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【散文】「ことばでセカイをそこに召喚している」

突発的に文章を書いているスタイルなので、他に優先順位の高いことがあるとここには書かなくなるようだ。

詩らしきものを書いてみて思ったのは、今まで書いてきたことをだんだん短くしてきた結果なので、やろうとしていることは変わらないようだ。

ファンタジー小説を書く感覚と、詩を書く感覚はにていると思う。

そこに現れる世界をゆっくりとセカイが頭の中で構築されてそこに心や感覚が入っていくのか、感覚直観的に触れるのか。

そうすると、やっぱり、個人的には詩は呪文に近いかもしれない。

ことばでセカイをそこに召喚している。

詠唱召喚魔法のようにことばを唱えセカイを召喚し瞬間的に包まれて消えていく。

 ★

最近、お風呂に入りたくない、がnoteにあって、それに勝手に賛同した。

お風呂に入ると一日が終わる。
 

終わりの儀式なんだ。

そのあとは、柔軟をして寝るだけ。明日がやってきてしまう。

本日が充実していない。

本日の達成感がゼロな気がしてならず、ギリギリまで粘る。布団の中で。

結果、時計の24時との闘いとなる。

けれど、結果満たされぬまま、闘いに負けて入浴をせざるを得ない。


お風呂が好きだったときもある。

お風呂に防水スピーカーを持ち込んで音楽やラジオ。スマホを防水ケースに入れて動画やマンガ。入浴剤も様々な種類を用意して日替わりで変えてみたりもした。

でもそれはお風呂が好きなのではなく、お風呂以外が好きなのだ。

今は何も持ち込まず、沈黙にしてあれこれと考える空間となっている。が、お風呂が好きになったわけではない。温泉は好きだけれども。

お風呂に入りたくなる呪文らしきものができないかと考えてみたができなかった。リテ・ラトバリタ・ウルス・アリアロス・バル・ネトリール的な古代の人が考えた呪文はないものか。

 ★

詩も雑文も散文も日記もエッセイも小説も。同じ線上にあって、たしかにジャンルはバラバラだし、感覚的にも創作的にも構造的にも違うけれど。

生きるうえでの何かがそこに出ていて、それを表現したいのだと。

創作って結局それぞれの幸福論の断片であって、それがいびつであったり、ダークで悪であっても、それもねじ曲がったその人の幸福論。

そうすると、三大欲なんかよりも大きい幸福欲。満たされることは永遠にない幸福欲。

このポイントを不幸と捉えるのか、過程の楽しみと捉えるのか。

目標は過程のために存在する。物語は全ての過程のお話だし、そこがうまみだね。

 ★

そうすると、お風呂があるから、その過程の密度を上げようとしているのか。

あと○○しか生きられないとしたら何をする、よりも、あと数時間後にお風呂のほうが私には効果的なのかもしれない。

お風呂までの過程がメインなのだと理解した。以後、1~2週間実践してみる。

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