見出し画像

世界は人の内側に広がっている【多様性】

無限の彼方まで 輝き届くと信じた 僕ら六等星
飾りを捨てた日に気付いた 自分の体に駆け巡っていた情熱に

コブクロ「六等星」より
作詞:小渕健太郎

コブクロさんの2005年の曲「六等星」のサビの歌詞でした。
この曲知ってましたか??
『-NAMELESS WORLD-』というアルバムに入っていたんですが、
実は「ここにしか咲かない花」の1曲前に入っていたんです。
歌詞を見てあなたは何を思ったでしょうか??


こんにちは。自分らしさ探究者の石川大雅です。

さて、冒頭で曲紹介をするという、ラジオ形式で始まった今回のnote。

Advent Calendar冬_2022というアドベントカレンダー企画にて、
メンバーがお互いに”言葉”を贈り合う中で、私にいただいたテーマがこの「六等星」でした。

六等星と聞いて、皆さんはなにを思い浮かべますか??

そう、、、「なんそれ!」ですよね(笑)

出典:スポニチ
ZAZYさんのネタより

8割くらいの人がそう思うのではないでしょうか??

実は私も冒頭のコブクロさんの曲、なんとなく聞いたことあったんですが、
「六等星」という曲名だとは知りませんでした。

でも、この六等星を調べていって、六等星のことがわかってくると、
私の中で、1つのキーワードにたどり着きました。

それが「多様性」
そう、先日のnoteにも書いた多様性です。

では、なぜ多様性にたどり着いたのか、
これから多様性をもってどう生きていきたいのか。

今回はそんなお話をしていきます。

六等星とは

2017/11/02 05:31 ウェザーニュースより引用

まず、六等星とはなんなのか。

そもそも”等星”とは、地球から見た星の明るさの分類のことを指します。
星の明るさを指すものは”等級”と”等星”があり、
等級は明るさの単位、等星はその等級をいくつかの分類に分けたもののことをいいます。

その等星の中で一番明るい星を、一等星といいます。
一等星の中でも一番明るい星は、おおいぬ座のシリウス(-1.5等級)です。
シリウスなら一度は聞いたことありますよね??

ちょっと話が逸れましたが、
六等星とは、一等星から数えて6番目に明るい星の分類になるのです。
つまり、言い方を変えれば、暗い星となります。

ちなみに、六等星は一等星の100分の1の明るさになります。

コブクロ「六等星」

ここで、コブクロさんの歌詞に戻ってみてみましょう。

無限の彼方まで 輝き届くと信じた 僕ら六等星
飾りを捨てた日に気付いた 自分の体に駆け巡っていた情熱に

コブクロ「六等星」より
作詞:小渕健太郎

ここから私の解釈ですが、
この歌詞を理解しやすいように、順番を入れ替え、補足するとこうなります。

飾りを捨てた日に気付いた
無限の彼方まで輝き届くと信じた僕らの六等星
それは、自分の体に駆け巡っていた情熱だったんだ

まず1行目。「飾りを捨てた日に気付いた」
私はこの部分が個人的には好きです。

誰かにかっこつけたり、都合いいように振舞ったり、
誰しも無理したり、自分の殻に閉じこもったりする場面はあります。

でも、一度立ち止まって、その無理している自分や殻を捨ててみましょう。ということです。

そうすると何が見えてくるのか。


2行目。「無限の彼方まで輝き届くと信じた僕らの六等星」

一等星ののように、無限の彼方まで輝き、その輝きを地球に届けたいと信じている、自分の中にあるものに気付いたんです。
つまり、今は隠していたり、隠れたりしているけど、実はみんなに知ってほしい想いやこと。

例えば、こんなこと言ったら恥ずかしいって思っていること。
それを自分以外の人に知ってもらえたら、自分が生きやすくなったり、幸せになれる。
まさに心の奥にある「自分らしさ」

ここでポイントが「僕らの」っていうところ。
誰もが心の中に1つは持っているよ。あなたは1人じゃないよ。ということ。

そして3行目。「それは、自分の体に駆け巡っていた情熱だったんだ」

【情熱=自分らしさ】と置き換えて考えると、
自分らしさは常に自分の中にあって、自分の体を血液のように常に駆け巡っている。
自分は当たり前に感じるけれど、他人からしたらそれは見えていないし、
輝く星のように他人に見せていっていいんだよと捉えられる。

私の六等星

さて、ここまで、
六等星について、そして、コブクロさんの歌詞について紹介してきました。

  • 六等星とは、明るさが一等星の100分の1の目立たない星

  • 誰もが心の中に六等星を持っている

  • 自分の中の六等星は、自分では当たり前と思っている「自分らしさ」である

こんなまとめをしてみると、あなたは何を感じますか??

私は、「多様性」というキーワードが思い浮かびました。
最近感じていることは、私は多様性が足りていない。多様性を求めているということ。

私にとっての多様性

多様性が足りていないとはどういうことか。

ふと自宅のホワイトボードに書いてみました。

私にとっての多様性とは、「心の広さ」とも言い換えることができます。

本業をやりながら、自分らしさコーチとして活動し、
他人のいろいろな価値観や想いと出会うようになりました。

でも、その一方で、
「自分の中のもっといろんな価値観や想いを知りたい!!」
と思うようになったのです。

もっともっと自分を知りたいし、内省したい。
「自分らしさって何だろう?」をさらに探究していきたい。

そう思うようになったのです。

では、自分らしさを知るためにはどうしたらいいのか。

1つは、もっと多様な価値観と出会うことだと思ったのです。
私は日本(出身は愛知、大学以降は横浜)でしか過ごしたことがありません。
住むところだけがすべてとは言いませんが、多くの時間を過ごす土地は価値観形成にとって、大きな要素です。

そこでまずは「海外に出ること」を1つの目標に置きました。

でも、そこには言語という大きな壁があります。
言語を理解できなければ、その背景にある価値観や想い、その微妙なニュアンスを感じ取れないと思っています。

正直、「英語なんてしゃべれなくても日本で生きていくからいいや」とずっと思っていた人間です。
その壁は大きく高いのですが、2023年は英語学習を頑張りたいと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

さいごに

私を応援したいなと思った方は、
このnoteにいいね & Twitterフォローお願いします!https://twitter.com/Taiga_Ishikawa


この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?