読書したものをまとめて感想と概要を投稿していくメモ用アカウント

読書したものをまとめて感想と概要を投稿していくメモ用アカウント

最近の記事

20210821沙中の回廊(士会)(宮城谷昌光)

晋に仕えた士氏の士会の話。最初は惠公とその子懐公に仕えた郤芮が文公が即位するのに反発して反乱を起こしたところから始まり、士会が文公の重臣である先軫に仕えて反乱をおさめるのに加わってから大臣になるまでの話。 士会が趙盾の君主擁立の動きに信義が無いことに反論するべく秦に亡命したが、士会の戦が天才的すぎるので晋に呼び戻されたなど、軍事の天才として扱われる。小説では士会の戦も鮮やかに描かれているものの、どちらかといえば他の家臣達の政策闘争の中で士会がどのように動いているかを中心に描か

    • 20210729介之推(宮城谷昌光)

      史実はさておき小説としては結構くるものがありました。 重耳についた家臣の1人「介推」の物語。 史実をちゃんと読んだわけではないけれど、この本では虎がテーマになっているように思いました。我が友李徴の虎と同じニュアンスを感じます。この小説での虎は最初は実態としての虎だったのですが、その虎に悪霊、欲望、人の醜さを重ねて描いているという感じを受けました。最後は天の道を人の欲望へとすり替えたことに対し、虎に食われそうになっていると表現しています。 介之推は仕えた重耳に対して天の助けを

      • 20210728 重耳

        春秋の覇者晋の文公の一生を描いた話。周王朝の分家(時の周の太子がその弟に遊びで土地をやると封じた結果)が起こりである晋は、何世代かした後に、分裂した兄弟の子孫が反目し合い、翼と曲沃に分裂。その後、晋の武侯(称。文公の祖父)により晋が統一される。武侯が没すると詭諸が即位。詭諸の子は10人弱いるが、その中でも申生、重耳、夷吾が特に優秀とされた。しかし、詭諸の代に驪戎討伐をした際、詭諸は捕虜として手に入れた驪姫に入れ込み、奚斉を産んだ。奚斉を太子にしたい驪姫は、献帝にささやき申生、

        • 20200506中国古代の生活史

          中国古代の生活史 ・装飾は軟玉製品 前7にはあった(墓に埋葬されてた)。けつ状(円の一か所が切れていて、切れ目から耳たぶの穴あけたとこに通して、切れ目が下に来るように装着)の耳飾りなど。 前8-5は男女がけつ状耳飾りをつけていた。 ・石器時代の家屋:竪穴住居のほか、泥と木で作った家屋。焼き固めたり、石灰を塗ったりして湿気を防ぐ ・前2千年の建物:版築、かやぶき。中庭あり。堂(前面が吹き抜け、壁がない)と室(4面壁)から成っている。これらはおそらく農民ではなく、それなりの身分の

        20210821沙中の回廊(士会)(宮城谷昌光)

          20200119宮城谷管仲上下巻+徳間管子

          <宮城谷管仲>●概要● 古くから周に仕える召公へ遊学した斉の鮑叔は、そこで管仲に出会う。管仲は高弟として鮑叔を教え、2人は互いの才能を認め合った。管仲の兄が亡くなり故郷へ戻ると、鮑叔は旅に出て旅先で鄭の太子に会う。しばらく太子の元にいた後、斉君に召されて管仲とともに斉の公子の傅となる。 管仲と学友の召忽は糾に仕え、鮑叔は小白に仕えた。斉の僖公が薨ずると襄公が即位したが、襄公は暴政を行った。襄公による小白の迫害を見て、鮑叔は小白を伴って莒国へ亡命。一方糾は斉にとどまったが、僖

          20200119宮城谷管仲上下巻+徳間管子

          宮城谷楽毅1-4巻

          ●概要● 中山国出身の楽毅は斉に3年間留学。帰国後に趙の武霊王の狄討伐の動きを知り、太子と共に魏へ支援要請に行く。中山王は愛人の子供を王につけるべく太子暗殺を計画、それを避けながら中山国に帰国。その後太子は将軍として楽毅を軍師とし趙の侵略に備える。趙の武霊王は中山国を横断しようとするも、太子と楽毅の応戦により撤退。その後中山国が外交政策を打たぬ間に、再度武霊王が中山へ侵攻。楽毅と太子は離れた城に配置され、楽毅は太子の身を案じながらも西の塞を守りきる。2巻へ。 戦いで楽毅は

          宮城谷楽毅1-4巻

          呉子

          「むかし諸侯の1人であった承桑氏は徳を重んじて武備を廃したため国を滅ぼしてしまいましたし、友扈氏は兵力の数をたのみとして、武勇を好んだため、国家を失う結果となりました。聡明な君主はこれらの教訓に学び、内には文徳をおさめ外には武備を整えるものです。敵が攻めてきても戦争は正義に非ずとして進もうとしないのは、義とは言えませんし、戦死者の屍を見て悲しんでいるだけでは仁とは言えません」 →武備を廃した状況とは?進もうとしないの状況とは?国から軍隊をなくしたのか、武器をなくしのか、守りだ

          史実としての三国志(1回目)

          ・中国歴史学の究極目的はあるべき歴史観や理念を表現すふこと、倫理的な手本となること ・黄巾の乱は前までは農民反乱という見方が強かったけど近年では国家転覆のクーデターだったという見方が強い組織の規模やそれを維持する経済力、掲げるイデオロギー、朝廷に対し内部工作を行なった様子からも、やはり主導していたのは一部の豪族、知識人だったのだろう ・暗君の代名詞となっていた霊帝も、石井仁の研究により、時代の混迷に対処すべく革新的な政策を試みていたことが明らかになっている(功を奏してはいない

          史実としての三国志(1回目)

          三国志 演技から正史、そして史実へ(1回目)

          ③三国志 演技から正史、そして史実へ ・抄本:一部を抜き書きした書物 ・司馬懿を走らせたのはあくまで姜維や楊儀の軍 ・王沈『魏書』曹操は董卓の計画が必ず失敗に終わると判断したので郷里へ逃げた ・正閠論:中国に複数の国家が並立したり国家間の継承関係に疑義がある場合にどの国家が正当であるかを論ずるもの ・皇帝の廃立により独裁権を握ろうとした董卓に反対したのは丁原、呂布とともに董卓を破るが、董卓が金と馬で呂布を釣り丁原を殺害した。その後袁紹が反対するも、袁紹は冀州へ立ち去る。 ・名

          三国志 演技から正史、そして史実へ(1回目)

          泣き虫弱虫諸葛孔明(1回目)

          ②酒見先生を読んでの考察必要リスト ・劉備は孔明に対し三顧の礼をして迎えるが、実際に最初の頃は全く孔明の意見を聞いていない。何故か→長坂坡の時点で孔明はまだ半年しか劉備たちのもとにいないため信用ならなかったから。(この時代は若造の年齢はどのくらいか?また人材を抜擢する時、普通は最初にどのくらいの役職につけるのか調べる) ・魯粛は劉表が死んだと聞いて弔問を建前に劉琮と組もうとした。しかし事間に合わず曹操が先に荊州を降してしまう。その時に当陽の劉備の元を訪れ、共に江陵に向かうこと

          泣き虫弱虫諸葛孔明(1回目)

          きらめく群像(1回目)

          ・後漢書の「後」とは「続」という意味。 ・都の位置で国が西漢・東漢となったりする ・中国は天子を中心にして円錐状になっている。天子がいるところを中国と言う ・史書において「志」とは、天文・地理・制度・礼儀・音楽等のことを指す。三国志にはそれがない。 ・張郃は元々袁紹の配下だったが、官渡の戦いで曹操の陣営を攻撃した際に負けて降った ・曹操が徐州を攻撃→劉備が袁紹のもとへ逃れる ・董卓死後、都を洛陽に戻すべく李傕・郭汜・董承その他とともに洛陽に向かうが、互いに反目しあい1年もかか

          きらめく群像(1回目)