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死生観って考えたことある?

おはようございます

昨日は寝不足で早く寝たかったにも関わらず、
遅くなってしまったので
さっき起きました

まだ目がぼんやりしています

本日もよろしくお願いします

死生観って考えたことある?


突然なに?って思われるかもしれませんが、耳にして心に残っていたので
今日はこれ考えてみたいと思います

死生観 普段使わない言葉ですよね

調べてみました

死生観は「死と生について考え方. 生き方・死に方についての 考え方」である

広辞苑より

生きることと死ぬことについて、判断や行為の基盤となる考え方
生と死に対する見方

というのも出てきます


では、

自分が死んだときって考えたことありますか?


死んだときに誰に見送られたいか

どういう状況で見送られたいか

最後はどのようなことがあればいいか


想像してみる お葬式は?誰がそこにいる?


亡くなった後、誰に見送られたいか―――

わたしは特に熱心な仏教徒でもないので
祖父や祖母のような
「ザ・お葬式」のような感じじゃなくていいなと思う


移動が困難じゃない年齢・状況じゃなければ
最後に足を運んでくれるのは嬉しいから

たくさんの人に会いたいってなる


今を生きる人の方が大事だから
無理してまで会いに来なくていいが


形式ばったお葬式の雰囲気よりも
柔らかい雰囲気で献杯してほしい

わたしのお葬式楽しかったね、くらいのノリでいい


ただ、わたしは
こんな事言ってたね
やってたね
したがってたね


っていう会話があると嬉しい


でもたくさんの人に来てもらってとなると
そういうエピソードがそれぞれに無いといけないよね


ということは今からたくさんの人と関りを深く持って生きていく―――


生きていく上での価値観につながっていくんだ


海でもいいから蒔いてほしい 骨


骨をお墓に入れて、大事に埋めてもらったら
わたしの魂がいいところに連れて行ってもらえるのかは、わからないが

ある程度祈ってもらったら

骨粒みたいなの一部小さなセトモノかケースに入れて
おうちに置いてほしい

仏壇とか要らない

むすめの部屋の邪魔になるようなのはいらないし、
ただ、忘れないような小さいけどわたしとわかるようなモノがあると嬉しい


いや・・・どうなんだろう

それも要らないか(笑)


全部海にまいてくれていい(それってしていいのかな?)


心に残る残らないは自由だ

むすめにとって、心に残らないママだったのなら
骨残しておこうがなかろうが、同じことだな

先に死にたい

長生きしますよ、わたし

でも、最後は夫よりももちろんむすめよりも
先に逝きたい


さみしがり屋だから

一人残されるのはちょっと嫌


でも50年後

同じこと思っているだろうか


おばあちゃんと同じく
一人になれた~わ~いって言ってるのも(わーいとは言ってないが)
ありかも知れない


人はだれしも死に向かって歩いている


産まれて死ぬまでの時間は限られている

気が付くと忘れてしまうのだけど


どんな死に方=どんな生き方をしていくか

と、繋がっていく


やばい。そう考えると時間がない!って思っちゃうわたしがいるんだけど

そうではなくて


果たしたい目的や夢、継続したいこと、新しく触れてみたいこと、
家族の健康と生活の維持・・・

いろんなことをどうデザインして生きていくと
自分の最後に向かっていけるか

そんなことを考えました


祖父が亡くなった時に書いた時にも思って
まだ実行できてないけど、
「遺書」書いてみよう


とはいっても、まだまだ死なないよ


やりたいこと、やってみたいこと、全部やりたいーーー


まだまだまだまだ死ねないなっ!!


本日も最後までお読みいただきありがとうございます

死生観っていう単語事態はじめてつかったくらいの言葉だったんだけど
取り入れたら気になってしまったので、言語化してみました

誰かの心にも届いたら幸いです

本日はくもりですが、ムシムシしてます
熱中症に気を付けて!

良い日になりますように

では、また明日~


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