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渾身の一撃とジャブはそもそも違う

僕はnoteでもTwitterでもアウトプットと呼ばれるものは、どちらかというと少しずつ書いたり、一旦書き終えたものを寝かせてまた別の日に直したりして、なるべくクオリティの良いものを、納得のいく完成度の高いものを、という渾身の一撃タイプでした。


毎日文章を更新し始めたのには、その更新へのじぶんの中のハードルを落としたかった、ジャブも打てるようになりたいと思ったからでした。


だからといって手を抜いたり、いいかげんに書いては意味がありません。


毎日のことなので、バイオリズムの影響などで一言だったり、つぶやきみたいなものしか書けない気分なら、それはそれでいいので、どこかに今日は書くのが気乗りしないよん♪と言った愛嬌のようなものがにじみ出るように気持ちを込めて書いて、あるいは時間をずらしたりして、それはそれで更新してみる。

そうすると、じぶんとしては渾身の一撃のものより、読んでくださる方が多かったり、あたたかいリアクションをくださることが多かったり、共感を得たり、表に出してみないとわからないことがたくさんありました。


そうやって日々続けてわかったのは、毎日に完璧を求め過ぎると、じぶんのやることに妥協も許しも与えられないと、最終的に何もできなくなってしまう、ということ。

時間はかかっても「クオリティに妥協しない」を渾身の一撃とするならば、時間という制限のある中で「毎日更新するという点に妥協しない」のジャブは、時間とクオリティという妥協しない箇所、緩める箇所が違います。

もちろんプロの仕事というものは、限られた時間の中でクオリティを高めることだと思いますが、それの精度の上げ方はたくさん試しているかどうかで、完璧な完成品像を追い求めた結果というわけではなさそうです。
毎日更新する、試す中で読んでくださる方のあたたかいリアクションから、じぶんの中でも許されていくのが、完成品像の壁が熔けて、ゆるーくなっていくのを感じました。


出すことに躊躇が少なくなると手が動きやすくなって、手が動きやすくなると出せる数が増え、出せる数が増えると躊躇が少なく…というサイクルになりそうです。

なのでもし今躊躇しちゃう、という方がいたら、仲間内とか信頼できる方だけでもいいので、あなたの中の未完成品でも一度見せちゃうことをオススメします。

そしてそれは怠けているモノでも、未完成のモノでもなくて、あなたにとってのジャブなだけだと思いますよ。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
才能とは多作から、たくさん試す中からって気がしています。




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