『小説の運命 Ⅱ』すなわち批評の運命
『小説の運命 Ⅱ』は昭和二十三年に発表された。まず冒頭の引用から始めたい。
明治以来、近代日本の作家たちがそれぞれの方法でもって一途に探求してきたのもこの「精神が明確にみづからの存在を確証しうる様式」であったといえよう。
二葉亭四迷をはじめ、近代日本文学の発想と系譜は、大方、十九世紀ヨーロッパ文学の文学概念にその様式の模範を求めてきた。
しかしその後に誕生した日本的私小説という文学形式はついにかれらの精神のための「鞏固な形式」の役割を果たせず、結果としてかれらの「文学にたいする猜疑は増大して、つひにこれに固執する情熱を危殆に瀕せしめ」ることとなった。
既存の小説様式では現代の精神の危機は救えないのではないか。それほどまでに精神の危機は深刻なのではあるまいか。
日本において最初にそのような疑惑を明確に意識した批評家こそ、小林秀雄である。小林の登場によって「小説の運命」と「批評の運命」とは軌を一にするものとなった。
「そこで、小林秀雄のしごとは小説の否定抹殺にむけられた」と福田は述べる。「小林秀雄は現代精神を危機にあると感じたればこそ、小説を捨てて批評をおのがしごととして選んだといふわけである。にもかかはらず、いまだ小説を捨てぬ人間があるとすれば —— かれらにかれは軽蔑と攻撃とをもつてたいするよりしかたなかつたであらう。おれは小説を書かないのに、なぜ諸君は書くか —— といへば、ぼくらしく嫉妬めくが。」(『小説の運命 Ⅱ』福田恆存全集第一巻)
小林の慧眼は、自己の精神のクリティック(危機的)な状態を見逃しはしなかった。精神がクリティックな状態にあるということは、自己のうちに無限の対立を含むということである。要するにそれは、造型と均衡が不可能なほどに旺盛な批評精神の躍動ともいえる。その点にまた「批評の自恃」も生ず。
小林によって行われた「小説の否定抹殺」という仕事を目にして、若き福田は批評家として己れの歩む道を直観したのではないだろうか。いやむしろ正確に言うなら、福田をして小林の批評精神に共鳴させたものこそ、福田自身の批評精神に他ならない。だが批評家の真に成すべき仕事はさらにその先にある。
福田は言う。
批評精神とは「自分自身のクリティックな状態にたいしてすら、なほ対立的に立ちむかはうとする精神形態」である。だとすれば、無限の対立の中から如何にして自己の真実の保証を得るか。まさしくそれが批評家の直面する課題であろう。
福田の言葉で言えば、「安定を嫌ふ精神の安定、造型性をのがれようとする精神の造型、真実をつねに懐疑する精神の真実 —— その保証と定着とは、はたして可能であらうか」、そういう問いかけとなる。
これこそ批評家が本当に対峙せねばならぬ問いである。そこで福田はまたしても、ひとつの解答を小林秀雄の仕事に見出す。
その後、批評家として福田が辿った道は小林の道と如何に共通し、如何に相違したか。それは私の大きな関心事である。
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