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母の教え№24  嫁と姑たちの戦い(6) 6 畑 仕 事

 戦後数年たった頃、床屋も次第に、母の丸刈りの技術だけでは追いつかなくなり、長髪のできる職人さんを雇うことになった。
 職人さんを雇うと母の手が空くので、自分達が作っている、三段四畝の畑を手伝ってもらいたいと、姑と小姑が言い出した。


 母は、これまでに畑仕事などをしたことがなかったのに二人には、そんなことは関係なく、強引に申し出てきた。
 『今まで気になっていても、店の仕事が忙しくて行けなかったが、これからは、少しは手伝いができる。祖母ちゃんも、65歳を過ぎたので、畑仕事は大変だろう?』と母は、笑っていた。


 畑仕事を手伝うようになってからは、自分達の得意なことで、ますます いびられるようになったが、母は、少しも堪えなかった。
 もうこのころになると、姑達が、何を言い出すかの予想がつくようになっており、事前に対策を講じるか、七つ言われても、二つ直して、五つはそのままにして、様子を見る等の余裕ができていた。 
 また、〝このことは、注意される!〟と分かっていることも、取るに足らないようなことは、わざわざ姑達が注意できるように残しておくなどの対策も考えられた。
 『人間は、〝ただ人がいい〟だけでは駄目だ!』『相手の考え方を事前に察知して、その対策を考えるのも人間の知恵だ!』というのが、母の持論である。   
 『母ちゃんは、少し根性が悪いのかも知れん! 祖母ちゃん達の考えている、その裏の裏を考えて行動することもあるし、心にもないことも言って、相手を喜ばすこともあるんよ』とも洩らしていた。
 『お前らも大人になったら分かると思うが、特に、人の上に立つ者は、〝ただ人がいい〟善人だけでは、駄目なんよ。少しは根性が悪くても、相手のことも考えながら、好かれるように動くことも大切なんよ!』と少しはにかみながら教えてくれた。
 また、『相手に好かれようと思えば、こちらが相手を心から好きになることよ、相手のいいところを早く見つけて好きになる。この気持ちは、“以心伝心” して、いつかは、こちらの気持ちが、相手に少しずつ通じるものだ』と信じきっていた。
 姑は、顔面神経痛で、顔と口元が少しゆがみ、小さい方の目をパチパチさせながら話すのが癖で、近所の人は……、
 『見るからに、嫌味な人だ!』とか、『本当に気難しい顔だ!』と噂しているのが、私たち兄弟にも漏れ聞こえてきた。
 そんな時母は、いつも……、
 『よーく、見てみいや、小さな目をパチパチさせて、何ともいえない可愛い顔をしておられるよ! 〝憎たらしい人だ!〟と思って見るけん、嫌味に見えるんよ。〝可愛い顔〟だと思って見れば、母ちゃんには、結構、可愛い人に見えるよ!』と笑って話してくれて、私たちも胸を撫で下ろしたものだった。
 このように母は、姑たちとの対人関係は、マスターしていたが、畑仕事だけは、慣れないことが多く、随分と苦労していた。姑たちに、役立たずと言われないように、朝早くから夜遅くまで、鍬を振り、草を刈る手は荒果てて、あかぎれ、ひび割れが途切れることはなかった。


 特に、薩摩芋を収穫して、澱粉工場に供出する時期になると、疲れはピークになり、食事の時、箸が握れないほど握力が低下していることもしばしばだった。
 当然、私たち兄弟も、何時しか、できることで母の手助けをするようになっていた。
 母は、こんなに苦労していても、『畑仕事は面白い、お天道様は素晴らしい!』と収穫の喜びを私たちに教えるとともに、これまでに、三段四畝の畑を〝茅の根〟から守ってきた祖母たちの努力に感謝することを忘れなかた。

 しかし、この時分の母の苦労を見ていた私は、「大人になっても、絶対に畑仕事をする人にだけは、なりたくない!」と子供心に思っていた。
 ところが、60歳を過ぎた第二の人生を歩む中で、妻と二人で一番先に「畑仕事をすること」を選択した自分が不思議でならない。 
 慣れない畑仕事で苦労しながらも『畑仕事は面白い……』と言った母の思いが、心のどこかに残っていたからだろうか?

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