見出し画像

20210821沙中の回廊(士会)(宮城谷昌光)

晋に仕えた士氏の士会の話。最初は惠公とその子懐公に仕えた郤芮が文公が即位するのに反発して反乱を起こしたところから始まり、士会が文公の重臣である先軫に仕えて反乱をおさめるのに加わってから大臣になるまでの話。
士会が趙盾の君主擁立の動きに信義が無いことに反論するべく秦に亡命したが、士会の戦が天才的すぎるので晋に呼び戻されたなど、軍事の天才として扱われる。小説では士会の戦も鮮やかに描かれているものの、どちらかといえば他の家臣達の政策闘争の中で士会がどのように動いているかを中心に描かれており、士会の他の大臣に対する考え方が丁寧に描かれている。洞察力があり非常に謙虚で、どんなに理不尽な人間もさりげなく助けようとするところに考え方というよりは人格の深さがある。こうしようと意識して思うよりも、普段見ている感じている何かから、自然にそのような行動ができる人間というような描写で、人格者というのはそういうものではないかとこの小説の士会を見ていて感じた。
通して、士会の人生にあまり欠陥がなさそうな印象を受けたので、どちらかと言うと荀林父の、拙いが、悩み、最終的には成長する描写の方が、人間味があって共感できた。士会の荀林父に対する「人は何歳になっても成長する」という言葉が好きで、いつまでも成長することをやめずに年齢によらず謙虚さを保つ・考え方を改めることの大切さがわかる。
あと、荀林父といえば鄭に遠征した時に戦わなくていいのに楚と戦って負け、川を渡って軍を逃す時に、兵士たちがわれ先にと船に乗り込むものだから、船の上にいる兵士たちが、船にしがみつく兵士たちの指を切って川を渡る話があって、むごすぎて見ていられなかった。戦に負けたことを失敗として、それをなんらかの形で許されるのを中国史では散見するけど、それでいいのか、と思うのは現代人の考え方なんだろう。最終的に先穀が責任を負ったが、彼が反乱を起こそうとしたので族滅されてしまった。今も昔も誰かに責任をとってもらい気持ちを収めるのは変わらないんだなと。先軫が文公の擁立に非常に貢献したのに、曾孫で族滅されるのを見て無常を感じた。結局人は親や祖父母、先祖の功ではなく、今生きている本人がどのような人物かにかかっているし、余計な盛名を背負って生まれてくるだけに、不幸になってしまうこともある。

いつになったらもっとマシな感想を持てるようになるのか...

●好きだった文●
①(鄭を攻めた後に楚軍と戦わなくて良かったのに戦うことになってしまった際)荀林父は使者の選定を誤った。この過誤さえなければ、大戦を避けることができ、荀林父は汚名に塗れることはなかったであろう。そう思うと、人は切所において、生き方の全てが露呈するのであり、荀林父の生き方に甘さがあったことは否定できない。
②(先の戦いで先穀がなくなり、先氏が滅んだ際の士会の言葉)わたしは先穀を助けなかった。悖乱(はいらん)をなした者には与することができなかったためだ。なんじらも、先穀が堕ちていった悖道に踏み込めば、友誼のある郤氏でも助けてくれぬ。天に滅ぼされようとする者を助けられる者は1人もおらぬ。祀るものがいなくなった墳塋(ふんえい)をよく見ておけ。
③荀林父は心の深いところで士会に負けまいとしてきた。つねに荀林父は司会より上の地位にいたが、士会の声望の高さに及ばぬ自分を感じ、不快をおぼえ、いらだっていた。先穀が功を立てようと焦るあまり自滅したことを嗤えない。先穀も自分と同じように士会を敵視してきたのではなかったか。しかし河水南岸のヒツで醜態を晒してから、士会を壅隔(ようかく)していたものが崩れ落ちた。同時に、荀林父は己の器量がどの程度かわかった。すると、士会から温かさが通ってきた。全てにおいて及ばぬ、としか言いようがない。こういう認識力もむろん士会に及ばぬであろう。それでも荀林父の胸中にいやなさわがしさはない。むしろほがらかになった。このような老齢になって、ようやく人がみえた、という、ひそかな愉逸がある。人が見えると物事が見える。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?