「めんどくさい」が飯のタネ
意識がアッパーで雄弁な戦闘民族の人たちは
「敵は昨日の自分!」
「敵は己自身!」
と隣町まで聞こえる大きな声で叫んでくれる。
そうだよなぁ。とは、思う。
人と比べても仕方ない(とはいえ比べてしまうけど)。
でも、基本ネガティブで自堕落な
ぼくにとって最大の敵は
「めんどくさい」
である。
成長したいわけじゃないし、成功したいわけでもない。
いや、正確には
「大変な苦労や努力と引き換えてまで、成長や成功がほしくない」だ。
楽して稼げるなら稼ぎたい。マッチョになれるならなりたい。女性にモテるならモテたい。エッチなこともさせてほしい。
ただ、全部そこまでいらない。
それほどまでに「めんどくさい」は強いのだ。
もう完全にこいつの一強。
いつだって堂々と煩悩界のラスボスとして鎮座する。
成長も成功も目指してないのに、どうしてこんなにめんどくさいのか。
顔洗うのもヒゲ剃るのも、歯を磨くのもめんどくさい。
リモコン探すのも、録画予約もめんどくさい。
人と会うのもめんどくさい。
風呂入るのも、たまには寝るのもめんどくさい。
できればなんにもしたくない。
でも、ぼくは
毎朝豆を挽き、ハンドドリップでコーヒーを淹れる。
月に10冊以上の本を読む。
日記は毎日書いている。
レコードで音楽を聴くこともある。
どこかのだれかに読んでもらいたくて、「めんどくさい」という自意識を、
わざわざこうして文字にする。
これらは全部
たのしいからやっている。
めんどくさくないわけじゃない。
たのしいが、めんどくさいに勝ってるだけ。
「あなたはほんとにマメだよね」と人に言われる。
「細かくて几帳面なところがきらい」と妻に言われる。
自分がすすんで行ういろんなことは、
めんどくさいに勝っている。
ぼくの「めんどくさい」は、だれかの「たのしい」で
だれかの「めんどくさい」はぼくの「たのしい」かもしれない。
そこが飯のタネなんじゃないか。
どこにでも転がる「めんどくさいなぁ。やりたくないなぁ」を
どこかのだれかが「たのしい!やりたい!」と拾ってくれる。
その「めんどくさい」が大きいほど、拾ったときに感謝される。
むずかしいことばで言えば「需要と供給」ってやつなんだろう。
今日もぼくは
「めんどくさい」といろんなことを投げ出して
なるべく「たのしい」ことだけを搾取する。
それがめぐりめぐって、だれかをにんまりさせられれば、
そいつはきっと飯のタネ。
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