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【大人の読書感想文】かなえるナース前ちゃんの本を読む〜9つの家族の物語〜

みなさんこんにちは
人道支援家のTaichiroSatoです。

前田くん(前ちゃんと呼んでいる)と出会ったのは、もう3年以上前の話だろうか。
共通の知人のイベントに誘われ参加した際に、
「同い年の男性看護師」という普段はなかなか出会うことのない人と顔を合わせ、
はっきりの芯のある、でも柔らかい
そんな雰囲気を持った彼と出会ったのだった。

当時の僕たちといえば、僕はオーストラリアから帰国し、今後海外に行く!でもまだ安定して海外での仕事があるわけでもない時期で、前ちゃんもかなえるナース(以下URL参照)というものを立ち上げたばかり(だったように思う)でお互い未来へのイメージがあるものの形になっていくのだろうか、というような時期だった。
あんなことができたら、こんなふうに誰かのために働けたら、当時そんなことを話していたのを思い出す。

そして時は流れ、2022年。
お互い、忙しくあまり直接顔を合わせる機会こそなかったが、SNSや新聞、その他のメディアを通じて、

おっ、前ちゃん。相変わらず頑張っているな
自分も頑張らねば。

と、彼から力をもらっていた僕だった。
そんな時、前ちゃんの出版の話を何処からともなく聞きつけた僕は、早速アマゾンで予約をし、実際に本を手に取る。
読む前に新宿の紀伊国屋で医療のコーナーに前ちゃんの本が最前列にならんでいるのを見つけると、
そこの周りにいる人たちみんなに

これ、僕の友達の書いた本です!
と行って回りたくなるような、誇らしい気持ちになったのだった。

医療書コーナーの最前列にならぶ、
かなえるナースの本(新宿紀伊国屋)

 人生最後を自分らしく生きたい
〜「願い」を形に変えた9つの物語とナースたち〜

人生最後の瞬間が迫ってると知ったとき
あなたは
どこへ行き
誰と会い
どんな時間を過ごし

そして、何を思うだろうか。

がん終末期という、厳しい現実と向き合っている患者と
そこに寄り添うナースたちは、日々葛藤を抱え、ゴールは一体どこにあるのか、終着点を模索していくものなのかもしれない。
本書に登場する、前ちゃんやナースたちは、患者の最後の「願い」をかなえるために短期間で患者本人、その家族、様々な人たちを巻き込みそれを実現していく。

その人らしく全うしてもらいたい
家族の思いを形にしたい

ナースたちの強い思いと
何より
患者本人、家族の決意とも言える意志が、
困難といわれる状況を次々と打開し、彼らの思いを遂げるという目標を達成へと導くのかもしれない。

いつ来るかわからない
鼓動が止まるまでのタイムリミットを目の前に、
消耗の激しい患者の体力の管理や
息が苦しい中での患者の活動のサポートなど
医療者として緊張の連続であることは想像に難しくない

それでも、
本書にも書いてあるとおり、
死にゆく自分への絶望
笑顔のない残りの人生の時間というものが
患者やその家族の「願い」という一つの目標によって
未来へのイメージを具体化し

生きる力を生む
もう一度だけ
命が輝くチャンスをつくる

この仕事に携わる
ナースたち、そして、前ちゃんの思いには
言葉にならない、僕の中にこみ上げるものがある。

人道支援活動と照らし合わせる

世界の救急/集中治療で活動する僕は、文字通り命の終わりと向き合うことが多い仕事だ。
そこには一つ一つドラマがある。

かなえるナース 前ちゃんのように
最後を家で過ごしたい、自分らしく最後まで生きたい、と
残りの時間を知った人たちへの医療サポートがあることとは裏腹に、

僕の医療サポートには、残りの時間を意識することが出来ないことが多い。
急激に襲いかかる病の猛威に
意識がなくなり考えることも
何かを願い、自らの体を動かすことすらもできず
患者もその家族もが死を覚悟する時間すら与えられない
そんな現場を数え切れないほど経験をしてきた。

ただ、
本当の意味で、僕は患者やその家族の思いを
「かなえる」努力をしていたのだろうか
前ちゃんが本を通じて、僕に問いかけてくる。

整わない医療設備
足りない医療者
あふれる患者
日本とは違う環境で
生きること、死ぬことへの考え方も違う異国の地で

僕になにができるというのだろうか

いま一度、考える。

異国での集中治療現場では
患者の状態が非常に厳しく、できることへの限界や様々な理由から、治療の望みが極めて引いためパリアティブケア(終末期医療)を選択せざるを得ないケースも、たくさんあるのが事実である。

パリアティブケア(終末期医療)
ここで僕が説明するパリアティブケアとは、急性期、集中治療の現場において、現状の医療パワーでは疾患の治療が極めて困難であり、痛い、苦しい、辛い、など苦痛に対する緩和を図り、その人の人生最後の時間をできる限り苦しくなく自然な形で過ごせることを目的とする医療介入のことを指す。

ここで大切なのは、本人、そしてその家族がいかにして最期の時間を過ごせるか。
心電図、人工呼吸器のアラームの音が鳴り響く非日常の集中治療室の中で、患者が家族が何を「願う」のか。

本を読み、僕の中で一つ思い出させる患者がいた。

イエメンでのこと。
スタッフから連絡をもらい、救急室へと足を運んだ僕。
そこには酸素マスクをした呼吸苦の老婦がいた。
非常に苦しそうで、明らかに人工呼吸のサポートが必要だった。厳しい状況の中、数時間の説明をしたが、患者も家族も頑なに治療を拒否し、帰宅。
病院を離れて1時間後に息を引き取ったと知らせを受けた。

僕は自分の無力さを痛感し、他にもっと方法はなかったのかとチームでもディスカッションをしたが、結局のところ僕たちの出口はみえず、今でも僕の中の しこり として残っている。

前ちゃんの本に幾度となく繰り返される問い。

「願い」とは
自分らしく最期まで生きる とは

患者やその家族の中にしかない
その問いに対する答えを
たとえ患者の意識がなくとも
突然に それ は起こり
その時は受け止めることができなかったとしても
僕たちは救急医療のプロフェッショナルとして

彼らの「願い」問い続けなければいけない

そんなことを考えさせられた。

人生最期の時間
人は何を想い
何を願うのか

文化や宗教は違えど
一人の人間として誠実に死と向き合い
最期まで生きるをサポートする

人道支援家として
日本人として
アジア人として
地球人として

一人の人間として
僕は、まだまだ止まるわけにはいかない。



※投稿内容は全て個人の見解です。
最後まで記事を読んでいただきありがとうございます!
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応援し、応援される関係に。
僕には応援したいステキな仲間たちがたくさんいます。日頃の感謝を形にして、彼らを応援し続ける。そういう人間でありたいと、これからも頑張っていきたいとおもいます。是非とも応援よろしくお願いします☺

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