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2021年11月1日 和歌山県高野山~信仰と紅葉 その1 壇上伽藍

11月1日。
丹生都比売神社にお参りしてから、高野山へと向かいました。

丹生都比売神社の記事は、こちら↓

高野山は、折に触れてお参りしています。
祖父母の遺骨を納めたのも、高野山です。

場所は、和歌山県北部。
奈良県との県境に近い所にあります。

弘法大師空海が、真言宗の「修行の道場」として開いた霊山です。
奥の院にある御廟ごびょうでは、今も弘法大師が瞑想を続けている、とされています。

南大阪にあるわが家から高野山までは、車で1時間半弱の道のりです。
うまくいけば、1時間ちょいで行くことができます。
昔は2時間かかりましたが、近年、道路事情がだいぶ良くなりました。

ってことで、高野山です。

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まずは、壇上伽藍だんじょうがらんへ。
この日は天気も良く、参拝日和でした。
平日だというのに、壇上伽藍の駐車場はほぼ満車でした。

【壇上伽藍とは】

お大師さまが高野山をご開創された折、真っ先に整備へ着手した場所です。
お大師さまが実際に土を踏みしめ、密教思想に基づく塔・堂の建立に心血を注がれました。
その壇上伽藍は、〈胎蔵曼荼羅たいぞうまんだら〉の世界を表しているといわれています。

高野山金剛峯寺HPより

つまり、広い境内にたくさんの塔やお堂が建てられている場所、ということです。

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朱塗りの中門ちゅうもんをくぐり、壇上伽藍に入ります。

この中門は、天保14年(1843年)の大火により焼失していました。
しかし、高野山開創1200年記念事業にて、再建されました。

この中門には四天王がまつられています。
持国天像と多聞天(毘沙門天)像は、焼失をまぬがれたので、古来よりの像を修復して祀られています。

広目天像・増長天像は、大仏師松本明慶みょうけい師の手により新造されたものです。

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中門をくぐると、まず見えてくるのが金堂こんどうです。

金堂は、高野山御開創当時、お大師さまの手により御社に次いで最初期に建設されたお堂です。
過去に6度焼失し、現在の建物は7度目の再建となります。

高野山では最重要とされるお堂で、今も様々な法要や行事が営まれています。

本尊は、高村光雲師の作である阿閦如来あしゅくにょらい(薬師如来)です。
秘仏ですが、高野山開創かいそう1200年記念の際、開帳されました。
私もその時、お参りしました。

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堂々たる建物です。
内部は拝観することができます。

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金堂から右手に回ると、根本大塔こんぽんだいとうが見えてきます。

内部は、本尊である胎蔵たいぞう大日如来を中心に、周囲に金剛界の四仏を配置、さらに16本の柱に菩薩の姿が描かれています。
また壁には、密教を伝えた八祖はっその姿を描いた額が架けられています。

堂内そのものが、曼荼羅まんだらを表しているのです。

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根本大塔も、内部を拝観することができます。
中心に巨大な大日如来、そして取り囲む四仏は、圧倒的な存在感があります。

常にお香が焚かれているので、堂内はすがすがしい香りが漂っています。
一歩足を踏み入れると、「仏の世界」を感じることができます。

ちなみに。
いつ頃から流行りだしたのか…
大日如来から向かって左側、宝生ほうしょう如来が祀られているあたりに、たくさんの硬貨が立てて置かれています。

意味合いとしてはお賽銭、なんでしょうけど…
以前は、こんなことはありませんでした。
きっと、誰かが始めたんでしょうね。

私も夫も、お参りするたびに硬貨を立ててきます。
硬貨を立てる意味はわかりませんが、何となくそうしています。

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根本大塔から右手に進みます。
左に見えているのは大会だいえ堂。
ここから金剛峯寺こんごうぶじまで続く「蛇腹道じゃばらみちは、紅葉の見どころとなっています。

蛇腹道を歩きたかったのですが、夫がトイレに行きたいというので断念。
私はしばらく散策してから、次の目的地である霊宝館へと向かいました。

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壇上伽藍・不動堂です。
この建物は、国宝に指定されています。

建久8年(1197年)、鳥羽上皇の皇女である八條女院はちじょうにょいん内親王の発願により、行勝ぎょうしょう上人によって建立されました。

もともとは阿弥陀如来が祀られていたようですが、のちに不動明王を本尊とし、八大童子が奉安されました。

この八大童子像は、運慶うんけいの作によるもので、これも国宝に指定されています。
現在は高野山の霊宝館に収蔵され、企画展などで展示されています。
常設展示ではないので、たまにしかお目にかかれません。

余談ですが…
この建物をはじめ、壇上伽藍の主な建造物の周囲の地下に、スプリンクラーが埋め込まれています。
火災の際、建物を囲む噴水のような仕組みで、早期に火を消し止めることができるのです。

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左に東塔とうとう、そして紅葉。
私はこのあたりで右に曲がり、霊宝館に向かって歩きました。

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東塔と紅葉。

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不動堂からの脇道を進むと、池が見えてきます。
この池を「蓮池」といい、昭和の初期ごろまでは蓮の花が咲いていたんだとか。

赤い橋を渡ると、小さなほこらがあります。
江戸時代、雨ごいを祈願して建てられた祠です。

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朱塗りの橋と紅葉、そして木々の緑が水面に映えて、きれいでした。

⇧壇上伽藍はじめ、名所の詳細はこちら

⇧高野山真言宗・公式HP

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さて、次回は霊宝館の紅葉をお届けします。

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