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ていねいなものと時々向き合うこと

先日人形町にある「かつ好」さん(https://tabelog.com/tokyo/A1302/A130204/13204633/
)に行ってきた。

注文を受けてから、美味しいとんかつを作るという目標に向かい、お肉を切り、パン粉をつけ、揚げる。
そして調味料も手作りで、揚げ終えたかつを包丁で切る音がカウンター越しに聞こえて、今まさに出来上がっているというライブ感と、人の手によってていねいに作られたものをいただけるということに、背筋が伸びて、筋肉に力みも感じた。


厳かな時間であった。


毎日とは言わないが、なんなら誕生日とか、記念日とか季節に一度でもペースは人によって自由で構わないので、背筋が伸びるような空気や空間や人が居るような場所や機会には身を置いた方がいいのでは?
と思えた。


それはあなたの為に考え抜かれ、研鑽し、作られた愛のあるていねいなものをいただくという体験が、あなたが誰かの為に考え、研鑽し、作る何かの糧や情熱に、助けに必ずなるからだ。


誰が手にするかわからないたくさん作られたものを偶然手にする機会しかなければ、人は少しずつ疲弊してしまう。

なぜなら、誰でもいい、あなたでなくてもいい。
という言葉やニュアンスは人の存在の在り方そのものを傷付けるからだ。


コンビニやファーストフードを否定する気はないが、何年もそればかりだと腹はその都度満たされるかもしれないが、心が満たされるためにはお腹が満たされる以外の何かが必要なはずだ。


それが僕は、『あなたがいい』と伝えてくれる人、もの、ことなのではないかと感じている。

あなたに食べてもらいたい、読んで欲しい、見て欲しい、話したい、会いたい。


そういう心が満たされる空間、時間というのは、誰かのていねいな仕事によって作られていると思うので、時々で、時々でいいので、ていねいなものと向き合ってみてはどうだろうか?



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
かける時間が長いことだけが、ていねいだというわけではないということも忘れてはなりませぬのぅ。



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