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大和通信

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飛鳥地方を除く大和紀行。
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在原寺と業平道 在原業平

在原寺と業平道 在原業平

色のない人生はつまらない。といつも思っておりましたが、現実はほぼ無色です。

ところが、いるんですね。すごい色男が。在原業平という人。

在原業平(ありわらのなりひら)
平安時代の歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。父は平成天皇の皇子阿保親王。母は桓武天皇の皇女伊都(登)内親王。(中略)美貌と色好みをもって知られ、藤原氏への反発から奔放な生活を送った。『伊勢物語』の『昔男』は業平がモデルとされる」(「

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ローカル線の地下想像力 寺山修司

ローカル線の地下想像力 寺山修司

とんでもないタイトルをつけましたが、きわめてローカルな「万葉まほろば線」の某さみしい駅に、なんと寺山修司の足跡があるというのです。

ほんとか嘘か、そんなお話を聞きましたので、少し地下的な想像力を加えて、ご紹介します。

ここは、JR桜井線、またの名を「万葉まほろば線」といいます。
奈良駅~高田駅間を結ぶJR西日本の鉄道路線です。

14ある駅の北端の駅・奈良駅から南へ四つ目の駅が、天理市の「櫟本

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大神神社(おおみわじんじゃ)

大神神社(おおみわじんじゃ)

目医者さんに行きました。白内障だと言われて久し。もう二年ぐらいかな。

でも、ちっとも進行していません。ほんとに三ヶ月に一度行かないといけないんでしょうか? 

…なんて思いつつ、それでも処方箋に書かれた目薬が、4瓶460円というのはありがたい。

まだ外は明るいので、ちょっくら足を伸ばしました。大神神社(おおみわじんじゃ)に行きました。

土日や例祭の日は人、人、人であふれていますが、今日はもう

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麦秋 小津安二郎と原節子

麦秋 小津安二郎と原節子

三輪山の麓に広がる麦畑。

この茶色はもうすぐ収穫のサイン。

この麦は、製粉されて三輪素麺かうどんの原材料になるのだと思う。

これだけの面積の麦畑は、当地方ではここ以外見れない。(推定)

さて、この麦畑は水田転換なのだろうか?
それとも大豆かなんぞの作物の裏作として植えられているのだろうか?

どっちにしろ、農家の次男の私は、眼前の麦秋に郷愁を覚えずにはいられない。

郷愁ついでに「麦秋」で

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弁財天石楠花の丘

弁財天石楠花の丘

桜も牡丹もオワタ。
ということで、4月29日、室生(むろう)へ石楠花を見にいきました。

「弁財天石楠花の丘」では「石楠花まつり」を開催しているはずでした。

開花予想  4月21日~5月6日
見ごろ予想 4月25日~5月5日

場所:奈良県宇陀市室生弁財天

しかしですね。ことしの石楠花は、「裏」らしいのです。あまり咲いてませんでした。
つぼみ自体が少なかったです。

4月の天候不順のせいがある

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紀伊半島のタヌキとイノシシ

紀伊半島のタヌキとイノシシ

昼間なのにノソノソ出てきたタヌキは、谷川を横切って山の中に消えた。

さて、里へ下りてきたワタクシは、田舎屋(旅館)の食事処でぼたん鍋定食を食べた。

タヌキは犬科で、イノシシはイノシシ科。イノシシは食べられるが、タヌキはちょっと…。でも太ってたらおいしいらしいよ。機会があったらイタダコウ🤭

ワタクシの愛読する宇江敏勝氏の本に、こんなくだりがあった。

「狸の肉なんか、悪臭があってとても食えた

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吉野本葛

吉野本葛

今日は一日雨でした。休みをもらって、かねてより関心あった「奈良の食文化 魅力発見フォーラム」行きを決行(聴講)しました。

奈良の代表的な三食材、①柿の葉寿司、②奈良漬、③吉野葛が取り上げられておりました。どれも魅力ある食材でなのですが、今回は、私も実際に見て、ちょっとびっくりした葛根(吉野葛)のことを書きます。

吉野は昔から葛粉の生産地としてつとに有名です。現代においても、「吉野本葛」は高級和

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安倍清明 天文観測の地〜安倍文殊院(奈良県)

安倍清明 天文観測の地〜安倍文殊院(奈良県)

安倍仲麻呂望郷之詩

天の原
ふりさけ見れば
春日なる
三笠の山に
出でし月かも

詠み人の安倍仲麻呂公は遣唐使に同行した留学生。30年を経てようやく帰国を許され、現在の寧波(ニンポー)市で、この望郷の思いを詠んだ。

結局、安倍仲麻呂公を乗せた船は難破して帰国叶わず、唐で72歳の生涯を終えたとも。

さて、この歌碑があるのはどこなのかと言いますと、安倍文殊院です。正しくは安倍山崇敬寺文殊院といい

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幽玄の光り~氷室神社~

幽玄の光り~氷室神社~

普通に見える神社へ行きました。

氷の神様を祀る神社です。

御祭神は「額田大仲彦命(ぬかたのおおなかひこのみこと)」、「闘鶏稲置大山主命(つげのいなぎおおやまぬしのみこと)」、「大鷦鷯命(おおささぎのみこと)」(←仁徳天皇)です。

「氷の神様を祀る氷室神社は日本書紀によると、仁徳天皇の異母兄弟である額田大仲彦命がこの地(闘鶏(つげ))に狩に来たとき、小屋のようなものを見つけた。それは氷室だった

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虎に翼を着けて放てり 吉野・蘇りの道

虎に翼を着けて放てり 吉野・蘇りの道

吉野山最高峰は青根ケ峰(あおねがみね)(859m)です。この青根ケ峰と、吉野水分(みくまり)神社の鎮まる森を源流とする川が「象(きさ)の小川」です。

吉野山の東方を下る約3kmのこの渓谷(川)は「喜佐谷(きさだに)」と呼ばれています。
「きさ」?
変わった地名なのでちょっと調べてみました。

材木の木目模様を「橒」と書き、「木佐(きさ)」と訓む。また奈良時代、象そのものは実見していないが、文献に

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第一次大極殿院東楼復元整備工事の今

第一次大極殿院東楼復元整備工事の今

第一次大極殿院復元整備工事が進められています。
興味津々、見てきました。

ここは平城京の中心、平城宮跡です。

平城京は、言わずと知れた奈良の都です。710年、唐の都長安(ちょうあん)を模して造られたそうです。

しかし794年の平安遷都によって、廃都となったこの地はいつしか田地となりました。皮肉なことに、おかげで遺構は高い地下水の下で土に還ることなく眠り続けてきたというわけです。

そして国立

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何もない吉野山にて

何もない吉野山にて

まだ小雨の残る午後、吉野に行ってまいりました。観光客は数組見かける程度で、蔵王堂仁王門修理工事もお休みでした。葛餅やまんじゅうなどのお店、また食事処もあがったりだったでしょう。

こうした吉野山には花も風も何もなく、ただエナガやヒヨドリがときおり飛ぶばかり。春が近いというのに、そこを感じる今日の自分ではありませんでした。

「み吉野のものみな落ちて冬の雨」

落ちているのは自分の心(気分)だったの

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