書くことの見つけ方

毎日書くということは、毎日書くことを見つけたり、決めたりしているということで、実際に書くこと以上に僕は何を書くかを決めている時間の方が重苦しい時間だとも言える。


24時間という時間がみんなと同じであり、ある程度のルーティーンの中で暮らしている場合、日常は同じようなことの繰り返しだと感じがちだ。

しかし今日も昨日と同じでした。という日記は毎日書くのは簡単だが、誰の為にもなりにくい。



どうしたら日常の中で、書きたいと思えることを探し続けられるのか?



それはもちろん他の方ときっと同じだろうが、目の前で行っている日常に常に目を向けることでしか起こらない。


気温は?天気は?雲は?家族の表情は?歩く道の変化は?交通量は?すれ違う人の表情、気分、服装は?会社の様子は?ランチのメニューは?夕暮れの時間は?

そういう日常の中のじぶんの外側のものの変化や変わらないところ、またはそのもの同士の関係性を見て、思った些細なことを見逃さないこと。


でも外部のものに目を向けるだけだと、体調や気分によって難しいときがある。


そのときはじぶんの内部にも目を向ける。

昨日は何時に眠れたか?朝目覚めはよかったか?食欲は?身体は軽いか?表情は?気分は?今行きたいところは?したいことは?食べたいものは?会いたい人は?
などとじぶんの内部を探してみる。

これも些細なことを見逃さないということは大切に。


じぶんの外部と内部を1日探していると1つくらい書きたいことというのは見つかるのでは?というのが、毎日書く方法なのだけど、最後に心持ちでも大切なことがある。


それはじぶんをバカにしない、侮らないということ。


先程外部のときも内部のときも「些細な」という言葉を使ったのはそのためで、毎日書けば書くほど見つかるものは些細な、一見つまらないものに見えてくる。

そしてそれを書かないと決めるのも、つまらないと無い物にしてしまうのもじぶんで、書けないという人はこの「じぶん審査」が厳しい人なのだと思っている。


どうかじぶんが見つけたものに自信を持って。


そうすると書きたいことって日常の中に、いくつかはあるんじゃなかろうか?と思っています。
応援しています。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
あなたのつまらないが、誰かのおもしろいということって結構結構あったりしませんか?







この記事が参加している募集

noteの書き方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?