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本があるから生きていられるとその方は言った

認知症グループホームの一画にあるテーブルに本を広げて、女性は一心に読んでいた。
隣に立つ私に気づいて顔を上げたので、お話をしてよろしいですか?と尋ねた。
読書の邪魔をして申し訳ないが、話をするのが私の仕事なのだ。

身分と用件をかんたんに告げてから、隣の椅子に腰をかけた。
女性が読んでいたのは、何百ページもあるような、厚い、細かな文字がずらりと並んだ大判の写真集だった。

細かな文字がよくお見えになるのですね。
私は眼鏡を外したら読めないので、とても羨ましいです。
と言った。

ええ、目ばかりは良いのですよ。
本を読むのが楽しみです。
これは、ここの職員さんから借りました。

本がお好きなんですね。
読書は良いですよね。

はい、図書館で一度に5〜6冊借りて戻ります。
すぐに読み終わってしまいます。
それで、他の人に読みませんか?と勧めますが、ここには本を読む人はいません。

どの様な作家のを借りられますか?
山本周五郎さんとか?

それも読みますけど…
村上春樹さんなど、読みます。

まあ、とても現代的でいらっしゃいますね。

ええ、面白いですよ。
でも、ここにいる方はだれも読みません。
本を読んでいるのは私だけです。
話しが合う人がいません。

そうですか…
小さな文字が見えづらくなりますから、本を読まなくなるのかもしれませんね。
ここは地元の方が多いですが、
どこか、遠いところからいらしたのですか?

はい、県西部から…
お友達もたくさんいて、ボランティアや習い事を楽しんでいたので、はなれたくなかったのに、息子が自分の家に近い方をと、ここに決めたのです。
私の気持ちなんて考えてくれませんでした。
私はあちらで暮らしていたかったのに…

そうなんですね…
お母さまを呼び寄せて、優しい息子さんに思いますが。
同じ県内でも、西と東では言葉が違いますよね…

私は元々はこちらの生まれなのです。
I師範学校を出てから東京の女学校に行きました。
卒業してから帰ってきて県の職員になりました。
結婚して、同じ県職員の夫について西の方に行きました。
だから、言葉はわかります。
何十年も離れていたので話しません。
ここにいる人たちとは話が合いません。

そうなのですね。
お仕事をされて。
活躍されていたのですね。
あの高校はかつては女子師範学校だったそうですね。

そうです、私が卒業してから男女共学の高校になりました。
あの学校から東京の女学校に行ったのは数えるほどでした。
師範学校の同級生も、みんな亡くなりました…

それはお寂しいことですね…
図書館にはどのように行きますか?

職員さんが連れて行ってくれます。
それで一度に5〜6冊借りて、すぐに読み終わってしまいます。
ここは図書館が近くにあるので助かります。
でも、私の他に本を読む人がいません。
話をする人もいません。
私は、本があるから、ここで生きていられるのです。


※ヘッダー画像は ダラズさんよりお借りしています。
ありがとうございます♪






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