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20210729介之推(宮城谷昌光)

史実はさておき小説としては結構くるものがありました。
重耳についた家臣の1人「介推」の物語。

史実をちゃんと読んだわけではないけれど、この本では虎がテーマになっているように思いました。我が友李徴の虎と同じニュアンスを感じます。この小説での虎は最初は実態としての虎だったのですが、その虎に悪霊、欲望、人の醜さを重ねて描いているという感じを受けました。最後は天の道を人の欲望へとすり替えたことに対し、虎に食われそうになっていると表現しています。
介之推は仕えた重耳に対して天の助けを見出し、天に導かれた重耳に最後までついていくという心持ちでいたところ、重耳の重臣狐偃が最後に遠回しに褒賞をせがみ、それに応える重耳を見て、落胆します。正直当時の「天」の概念がよく理解できないのでなんともですが、介之推は、重耳を導いたのは「天」であり、個人の誰かではないと考えていたので、狐偃が自分の功績を忘れないようにしていただきたいと暗に発言したことが、天から功績を奪って人に功績を落とすことで重耳の天による道を汚した、と思った、ということだと思います。
介之推が「天」をどういう気持ちで言っているのか分かりませんが、仮に介之推が「天」に導かれたことを誰か人間の功績にすることを批判しているのであれば、重耳が介之推という賢臣の行方不明に気づいた後の対処は全く的外れなものではないかと思います。なぜなら、介之推が本心から天が導いてくれたと思っていれば、自分に褒賞を望まないだろうし、介之推のみへの褒賞ではなく、共に戦った全ての民への褒賞であるべきだと考えるはずだからです。従者が門にかけた文字を見るに、読んだ方がそこまで考えが至るような書き方をしておらず、介之推が表彰されなかったことを恨むような書き振りだったのも問題な気がしますが。逆にそうであれば、従者の文字こそが介之推の信念を最後に汚したとも思われます。
ところで個人的な考えではありますが、重耳が天に生かされたという事実だけで周りの人間の苦労が報われるわけではなく、結局は個人の頑張りも重耳が生きていることに繋がっているので、褒賞無しというのは考えられないと思います。ですので、なんらかの形で褒賞はあって欲しい、大事に扱って欲しい、というのは各々あるはずで、それを「天」と便利な言葉で濁し、褒賞をせびるな、と言うのはどうかなと思います。これだけ支えたのだから、と思う気持ちを言葉にするかしないかの違いであり、介之推が違和感を持ったのは自分もなんらかの役に立っていると感じたからであり、そう感じているということは、彼もどこかで自分が認められるべきだと思っていた証拠になるのではないでしょうか。自分に功績があったと言えば自分も同じことをしたことになる、と言うけれど、逆に言えば、介之推の考え方ではみんな言わずに我慢することを強要していることになり、それが美徳と言えばそれまでですが、みんなで不幸になるという意味では、最も自己中心的な考え方ではないか、とも思います。自分だけが不幸になればいいじゃないか、と思いますが...自分がそういう人間だからですかね。
人間美徳に従って生きられないものだし、だからこそ美徳に従わないことを前提に君主を諌めることもあるし、そうでなく美徳に従うような完璧超人であることを重耳の配下に強要する介之推の方が、自分の理想を他人に押し付けるような厚かましさを感じますね。

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