20210728 重耳
春秋の覇者晋の文公の一生を描いた話。周王朝の分家(時の周の太子がその弟に遊びで土地をやると封じた結果)が起こりである晋は、何世代かした後に、分裂した兄弟の子孫が反目し合い、翼と曲沃に分裂。その後、晋の武侯(称。文公の祖父)により晋が統一される。武侯が没すると詭諸が即位。詭諸の子は10人弱いるが、その中でも申生、重耳、夷吾が特に優秀とされた。しかし、詭諸の代に驪戎討伐をした際、詭諸は捕虜として手に入れた驪姫に入れ込み、奚斉を産んだ。奚斉を太子にしたい驪姫は、献帝にささやき申生、重耳、夷吾を首都から追い出し、奚斉を太子にしてしまった。申生は自殺を迫られ自殺、重耳は母の故郷の北狄へ逃亡、夷吾も他国へ亡命。詭諸が亡くなった際、詭諸の旧臣が奚斉・驪姫の一族を皆殺しにした。夷吾はそこは乗りこみ、新たに君主となったが、重耳の名声が高いために重耳へ暗殺者を送る。寵児は各国を流浪し、逃亡することとなった。重耳は北狄から脱出後、衛、斉、曹、宋、鄭、楚、秦と巡り、弟の夷吾が亡くなったことを聞きつけ秦をバックに晋に帰国、即位していた夷吾の子を殺して即位した。それから9年間、名臣と明君のもと国力を上げ、覇者となった。
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