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福井市越前海岸エリアへ移住して4年。過疎と向き合う。

はじめまして。伊藤大悟と申します。2019年末、東京都町田市から福井市越前海岸エリアに移住してきました。家族は、妻と二人の息子。職業は、フリーランスのwebプログラマです。
noteでは、「過疎」という大きなテーマについて、自分の考えや物の見方を書いていくことを予定しています。
職業柄、自らブログ運営することも容易いのですが、集客や収益化を目的とせず、ただただ自分の書きたいことを書き、(特に直接的な友人から)出来れば意見を貰う、ということがしたいだけなので、noteが最適なプラットフォームだと判断しました。

さて、僕の住居は目の前が海の準古民家です。夏は海でサザエ採りを、冬は山の木をふんだんに使った薪ストーブライフを楽しんでいますが、そんな暮らしにも、「過疎」という脅威が押し寄せてきています。
これまでは集落の逞しいおんちゃん達に守られ、豊かな恵みをもたらしてくれた里海と里山ですが、このままだと海も山も、単なる自然災害の脅威でしかなくなってしまいます。

「越前海岸での暮らしは決して悪くない」というのは、僕の主観ですけれど、どうしてこれ程まで極端に、都市部へ人が流出するのを止めることができないのでしょうか。
もちろん、仕事が、生活が、という直接的な個々人の理由は分かりますし、そういう風に政治経済が作用してきた辺りの理論も勉強しています。
それでも人々が、なぜ、もっと本気になって地方移住に向かってこないのか。これが本当に、僕にとって素朴な疑問なのです。
ちょうど、ゲームに夢中の子供が、母親にゲームを止められる理由が分からないのと似ているかも知れませんね。
個人にとって大切なものがそれぞれ他にあるのは良く分かりますけど、それが集団においてこれ程まで極端に、地方で暮らすことを選ばないことが、僕には分かりません。

僕は埼玉の生まれで、子供の頃は親の転勤で海外を転々としていました。だから地元がありません。成人して、ピアノ職人の修行で一度浜松に住みましたが、自然と親元からいくらか近い町田で就職しました。
つまり都市部に住んでいたことは成り行きであり、好んで住んでいた訳ではありません。縁のあった長野・山梨や浜松辺りが良かったので、少し地方への憧れはありつつも、都市部になぜ住んでいたのか、町田もそこそこの郊外でしたから、自覚はありませんでした。町田は地代もさほど高くなく、自然も沢山あって住み心地は良かったように思います。
そう、多くの人もまた、自覚なく都市部に住んでいるのでしょうね。
しかし、2011年3月11日の東日本大震災が起きた頃から、僕の中でどこか、都市生活への疑問が芽生えてきたように思います。都市の災害への脆弱性や、地方での暮らしがいかに豊かで尊いかということに対し、少しずつですが理解を深めていきました。
そんな具合でしたが、色々あって何度か職を変えており、2019年末、僕が35歳のとき、妻が地域おこし協力隊に就任する決意と共に、福井市越前海岸エリアに移住しました。

福井に来れたのは、僕がこれまで不運な人生で会社に依存しないで長く生きてきたお陰と言えるかも知れません。
僕に特別な能力や才能があったことだとは、全く思っていません。
むしろ、僕みたいな会社組織では無能と言える人間でも、過疎地に顔を出してみたら、少しは大事にしてもらえると、そんな下心を抱いて来たようなところがあります。

そんな僕にとって、「過疎」がここまで進行し、今なお進むのかは、人々の一般的な価値観に対する、素朴な疑問なのです。

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