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大瀧神社に伝わる忠犬「小石丸」には「鎮平六」という子孫がいて「メタテカイ」という親がいた!

滋賀県多賀町富之尾に鎮座する大瀧神社。その横を流れる犬上川、大蛇ヶ淵は、湖東流紋岩の巨石と美しい水の流れと紅葉の名所です。
この大蛇ヶ淵には、あまりにも悲しい忠犬「小石丸」の民話が伝わっています。
ご主人様を大蛇から守った忠犬小石丸には、実は「鎮平六(ちんぺいろく)」という子孫がいることが発覚?!
「近江の国の犬上郡に鎮平六という犬がおって、そのばけものを たいじしてくれるであろう。その犬の力をかりるがよい。」と、丹波のバケモノ退治に多賀から行っていることを、丹波篠山の方に教えていただき知りました。別の見方をすると、人と川の関わり、水を司る需要な場所を支配した豪族の権力が民話の中に見え隠れして、それが丹波にも及んでいたということでしょうか・・・。
小石丸と鎮平六の物語、古く伝わる説話もありますが、分かりやすい民話集からそれぞれ引用しました。
そして、小石丸の親もまたバケモノ退治をしていました・・・。


大瀧神社
本殿建物は、寛永15年(1638)に多賀大社造営とともに建立されています。
徳川家光が病気平癒を祈願したとも伝えられています。葵の紋が見られます。
忠犬小石丸の絵馬は川相地区の礒野公子さんの絵
その下には、大滝地区出身の楽天 則本昂大選手のサイン絵馬
大蛇ヶ淵
大蛇ヶ淵は、湖東流紋岩

犬胴松(小石丸のはなし)


 犬上川の清流をさかのぼって木の鳥居をくぐっていくと、富之尾のはずれに生い茂った荘厳な森があります。その奥まった所にあるのが大瀧神社で、「滝の宮」とも言われ、この付近は奇石、怪石に富み、流れは急流でまさに絶景の地ともいえましょう。
 このお宮の入り口の山の手の方に、玉垣に囲まれた大きな松の老木が目につき、前にある階段の上がりぎわに、「犬胴松」と刻まれた石標が建てられております。昔はこの付近一帯は、御館野(みたちの)と呼ばれて緑の木がうっそうと茂り、幽谷不知瀬(ゆうこくふちせ)の川(犬上川)には大蛇が住んでいたと言うことです。この道を行き来する人びとは、大蛇が出ることを恐れ、
「何とか退治してほしいものだ。」
と願っていました。
 時に、「稲依別王命」と言う大へん猟の好きな命(みこと)がおられ、「小石丸」という愛犬を連れてあちこちと歩いて猟を楽しんでおられました。
 ある日、この付近を徘徊されて非常にお疲れになり、松の木陰で休んでおられるうち、そよ風と共にうつら、うつらと居眠りをなさいました。その時、にわかに愛犬「小石丸」が吠えだしましたので、せっかく気持ちよく居眠り始めた時なので命は腹を立て、
「やかましい、静かにしろ!」 
とどなりつけましたが、犬はなかなか止めません。それどころか金切り声でますます吠えたてるので、あまりのことに腰の刀を抜いて
「ズバリ!」
と犬のくびを跳飛ばしてしまわれました。
 ところが、どうでしょう。跳飛ばされた犬の首が、「バッ!」と飛び上がり、命の頭上の木で、命を襲いかかっていた大蛇の、のどに咬みつき、大蛇は犬の首にかみつかれたまま命の前に、パッタリと落ちて死んでしまいました。忠犬に助けられて命拾いした命は、愛犬「小石丸」のために、祠をお建てになり、愛犬の恩に報いられたと言うことです。
 犬上明神と言われ現在、大瀧神社の境内神社として「犬上神社」があり、祭神稲依別王命であるということです。そうしてこの忠犬「小石丸」の死がいを埋めて、その上に弔いの木を植えた松が「犬胴松」と呼ばれ、今日も残されているのですが、当時の松は枯れ、その跡へ植えられた二世の太い松は今の「犬胴松」です。

『多賀町の民話集』
犬胴松
こいしまる自動販売機は、おおたき里づくりネットワークさんが考案
普段神職さんがおられないので、御朱印やお守りがここでいただけます。
そして、こいしまるのロゴのグッズや大滝地区のモノも販売されています。

犬飼ものがたり(鎮平六のはなし)

 この村はのう。昔から犬が村の守り神さんとして大事に飼われとったんじゃよ。
 なにしろ犬飼村というくらいやさかいのう。
 犬飼村の大歳神社は、今は古市の国道ぞいにまつってあるけど、昔は川向こうの向山というさみしいところにまつってあってのう。
 そのころのことやった。
 はやり病がはやってのう。
 一年のうちに五人も六人ものうなってしまうんじゃ。
 そんな年がつづき、村中はかなしみにつつまれておったんじゃ。
 こまってしもた村の人たちは、毎晩よりおうてそうだんしたんや。
「こまったもんじゃ」
「どうしたらよかろうのう。」
「これは、みんなが言うとるように神さんのたたりにちがいない。」
「神さんのおいかりをしずめるためには、人身御供をお供えするしかあるまい。」
「せやけど、だれが人身御供をつとめてくれるんじゃ。」
「くじびきできめんと しょうがないやろがな。」
そないして、人身御供の役があたったのは なんと八つのみよちゃんやった。
 みよちゃんの家では びっくりぎょうてん、かなしゅうて かなしゅうて
「なんとか おみよを おたすけください。」と、一心に神さんにおいのりをつづけとったんや。
 そうしたら、戌の日のあけ方 おみよの父さんのまくら元にまばゆい光とともに かみさんがあらわれて、
「これは ばけもののしわざである。近江の国の犬上郡に鎮平六という犬がおって、そのばけものを たいじしてくれるであろう。その犬の力をかりるがよい。」
という おつげがあてのう。
 そこで、村のわかいしゅうたちが鎮平六をかりてきて、おねがいしてみることにしたんじゃよ。
 いよいよ祭りの晩、鎮平六をはこに入れて お供えしておいた。
 わかいしゅうたちは、お宮のえんの下や 木や草むらのかげにかくれて、弓や刀をかまえて 目を光らせて まておった。
 しいんと しずまりかえったま夜中、山がわれるかと思うほど大きな地ひびきがして 大きなばけものが あらわれた。
 お供えに 手をかけようとしたとたん、鎮平六が うなり声をあげて とびだした。
 ものすごいことになった。
 鎮平六と ばけものが たたかうさけび声は、山中にひびきわたった。
 わかいしゅうたちが 助太刀するまもなかったが、そのうち力つきた ばけものが えんがわから ころげおちてしもうた。
 そのしゅんかん。
 みんなでうちこんで ばけものを たいじすることができたんじゃ。
 そのばけものの正体は 三つ目の大きな 古だぬきじゃったそうな。
 それから 犬飼村の氏子たちには しあわせなくらしが もどって来たんじゃ。
 村では、お礼の気持ちをこめて 鎮平六を だいじにだいじに 飼っておったんじゃが、とうとう なくなってしもうた。
 村では、形見の爪をのこして、なきがらは 近江のふるさとへ送りとどけたんじゃ。
 今も 近江の国 犬上郡の 多賀神社に まつられておるそうじゃ。
 そうして、この年から 毎年十二月の初めの戌の日に氏神さんのお祭りをすることになったんじゃ。
 村の名前も 昔は本郷村と言うたが この時から 犬飼村にかえたんじゃよ。 

『丹波のむかしばなし』

鎮平六のことが気になって、兵庫県丹波篠山市の大歳神社に行ってきました。


多賀町と似た風景で、一面田んぼと山に囲まれたところでした

鎮平六(ちんぺいろく)という、半濁直音が入り、ちょっと可愛らしく聞こえる名前で、『植物に学ぶ生存戦略』のタンポポを連想してしまいました。
しかし、鎮平とは鎮兵という説もあり、可愛らしくない物騒な響きが感じられます。滋賀県の豪族犬上氏との関連を語るサイトも。
大歳神社の人身御供を伝える謎の神事を取材した『丹波新聞』記事も気になりましたので、下記リンクでご紹介します。

小石丸シルク

ちなみに、「小石丸」と検索したら一番に出てくるのが、「小石丸シルク」に驚きました。在来蚕の希少種だとか。小石丸は白いフワフワの蚕繭のようなわんちゃんだったのでしょうね。
この地も、戦後まもなくまでは養蚕をしていました。もしかしたら大滝の地でも「小石丸」蚕が育てられていたのかもしれません、と勝手に妄想しています。

小石丸の親「メタテカイ(メケンゲ・メケンギャ)」も!

長浜市平方町の平方八幡宮に祀られているメタテカイは小石丸の親??
鎮平六の話と同じく、バケモノ退治をしたメタテカイ。『三国伝記』に「比良河ノ目検校ト犬子ニ小石丸(ひらかたのメケンゲという犬の子で小石丸)」と書かれていると教えていただきまいた。
バケモノ退治をする犬の血統おそるべし。


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