史実としての三国志(1回目)
・中国歴史学の究極目的はあるべき歴史観や理念を表現すふこと、倫理的な手本となること
・黄巾の乱は前までは農民反乱という見方が強かったけど近年では国家転覆のクーデターだったという見方が強い組織の規模やそれを維持する経済力、掲げるイデオロギー、朝廷に対し内部工作を行なった様子からも、やはり主導していたのは一部の豪族、知識人だったのだろう
・暗君の代名詞となっていた霊帝も、石井仁の研究により、時代の混迷に対処すべく革新的な政策を試みていたことが明らかになっている(功を奏してはいない)
・儒教では男とみなされない宦官による支配は好まれず、皇帝の権力を軽視した清流派が台頭、独特のコミュニティを形成
・曹操が徐州の劉備を攻める時に田豊が袁紹に南下するよう進言したが子供の病気を理由に拒んなとあるがこれは流石に優柔不断を強調する作り話ではないか?きっと袁紹にはほかに進言をいれられない理由があったのだろう。→考えられる理由としては何があるか?
・袁紹が優柔不断なのではなく、名士同士の派閥争いでことごとく意見が違ったため、それを裁くのに躓いた
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