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学力だけでは生きていけない時代に。

学力の価値

 今も昔も、学校へ通うことの1番の目的は「学力」を身につけることだろう。
 しかし、ある経済評論家は、現代において大事なのは「カンニング力」だという。
 これを読んでいる学生は、カンニングはいけないことだと、小学校に上がった頃から教わってきたはずだから、少し疑問符が浮かぶかもしれない。
 記憶力が大事とされていた時代は確かにあったが、現代では、どんなことでもGoogle大先生が解決してくれる。
 そんな時代を生きる僕たちは、数学の公式を暗記したり、莫大な量の漢字や英単語を覚えることよりも、Googleなどをうまく検索し、見つけた情報を繋ぎ合わせることの方が重要ではないか、と僕は思う。
 実際、デンマークの高校卒業試験では、試験的ではあるがパソコンの持ち込みとインターネットの持ち込みが解禁された例もある。生徒たちの「考える」力を見ることが重要であるという考えがあったらしい。
 また、授業やテストでインターネットを使った検索を解禁している小学校もあるという。
 現に、社会に出て既に仕事をしている人は、例えばプレゼンをする際、資料を手元において本番に臨んでいるはずだ。できるだけ覚えようとしているかもしれないが、もし言葉や数字を忘れても、手元の資料に答えが書いているだろう。その際、「カンニングしてるんじゃねえ!」と怒られたことがある社会人は、一体どれほどの数いるだろか。
 このように、社会に出たらそもそも「カンニング禁止」という状況自体、経験することがほとんどない
 誰もがスマホやパソコンを所持し、世界中にいつでもどこからでもアクセスできる時代に、単純な「学力」という指標だけでその人の能力を測ることは非常に難しいだろう。
 つまり、昔と今では、比べ物にならないほどに「学力」の価値が下がってしまったということだ。

「非認知能力」は集団の中でこそ磨かれる

 学力テストだでは測ることができない「非認知能力」こそが人生の成功において重要だ。そして、その「非認知能力」を伸ばすための教育は、早ければ早い方がいい。
 ※非認知能力については下の記事で詳しく書いている。

 「非認知能力」は、ただ単に英才教育や育児本の読破だけで伸びるものでもない。なぜなら、この能力の多くは、他人から学ぶものだからだ
 シカゴ大学のヘックマン教授がアメリカの、日本でいう高卒認定試験を分析したところ、興味深いことがわかった。
 その試験に合格した若者は、ただの高校中退者よりはいい人生を送っていたという。何らかの理由で高校を中退したかもしれないが、その後に高認を取った人は、中退してそのままの人よりはまだマシだったという程度のことかもしれない。
 その証拠に、やはり普通に高校を卒業した若者に比べると、年収や就職状況、健康状況までが悪い傾向にあったというからだ。さらに、犯罪率も高く、生活保護受給者など福祉を必要とする割合も高かった。
 この研究から考えられることは、学校で身に付くのは「学力」だけではない、ということだ。子供たちは、先生や同級生と触れ合い、交流することで「非認知能力」を身につける。そしてそれが「人生」を良い方向へと導くのである。高校にしっかり通って卒業した人と、中退者・高認者との違いは、学校という小さいかもしれないが立派な社会での交流体験の差にある、とヘックマン教授の研究は言っているのだと思う。

保育園義務教育化で貧困層にも質の高い教育を

 犯罪率が低く、失業率も低い。これは、世界から見た日本の現在の評価だ。
 確かにその通りで、戦後すぐの時代と比べるとはるかに安全な国になっている。他殺による死亡者は1995年には2119人もいたが、2014年には357人にまで減っている(日本のどこかで年間300人以上も他殺されていると考えると、僕は怖いと思うが)。
 だけど、この先もこのまま他殺といった凶悪犯罪率が減り続けるとは、誰も断言できなだろう。格差が広がれば、相互不信に満ち、ギスギスした社会になることは間違いない。そんな時には、教育、それも「就学前教育」が重要なのだ。 
 特に今、日本の子供の貧困率の高さが問題になっている。
 子供の相対的貧困率15%。これはアメリカやスペインなど先進国の中ではワースト5位に入る数字だ。さらに、ひとり親世帯の貧困率は6割で、先進国最悪の状況となっている。
 自分ではどうしようもできない子供の中の、7人に1人が貧困状態で暮らしているのだ。
 そんな時に「保育園義務教育化」という形で、貧しくても無償で、質の高い教育を受ける権利を持つことは非常に大切だ。きっと導入されれば、格差の解消、貧困の連鎖を断ち切ることができるだろう。
 自分の子供がいくら質の良い教育を受けて育ったからといって、周囲にはそうでない同世代の子供が大多数という社会になってしまったら、それは果たして「子育てしやすい国」と呼べるだろうか。
 人は、自分より下の人間には基本的には目をくれず、かといって上の人間ばかりの環境では自暴自棄になりかねない。なので、同じレベルの人間がたくさんいるという環境を作ることは、非常に大切なのだ。人間が切磋琢磨し成長するには、人材レベルの底上げが効果的だろう。
 安全で、すべての子供が平等に質の高い教育が受けられる国で子育てをしたみたいと思わないだろうか。
 


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