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若い頃なんて2度と戻ってくるか

「若い頃は楽しかったな〜」と
遊び終わったような元ヤンチャなおじさん、おばさんは言う。

こういう人たちの楽しかった記憶というのは大体似通っている。
大体男女グループで夜の街に繰り出してクラブに行って踊ったり、夏に海に行ってはしゃいだり、女遊び男遊びしたりとか、、、
これは若い時にに楽しめることなんて範囲が限られているし、若い頃が楽しいなんて言う人の感性は皆似たようなものだからだと思う。

僕にとって人生で一番楽しい時期は
この若く可能性に溢れた今”ではない”と知っている。それどころかこの若さを呪っている。

可能性なんて残酷だ。それをさもいい事のように囃し立てる風潮は間違っている。
これから何にでもなれると言えば聞こえはいいが、それは今から”あったかもしれない”無数の素敵な選択肢を無惨に捨て去る作業がここから待っていることを意味する。

そしてその捨て去る基準だって確かたるモノじゃない。
たかだか生きて数十年のチンケな物差しに頼って進まなくちゃいけない。こんなに自信が持てずに、己の未熟さを呪い、バカであることに耐えるこの時間が楽しいわけないだろ。

それに比べたらいっぱいの選択肢なんて消え去って、限られた選択肢と数々の経験で賢くなった頭で切り開いていく年老いた未来の方がよほど輝いて楽しそうに見える。

この価値観では若いほど楽しさは得られない。唯一楽しい時間は”追い込まれた”時だけだ。何故なら追い込まれたら人は頑張るしかない。窮地は敵のような顔をして、頑張る以外の選択肢を消し去ってくれる。ほぼヒーローなのだ。

でもヒーローには常に来てくれない。
自分で自分の未来を削ぎ落とす。
この拷問にも似た苦行の果てにしか、楽しい時間は待っていない。

待ってろよ、楽しい未来。出血多量で今向かう。

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