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Answer「p10」

「p9」(前話)



 2023年10月10日。

「ねぇはるか。タクミの漫画って、読んだことある?」
 急に電話をかけてきて、何をいきなり――美咲の行動はいつも斜め上からやってくる。
「えー。ないよそんなの」
 あるわけがない。
「やっぱりね。一度読んでみた方がいいよ~」
「なんで。おもしろいの? 美咲は読んだってこと?」
「まぁ。――それより萌のことよ」
「え。あぁそう。親が絡んでくると難しいよね」
「なにが難しいのよ。結局ふたりがどうしたいかでしょう? あたし、萌に連絡してみる」
「え、ちょっとそれは」
 なんだか告げ口したみたいで心苦しい。
「あたしもさ、話したいと思ってたんだよね。まぁ任せてよ」
「任せてって」
 言われたところで「うん解った」とはいかないうえに、不安しかない。
「そうじゃなくてさ」
「いいからさ。あんたはカナタクミ、、、、、先生の作品でも読んでなさいよ」
「ぇ、ちょ…美咲っ」
 そして電話は一方的に切れた。
「なんなの?」
 カナタクミ…とは、タクミのペンネームである。
 仕事柄、そういうものはイヤでも目に入ってくるし、噂も耳にする。幸いなのは、自社企画で単行本化の話が持ち上がってこなかったことだ。直接出版に係ってはいないとはいえ、どこで顔を合わせるか解らない。


 2023年10月12日。

 美咲が部屋を出て行き、冷蔵庫にストックされていた作り置きのタッパーがひとつ減りふたつ減り…そういえば「ひとりだった」と、元の静かな生活に落ち着きを感じた頃、その日、、、はやってきた。
 電子レンジの解凍を知らせる「チン」の音とともに現れた文字は、細々として頼りなかった。

34歳のはるかへ
こういうことだったのか
ケンカって p

 あぁ、あの頃のわたしが泣いている――。

(結局ダメだったか)
 やはり、史実はそう簡単には変えられないということだ。クリスマスの悲劇はそのままやってきた。
「まぁ、そうだよね」
 今の自分の立場はどうあれ、あの頃のはるか自分には、もう少し夢を見ていて欲しかった。もはや母心か。
(あんな気持ち…)
 当時の苦痛がやってくるかと身構えていたが、不思議と心は落ち着いていた。

どうすればよかったのかな
彼女のことなんて どうでもいいって
無視していればよかったのかな p

「んな、わけ…!」
 あぁそうだ。そんなこともあった。これ彼女については怒りしかない。結局あのあとどうしたんだっけ?
 すっかり忘れていたが、結局自分は、タクミにとってなんだったんだろう?――未だにそれが解らない。

34才はるか
今 しあわせ? p

 どうだろう? 「しあわせ」について、改めて考えたこともなかったが、生活に困ることもなければ、大病を患っているわけでもない。いや、
(そんなこと聞かれてるわけじゃないんだよな)
 でも「この世の終わり」のような気持ちを抱える彼女はるかよりは、

うん
34才のはるかは しあわせだよ p

 仕事は順調。プライベートに気を煩わされることもなく、なにごともなく過ごせている。なにごともなく…なにもない。
 ぽつぽつと、頼りない言葉の中でなにを考えている?
「あれ? なに、ちょっと」

字が消えるよ p

 こんな別れ方?
「待って…」

わたしのほうも p

 はるか、大丈夫?

ありがとね p

 わたしは、大丈夫…?――だと思う。
 隣にだれかがいれば、また気持ちも違ったのかな。もっと気の利いた言葉も出て来ただろうか。

 過去は変えられない。でも未来は――⁉

また会える
2023年に

 はるかはひとり自分なのに「また会える」って…と、自分に呆れて小さく笑った。
 こんな虚しい気持ちを抱えた今の自分に会ったところで、2016年のはるかは納得するだろうか。がっかり…するかもしれない。
(これで終わり、なのよね?)
 なんとあっけなく、後味の悪い終わりなのだろう。彼女が自分なのだとしても、この空虚感は――。

 またしばらくしたら文字が浮かんでくるだろうか?

 だが手帳のページは、2016年の記憶だけを残して何事もなかったかのように、ただの過去の記録に戻った。
(夢、だったのかな)

 

 2023年10月18日。

「週末セールに行くよ」
 相変わらずの弾丸電話コールにもいい加減慣れた。
「セール?」
「来月4日でしょ。金曜からセールだし、行くよね?」
 テニスサークルの会合は目前に迫っていた。
「行くよね…って」
 行く前提で畳みかけてくるところが美咲らしい。
「萌も誘ったんだ」
「ぇ出れるって?」
 先週末、美咲が出先から帰った足で「萌の家に行く」と言い出した時は、どうなることかと心配で一緒に出掛けて行ったが、なかなかに険悪な雰囲気で玄関先で失礼した。そのあと運よく梶先輩に出くわしたことで少し風向きが変わったのかもしれない。
「実質先輩は在宅ワークだから、週末は無理すれば萌が出掛けることも可能なわけよ。まぁいつまで続くか解らないけど」
「またぁ」
 詳しい話を聞いたわけではないが、どうやらあの日、萌の家では家族会議がなされたらしい。あれから美咲が、萌と連絡を取り合っているのか、あえて聞きもしなかったが、この様子からするとなにか変化があったようだ。
(でも、よかった)
 新しい風が吹き込んだらしい。

(わたしも…)
 いつまでも過去にとらわれているわけにはいかない。
 美咲じゃないが、新しい服を買ってばっちりキメて気分を変えて行こう。せめて、2016年のはるかが「大人になるのも悪くない」と感じられるくらいには、今の自分は大人に強くなった。

 あの頃の自分は、どんな大人になりたかった?――少なからず未来の展望というものがあったはず。

 あの頃の自分も決して弱かったわけではない。そりゃぁ、恋に夢見ていたのも事実。だが、タクミなしでは生きられないほど頼りないわけではなかった。それとは別に、思い描いていた理想の女性像があったはずなのだ。たとえ隣にタクミがいなくても。
(そう。胸を張って…!)
 あの頃の自分に恥じない生き方をしよう。


 2023年10月21日。

「――で?」
 待ち合わせた駅で顔を見るなり、美咲はいきなり顔を覗き込んでそう言った。
「で?・って」
「はるかは、タクミの漫画読んだ?」
「またぁ?」
 美咲がなにを期待しているのか解らないが、今さら漫画を読めと言われたところで「OK」とはいかないのが現状だ。
「萌はどう思う? 読んだのよね?」
「え? 読んだの?」
「うん。美咲に言われて少し」
「萌にまで進めたの? なんかあるわけ?」
 なにか意図があるのか、それともただ単に面白い?…とか。
「別になにもないけど。萌はどう思った? あれ、はるかのことだと思わなかった?」
「え? わたしの話なの?」
「ぜんぜん」
「はぁ?」
「だから読めって言ったのよ。はるかがどう感じるのか」
「なにそれ。わけわかんない」
 正直、少し胸がざわついた。だからといってわざわざ、自分から元カレの現状を探るような真似はどうも「負けた気」がしておいそれとできるものではない。
 今さら読んだところでなにが変わるというのか。
(別に、そこに変化を求めなくてもいいのか…?)

 2016年のはるかとのやり取りがあったせいか、意識しなくても「タクミ」の名前がチラつくというのに、なぜ7年も経った今、目の前にいもしない人間の名前がこうも浮遊するのだろう。
「それ、面白いの?」
「お。興味持った?」
「そういうわけじゃないけど。美咲が漫画好きとは思わなかったから」
「まぁね。あたしもさ、たまたま見掛けたのよ。ネット検索とかしてると出て来るじゃない? 見たくもないCMが」
「あぁ、そうね」
 でもその程度なら、こうも進めてくる理由が解らない。
「タイムリープっての? こう…過去とやり取りするみたいな、そういう話」
「タイムリープ⁉」
 その言葉に耳を疑った。
「主人公は男なんだけどさ。同棲してた彼女が出てっちゃうところから始まるのよ」
 一瞬、目に力が入るのを抑えられなかった。
「なに、それ」
(わたし、出てってないけど?)
 なんだったらずっと同じ所にいる…まぁそれはいい。

 解りにくい美咲の話を要約すると――

うだつのあがらない主人公に嫌気がさした彼女が去った後、なんと彼女は不慮の事故で命を落としてしまう。いつものように平謝りでヨリを戻そうと考えていた主人公は激しく後悔、呆然と日々を過ごしていた。
そんな主人公に仕事の話が舞い込み、それまでうまくいかなかったことが次々と好転、悲しむ余裕もないほどに日常が目まぐるしく過ぎていく。
ふたりは同棲していた頃、それぞれの予定を冷蔵庫に付箋やメモを貼ってやり取りしていた。ある時冷蔵庫を開けると、彼女の残していった付箋が剥がれ落ち、主人公は捨てずに冷蔵庫に貼り直す。そしてそれまでのように自分もまたメモを残して出掛けて行く。すると、あるはずのないことが起こる。
仕事から戻ると、冷蔵庫に新しく、彼女からのメモが残されていた。

 ――どこかで聞いたような展開。

「それでどうしたの?」
「だから、その主人公は彼女が死なないように、メモで誘導するわけよ」
「それで結末は」
「まだよ。これからクライマックスで彼女が死ぬか生きるかなんでしょ」
「それがあたしだっていうの?」
「だって、同棲してたじゃない」
「いや、あれは同棲というのか」

「そもそも名前を考えてみて。タクミのペンネーム」
「カナ・タクミ?」
「カナタ・クミよ。区切るとこ間違えてる。はるか、かなた、、、、じゃないの?」
「なにそのこじつけ」
 そんなこと考えたこともなかった。
はるか、、、タクミにはできなかったんでしょ」
「それは出来過ぎ」
「いい切れるの?」
「知らないわよっ」

「今回の幹事だれ?」
 美咲は唐突に萌に尋ねた。
「場所を見る限り、いつものひとじゃないと思う。そもそも発起人がだれか解ってないんだよね」
 いつもなら、発起人はだいたいいちばん盛り上がっていた梶先輩の年代のだれかか、その上のOBが常だった。だからこそ、当たり前のように自分のLINEにも連絡網が回ってくるのだ。
「ほらね。タクミかもよ」
「んなわけ。だいたいメンバーって言えるの?」
 そもそもタクミは他大学だったこともあり、サークルに所属していたといっても、参加したのは数えるほどなのだ。

 その日はとても落ち着いて買い物などできなかった。
 アパートに帰るなり、再びしまい込んだ鍵付きの箱を引っ張り出し「こぎん刺し」の手帳を開いた。無我夢中でページを捲る自分は、往生際が悪い…とも思う。だが、
「やっぱり、ない」
 あるわけがない。あんな劇的ともいえる別れをしておいて、今さら文字が浮かんでくるとも思えない。
 でもなぜだろう――胸騒ぎがする。
 すると、バッグの中のスマートフォンから、聞きなれない呼び出し音が鳴った。
「なに?」
 急いで取り出し画面を見ると、SNSアカウントへのメッセージ通知だった。
「だれ?」
 SNSなんて、最初のころこそマメに更新していたが、ここしばらくは放置状態だ。
 いたずら? なりすまし? のっとり?
 思わずスマートフォンを取り落とす。
「嘘…でしょ」

お久しぶりです
オレのこと覚えてるかな?
来月のテニサーの会合は出席しますか?
参加してもしなくても、会合の後にでも会えないかな?

タクミ

 胸を張って、あの頃に恥じない生き方を――!


                           《 了 》

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