ひな人形

世界一のストーカー

引っ越しをして、慣れない土地に住むようになってから妙な癖がついた。
子どもたちが玄関を出たあと、窓越しに後姿を確認し、姿が見えなくなってもつい耳を澄ませてしまうのだ。なにも聞こえてこないと安堵する。こんな時の取り越し苦労は大いに歓迎だ。

母親のこうした取り越し苦労は、子どもが生まれた瞬間から始まった。
「守りたい…!」ただその一心だ。この世で唯一自慢の宝物、神様がくれた大事な大事な輝く命。ふたり目を授かってからはますます取り越し苦労は増した。なぜなら子どもは成長する。一個人、成長して歩いて、ゆくゆく母親の知らない時間を過ごすことになる。子どもはふたりだが当然ながら母はひとり。ひとりひとりに24時間ついていられない、それが不安の種。だが、心配することは母親の特権だと思っていた。

自宅を出て間もなく、学校へ向かう通学路の途中に車通りの多い通りがある。子どもたちを信用していないわけではない。だがここは慣れない土地、救急車の音が響いてこないかと耳を澄ませてしまうのだった。
これは悪い癖、最悪を想像するなどもってのほかだが、しばらくはやめられなかった。

子どもたちも成長し、ママ友もできた。お気に入りのお店もでき、ようやっとこの土地の生活に慣れたころ、脅威は訪れた。

娘が高校生になったある日のこと、いつも通りに子どもたちを送り出し、のんびりとコーヒーを飲んでいた時だった。日中滅多にかかってこない母親の携帯電話が鳴った。実家の母か妹かと、思いつく相手を想像しながら着信を確認すると、それは娘の学校の番号だった。

「もしもし、」
「××高校の教員ですが、○○さんのお母様ですか」
「はい…」

「今日、娘さんが電車内で…」
「え…?」
「それでまっすぐ保健室に…」
「はい…」
「ご心配でしょうから、今日はこのまま帰そうと思います…。娘さんは自分で帰れると言ってますが…」

そのあとの会話がどう進んだのか、詳しく覚えてはいない。ただ、動悸が激しくなり震えが止まらなかった。すぐにも迎えに行きたかったが、なに分母親は運転が乏しく方向音痴だ。地元の人間なら容易に行ける場所も国道を挟めば未知、仕方なく最寄り駅まで娘をひとりにすることになった。

2、3会話をしたのち、
それとこれは任意になってしまうのですが、警察には届けますか? 学校側として動くことはできず、駅構内や校外のパトロールを強化してもらう処置しか取れません。あとは親御さんの意向に従うようになります。すぐには判断できないと思うので、ご家族でご検討ください

そんな会話で終わった。母親はすぐに夫に電話をした。うまく説明できたのかすら覚えていないが、その動揺ぶりに夫は「すぐ帰る」と言って電話を切った。

その日の朝はいつもと違っていた。なにかの事故で電車が遅延し、とても混雑していたのだ。母親はニュースでそれを知っていた。だが、まさかそこでなにかが起こるなど、想像できたわけがない。
いつもの電車には乗れない。いつもの車両とも違う。当然いつもの顔ぶれでもない。娘は途中悩みながらも、時間を気にして急行から各駅停車に乗り換えた。その時、不自然にあとをついてきた男がいたという。
これはあとから知ったことだったが、その男はどうやら以前にも見たことのある男で、帰宅途中の娘にぴったりとくっついてきたことがあるらしい。…ということは、彼女は通学時の電車の中ですでにストーキングにあっていたかもしれないことになる。

ともかくその男がついてきたことは解っていた。だが、気のせいかもしれない。そしてやはり考えることは同じなのか、乗り換えた電車にもたくさん通勤、通学途中の人混みが流れ込んできた。娘はなんとか乗り込んだが吊革につかまることができずに、両足を踏ん張ってやり過ごしていたという。
瞬間的に電車が揺れ、隣の男性にもたれかかってしまった。それが引き金となったのか、隣の男性はだんだんと娘の方にぐいぐいとよって、背後に回り込んだという。やたらと密接してくる様子があり、娘は必死に逃れようと右に左と動いたり、隣の女性に訴えたりもしたが叶わず、そうこうするうち男は両手で娘の頭上の吊革を掴んで、両腕で娘の肩を抑え込んできたのだ。娘は身動きも取れずに、だが、別段どこを触られるということもなく目的の駅に着いた。が・・・・

電車を降りたところで違和感を感じ、スカートに手を触れた。違和感は間違いではなく、ひんやりとスカートは冷たかった。だからといってどうすることもできずに、とりあえず待ち合わせしている友達のところに急いだ。

「ねぇ、スカート、汚れてない?」
「え、なんか、白くなってるよ。どうしたの?」
「今電車で…」

とにかく遅延で混んでいたのと、学校に遅れまいとする気持ちで焦っていた娘はトイレで確認する余裕もなく、そこから徒歩10分の学校へと急いだ。そして、とにかく「濡れている」というスカートをどうにかするために保健室へと向かったのだ。

濡れてしまったスカートの正体は、心無い男の精液だった。

わけのわからない娘に、保険の先生は学校にある予備のスカートを貸してくれた。いや、わけは解っている。なぜそんなことになったのか理解できなかったのだろう。憤りをどう表現していいのか、それはまるで雨の日に傘もなくずぶぬれになったような、そんな心境だったのではないだろうか。
学年主任の先生が呼ばれ、その時空いていた若い女の先生が呼ばれ、娘は保健室で尋問のごとく詳細を話し、母親の携帯電話が鳴ることになるのだ。

電話を切った後、一瞬の放心状態からの嗚咽。母親は普通ではいられなかった。体が震え、言いようのない怒りと脅威、おそらく人生の中でそうはない身の毛がよだつという経験が突如として降りかかってきた。とにかく言葉がない。落ち着かず、ただただ家中をうろうろとしていた。

妻のうろたえぶりに会社を早退してきた夫は、再度詳細を訪ねるも話にならなかった。

帰宅はとてもありがたいことだったが、娘の迎えは遠慮してもらった。父とはいえ、彼もまた男なのだ。普通の思考を持てない母親は夫を頼りながらも、娘に汚らわしい真似をした「男」という生き物としてそれを拒絶した。それは実に失礼な行為ではあったが、その時の母親はもうどんな人間だろうと娘に「男」の接触させたくなかったのだ。

帰宅途中の娘から「駅に迎えに来てほしい」とメールが来た。当然だ。当然駆けつける。学校にまではいけなくとも駅まではいける。少々運転に支障があるかとは思われたが駆け付けないわけにはいかない。
帰りの車の中、母親は娘に声を掛けることができなかった。娘は授業を受けられなかったことを気にしていた。とにかく無事に帰ってきた。泣きもわめきもせず、いつも通りの娘だった。

ひとつ問題が残った。警察に通報するか、否か・・・・

娘は意外とケロリとしたものだった。それはおかしな行動に走る「男」の怖さを知らないからではないかと思った。むしろ意味の解っている母親の方が激しく憤っていただろう。夫は「娘のことだから」と警察への通報をどうするべきかの決断を母親に委ねてくれた。だが、なにもせずにはいられなかったのか、最寄りの警察署に「相談してくる」といって出掛けていった。

電車内の痴漢というのは、捕まえるのが難しいらしい。
それは現行犯逮捕でなければならないという難しさに加え、居住区の警察、通学している学校最寄りの警察、それから鉄道警察(区間が変わればまた、別の鉄道警察)と、それぞれが関わるため、娘を連れてそれらの警察署に赴き事情を説明しなければならないという手間が生じるからだった。そこから駅構内の監視カメラを見、自分の動向や犯人探しをするのだ。

それがなんだというのだ!?

申し訳ないが、母親にとってそんなことはどうでもよかった。どうでもいいというのは語弊があるが、母として女として、彼女にはそれ以上に娘が心配でならなかったのだ。
夫が最寄りの警察で説明を受けた際「犯人逮捕の為」と、執拗に娘の名前を聞かれたという。だがそこは頑なに沈黙を守り帰ってきた。犯人逮捕…それは当然の対応だろう。そのおかしな男は娘だけの痴漢ではない。痴漢という犯罪を犯している輩なのだ。警察としては捕まえたい。それでも母親の中では、痴漢に対する憤りを感じると同時「晒したくない」という思いが上回っていた。男の行為は許されるべきことではない。罰を与えたい気持ちはあるものの、そちらに対する怒りよりも娘の将来の方が心配でならなかった。

幸い娘は、自分の受けた恥辱に対しそれほどダメージを受けた感じはなかった。もちろん、受けた行為に対しなにも感じていないわけではないが、怖さを知らないということがかえって彼女を守ったのかもしれないと思うことにした。

母親は口の堅い友人に相談したり、娘のいるママ友に話をした。そうしてさんざん悩んだ挙句、警察に届けることはしなかった。これは親として、人として、もしかしたら間違った行為だったかもしれない。将来、娘にそのことで恨まれるかもしれない。両親は自分を「ないがしろ」にし世にはびこる悪から「守ってくれなかった」と思ってしまうかもしれない。でもそれでよかったのだと今でも思っている。なぜならあの時、最寄りの警察、鉄道警察を含め、娘は4か所で同じ説明を自らせねばならなかった。母親がそれを聞いていられるかの自信もなかったが、なにより娘自身にそれをさせることは後々の思い出になってしまうと思ったのだ。

そんな苦痛な思い出はいらない! 
そんな「刷り込み」をさせることが母親にはどうしてもできなかった。娘の心の中に「一大事」として残ってないことをいいことに、正義を貫くことをしなかった。なにより、母は、

娘の心を守りたかった・・・・

きれいごとかもしれない。でもそんな経験は絶対に忘れられるはずがないのだ。なくてもいい経験を忘れられないことで台無しにしたくはない。母親はその旨を夫に話し、そして「通報」を進める学校にも「届けない」と連絡した。

その後、娘は空いている時間(早朝)の各駅停車、もしくは女性専用車両に乗って学校へ通うことになった。しかし、心配がまったくなくなったわけではない。

夫はある提案をしてきた。
娘が学校につくまで自分が「毎日様子を見る」といったのだ。当時電車通勤をしていた夫は、同じ沿線でも反対方向に通っていたのだが、早めに家を出て娘と「学校に通う」といった。
だが娘は、それを「遠慮したい」といった。それは当然の言葉でもあった。いくら父親が心配してくれているとはいえ、学校までついてきてもらうなど恥ずかしさ極まりない。まして父親を当たり前に嫌う年頃の娘なのだ。天下無敵のJK! ありがたい申し出ではあったがあっさりと娘に拒絶された。

だが、母親はそれは諦められなかった。別に一緒に行かなくともいいのだ。娘が気づかないほどにひそかに、そう「ストーカー」になればいい! なんという名案か!…と母親は夫に言った。あなたは娘にとって、

世界一のストーカーになればいい!

だが、怪しまれてはいけない。本気のストーカーだと思われたら今度は夫が本気で捕まってしまいかねないのだから。それでも母親は行使した。

翌日から夫は娘より一足早くに家を出、言い方は悪いが「駅で待ち伏せ」てそこから女性専用車両に乗り込む娘を見守りながらの「ストーカー」だ。そうして娘が無事に通学先の駅の改札を出るまでを見届け母親にメールして会社に向かう。卒業までの3年間、父は娘のストーカーだった。おそらく誰よりも無敵で最高のストーカーだったことだろう。

母親の目の届かないところで娘に触れた不届きな男は、その後何度か表れていた。だが、どうやら奴は制服に反応する習性らしく、JDになった娘は難を逃れた。

その後、そいつがどうなったかは知らない。だが「通報しない」決断のせいで、よその大事なお嬢様が犠牲になっているかもしれないと思うと母親の心は痛んだ。

「ごめんなさい…」

ごめんなさい。本当に申し訳なく思います。
それでもわたしは娘を守りたかった。罰せられようとも娘を守りたかった。

ごめんなさい。


母親は今日も、子どもたちが出掛けたあとに耳を澄ます。
また、取り越し苦労が始まった。もうあの頃よりも大きくなった子どもたちの安全を祈りながら、毎日窓際で耳を澄ますのだ。










まだまだ未熟者ですが、夢に向かって邁進します