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最後の最後は君の声

中間報告ラジオ(2024.9.12)

育之介が元気!育之介が元気元気!!!
本当か??
そもそも何の話かって?
それは今日の配信を聴けばわかるお(^ω^)


はい、もうね、晩酌はしてません。
はい、晩酌してます。(錯乱)

こんなものを飲むようになってしまった。
アルコールを控えている。
内臓脂肪が減る代わりに、摂取しているのは「虚しさ」。
なんかコンビニにあった美味しそうなポテチ。
大体こういうメキシコっぽいやつは美味いんだよ(偏見じゃないよ、好みだよ)。
あ、うまぁ。うまいわこれ。オールフリーがグングン進む。はぁ。

え~、先週の中間報告ラジオ補足noteを書いていません。
ごめんなさい。
追記すると書きましたが、一週間放置しました。
私の悪癖です。先延ばしの癖は一生直らないかもしれない。
このnoteを書いてから先週の分を書く。かもしれない。


【批評】(ひひょう)
物事の良い点・悪い点などを取り上げて、そのものの価値を論じること。
また、そのもの。

(新明解国語辞典・第八版)

以前、創作の際にもらう意見についてはこちらで書きました。
僕個人の考え方であって、人に分かってほしいとは思わないけれど。

今回話題になったのは、作り終わった作品への意見についてです。
出来上がっている作品に対してあぁだこうだと論を唱えること。

批評。
したり、されたり、読んだり、聞いたり。

まぁ~~~~~~~~~~~~~~~ね!!!!!
育之介に当該(ラジオ参照)の文章は読ませてもらいましたが!!!!!!
正直、ここで言うことはあんまりない!!!!!!!!笑

と言いつつ軽く触れておくと………
僕は、その批評自体の価値は、批評をする人がそれを通して何を目指しているのかに依拠すると思っています。
仕事として仕方なく批評をする人もいるでしょうし、その作品が属するジャンルの全体を盛り上げるために個人的な範疇であっても熱心に批評をする人もいるでしょうね。
ただただ分析するのが好きなだけ、ということもあるかもしれない。
自分の感覚を磨くために、敢えて厳しく批評的に鑑賞することもあるでしょう。
でもそれも全部個人の話。最終的には。
別に世間全体を背負ってるわけでもなんでもない。
いくら俯瞰して見ようとも、完全な俯瞰などないわけです。
客観性が失われてもいいと言っているわけではありません。
知識があるうえで、最終的に何を言いたいのかが大事だと思います。
だからその人の目的が見える批評は、非常に快く受け入れられる。
確かにそういう考え方もあるなぁ、と納得がいく。

それから、誰も思いつかなかったような視点や誰も到達できないような深い洞察をもって書かれた批評は、目的がなくても価値を持つと思います。
作品を称賛・批判するに関係なく、新たな視点を提示するもの。

そして、広く言えば批評もひとつの作品なので、それ自体が再び批評の対象になります。
忙しい世の中ですね。
自分のスタンスだけはあまり崩さずに持っておきたいものです。


まぁ僕はこうやって「個人の話」というところに丸め込むことで、自分自身を守ろうとしているのかもしれませんね。

しかし、どんな意見だってウェルカムですよ。いつでも。
いただいたお言葉は全て隅から隅まで読みます。
それで、活かせることは活かす。
活かせないことは……まぁ……僕の器不足のせいってことですかね……。
でもマジでこれしかない。
他人と比較されすぎても困るし。
one of the greatsになりたいんじゃない。
死ぬときに納得したいだけ。
だって俺の人生、俺にしか分からないもん。
できることやるしかないっしょ~


おやすみ~~~


あ~~~~~さすがに今から先週のnoteは書けない~~~~~~~~~

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