てば沈静化するだろうと期待したパンデミックの終わりは逃げ水のように遠ざかり、社会は感染症対策が新しいノーマルとなった時代に変化しつつあるように見えます。気がついてみれば、それは私たちがこれまで当たり前と思っていた自由を抑圧する体制です。何がこの動きを操っているのか。私たちがそれに抗うにはどうすべきなのか。チャールズ・アイゼンスタインの「パンデマニア」シリーズ、今回は第4部。(第1部第2部第3部はこちら。)

パンデマニア 第4部

強情っぱりになる方法


チャールズ・アイゼンスタイン著
2022年7月25日

同意を拒む魂を制するのは非常に難しい。

アーシュラ・K・ル=グウィン

今年のはじめに、ビル・ゲイツが次のパンデミックを食い止める方法について本を出しました。彼の基本的な主張は、私たちが今回したのと同じことを、もっと徹底的に幅広く行うというものでした。そしてまた、一時的なコロナ政策の多くを常態化し、恒久的なバイオセキュリティー国家を作ります。

ここで私も次のパンデミックを避けるための原則をいくつか提示します。でも私はビル・ゲイツと同じ意味でこの言葉を使っているのではありません。私が言っているのはこの病気そのものを取り囲む社会政治的現象の全体です。つまり、私が防ぎたいのはまさにビル・ゲイツの提案していることです。

私は パンデマニアという言葉をより広い新型コロナの社会政治的側面を説明するのに使ってきました。そこにあるのは、ヒステリー、反対意見の迫害、検閲、義務化、プロパガンダ、腐敗した製薬業界と規制当局、社会の根本的な再構築、市民的自由の停止、医療ファシズムに向かう傾向などです。これらの素地となる条件はどれも実質的に変化していません。

腐敗した官僚や企業を告訴するとか、規制機関を改革するなどの実際問題には触れないでおきます。このような方策は重要ですが、それを暴くために研究者やジャーナリストが私などよりずっと良い仕事をしてくれています。私の役割は、そもそも大衆が権力の策謀にこれほど弱くなったことの素地となる条件に注目することです。

よく私は次のような批判を受けます。「チャールズ、あなたはあらゆる問題の本当の原因を見過ごしている。精神異常の邪悪な支配層が背後で全てを操っている。彼らを明るみに出して権力から引きずり下ろすまで、我々が自由を手にすることはない。」

ここで言っておかなければいけないことがありますが、それはこの批判が真実であってもなくても同じように重要です。どちらであっても私たちが問うべきは、私たちが彼らの虐待に屈しやすくなったのは何のせいなのかということです。結局のところ、彼らが超人的能力を持っているのではありません。もし彼らが本当に私たちを支配するなら、それは高いビルをひとっ飛びできるからではありません。私たちが黙って服従するから彼らは支配できるのです。もし彼らが私たちを支配していないなら、もしこの抑圧の根源がシステムと制度にあるのなら、そうです、それらもまた私たちの服従を使って支配するのです。どちらにしても、私たちの前にある問いは、どうすれば強情っぱりになれるかということです。

だからこそ、私たちを支配に弱くしている次に挙げるような精神的・社会的条件を乗り越えていかなければなりません。


1. 敵に対する執着

悪いことが起きたり国家(や地球)の健康状態が悪化したりすると、人々は非難すべき人や物を探すようになります。もし単独の犯人がいれば、問題の解決は簡単です。それが1つの理由となって、大衆はコロナと戦うため進んで不便と困難を耐え忍びました。(慢性疾患、質の悪い食事、運動不足の生活、環境中の有毒物質、薬物依存などによる)公衆衛生の一般的な危機とは違って、コロナには特定できる単独の原因がありました(というか、あるように見えました)。戦争の相手となるものが外部にあったのです。

コロナのパンデマニアは社会の緊張が高まり解体が加速していた時期に襲いました。それが果たした役割は、窮地に陥った社会の様々な厄介な問題を肩代わりするけ口でした。その結果、ほとんど安堵感といえるようなものをもたらしました。そう、それは脅威ではありますが、私たちが対策を持っている脅威だったのです。数多くの解決できない問題は、強烈なコントロールの処方箋によって解決できる問題に置き換わった、というか、置き換わったように見えました。そこにあった無意識の願望は、「コロナさえ克服できれば、私たちは再び健康を取り戻す」というものでした。

全体主義国家は国民を団結させるために外部の敵、つまりファシズム的な「我ら」を定義するための「彼ら」を必要とします。そして必ず、そのような社会は外部の映し鏡である内なる敵を作り出します。内なる敵の中に含まれるのは、反逆者や、異端者、第5列[敵を支持する集団]、共産党シンパ、戦争への真面目さが足りない人などです。今まで以上に厳しい社会統制の措置を取るための舞台が整い、反逆者は一掃され処罰されます。

コロナ反対者やワクチン未接種者の迫害と検閲は、「敵を見つけろ」という心のあり方から来るもので、それが権威主義的な政策に従うという考えを大衆に植え付けます。敵への執着は、大衆と同じように当局者をもウイルスその他の細菌に対する過剰な恐怖へと駆り立てますが、それと同時に外部的な単一の原因を持たないけれど健康に対する客観的にはより大きな脅威を過小評価します。この心のあり方が続く限り、常に私たちはパンデマニアに弱くなります。


2. 群衆倫理と集団形成

先に述べた内なる敵作りは、古代からある社会的なパターンを利用して行われますが、これを哲学者のルネ・ジラールは供犠の暴⼒と呼びました。緊張と紛争が高まる時代になると、往々にして社会は非人間化された部分集団に敵対し、生贄いけにえを殺すことによって新たな一体感を作り出します。このことについては2021年の一連のエッセイと私の新著『コロネーション』に詳しく書きました。

それが現代に表れると、群衆倫理の力学はマティアス・デスメットが集団形成と呼ぶものとほとんど同じです。何かを支持してはっきり意見を述べたり、生贄集団の誰かと付き合ったり、その辱めに参加しなかったりするだけでも危険なことです。歴史上、生贄は感染と関係づけられていました。異端者や、魔女、ユダヤ人は「不潔」と見なされました。魔女と付き合えば、その人自身にも魔術の疑いが掛かるかもしれませんでした。

したがって、魔女狩りや、大虐殺、リンチ、集団殺戮、あるいは4年生の変な子を仲間外れにしたりする動きが勢いを増すと、生贄のために声を上げる人はほとんどいなくなります。この沈黙はほとんど満場一致であるかのように見えます。ごく少数が迫害に賛成しているだけであっても、もし誰も声を上げなければ、それを知ることは誰にもできません。これがコロナの時にも起きて、多くの人々がワクチン義務化に反対し、ワクチンの安全性に疑問を抱き、マスクを強制されるのに反対したりしたとき、あえて声を上げることはありませんでした。この理由の一部は強制力で、また一部は仲間外れに対する根拠ある恐れで、また一部は群衆の雰囲気を感じ正しい徳を見せ正しい意見を公言することで敵意に満ちた通告を逃れるという根深い本能のせいです。

群衆力学の中には5つの役割を見つけることができます。第1に扇動者がいて、大声で餌食を指し示し、他の群衆を扇動して、誰が生贄になるべきか明らかにします。第2は熱狂的な共犯者で、扇動者の誹謗中傷に乗って喜んで行動します。第3に、ただ従っているだけの人々がいて、みんなのしていることが正しいに違いないと思っています。第4は疑いを抱いている人たちですが、誰も声を上げないのを見て、自分自身が間違っていると思ったり、何かするのは無益だし危険だと考えたりします。第5は声を上げるか、あるいは別の方法で群衆の意志に反対する人たちです。その数が少なければ、彼らは次の生贄となり、第4の集団が抱いた恐れが正しかったことを証明します。

この社会的パターンに乗じて、ファシストと独裁者は権力の座に就きます。それを破ることができるのは、十分な数の人々が群衆に逆らうだけの勇気を持った時だけです。

二人の医師、マーティ・マキャリー博士とトレーシー・ベス・ホゥ博士が最近出した暴露記事は、この現象がどのような影響を医学・科学界に与えたかを垣間見せてくれます。彼らに匿名で情報提供した科学者たちは、勤務していた政府機関(アメリカ食品医薬品局と疾病予防管理センター)が不正を行っていることを明かしましたが、それまでは沈黙していました。これは反対者や内部告発者になるかもしれなかった他の人々に声を上げることを思い留まらせる科学の陰謀です。医療従事者の友人たちからも私はこのようなことをたびたび聞きますが、彼らは影響が及ぶのを恐れて公言を控えます。ここでも彼らの沈黙は何もかもが上手くいっているという印象を作ります。

現在、ますます多くの人々が声を上げる勇気を持ち始めています。ワクチンやマスク、ロックダウンに効果が無かったという情報は、じわじわと主流の意識や一流の医学雑誌(指摘や文献はここ[データの隠蔽と改ざんか単なる無能力か?]、ここ[ワクチンとコロナ政策の転機]、ここ[「安全で有効」という物語の崩壊]を参照)にまで浸透しつつあります。それは良いことではありますが、同じ群衆力学、同じ集団形成の再発を防ぐものは何でしょう? 私たちはそれが起きつつある時にリアルタイムで発見することを学ばなければなりません。私たちは声を上げる習慣を発達させなければなりません。そして有力な制度やプラットフォームから追放されることの影響を和らげるために、私たちは助け合いのコミュニティーを涵養かんようしなければなりません。

新たな対抗物語の群衆をかき集め、それに同意しない人々に全く同じ非人間化と排除のメカニズムを働かせたところで、私たちは群衆倫理の習慣を乗り越えることはできません。変化を起こすための基本的な習慣とは、こういったものから距離を置くことです。それは、不潔の烙印、敵対者の非人間化、異端集団の一掃、追放されないための沈黙、仲間内に正しい徳を見せること、純粋と不純、意識ある者と無い者、目覚めた者と眠った者に世界を分断すること…。


3. 話はつづく

それぞれの条件に十分な議論を尽くしていたら、これは本当に長い文章になりそうだという気がします。ですから、ここまででこのパートを公開しようと思います。私がこのあと書いていこうと思う他の社会・心理的条件は以下のようなものです。

・死への恐怖症
・偽りの個人主義
・進歩のイデオロギー
・数量というカルト宗教
・安全信仰
・自己欺瞞
・病気の被害者というパラダイム

書いていけばもっと他にもテーマが出てくるでしょう。

第5部につづく)


原文リンク:https://charleseisenstein.substack.com/p/pandemania-part-4


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