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子どもが覚えていること

小さい頃、◯◯県の◯◯ホテルに行ったの覚えてる?

あんなに大変な思いして連れて行ったディズニーランド、覚えてないの?

二階建ての列車の先頭をわざわざ予約して行った旅行だったのよ?


母と話していて、母が子のためにこだわったディテールを大人になって聞いているが、そういうものは案外記憶に残っていないものだ。

昨年椿山荘のサンタグリーティングに参加したが、子どもの多くは座っているだけのサンタに興味がなく、大人の、親の自己満足がほとんどをしめているイベントで、今世の中に子どものためのイベント風なものの多くも、おそらくは親の自己満足のためのイベントが多いように思う。
なぜならお金を出すのも連れて行くのも、決裁権を持つのは大人だからだ。

しかしこういうものは画像として記憶には残るが、思い出にはなりにくい。


僕が忘れられない思い出や景色はなんだろう?


最寄り駅の横に小さな公園があり、そこで母と遊んで、父が改札から出てきたところで合流して家まで帰るというもの。

なんてことないが、弟が産まれる前だったのか、二人に両端からそれぞれに手を繋いでもらって、いっせいのせーで身体が浮いた記憶、二人に挟まれて歩く帰路が幼心に幸せだったのか、記憶に今も残っている。
同じことをしている子どもを街で見るたびにこのことを思い出す。


子どもはお菓子やおもちゃが、ゲームやマンガが欲しいというかもしれないが、ほんとうは周囲の人からの大切にされた記憶、愛された記憶、あたたかかった記憶が欲しいのではないか、とじぶんが自然に記憶していること、思い出として残っているものを思い返したときに、どこかそう感じられた。


何が残るかは、わからない。
けれど残るものは、真剣なもの、素直なもの、まっすぐなもの、ほんとうのもの、なのだと思います。
子どもは大人ほど様々なことを知らない分、世の中や社会と関係性が薄い分、そういうものにはきっと気付けるのだと思うのです。

思い出すものは、なるべくあたたかいものがいいよね。




今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
土日休みの方がやっぱり多くて、休みの最初の朝に目に触れるもの、ということで土曜日の朝が一番一週間でやさしいものにしようと心がけている曜日が土曜日かもしれません。

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