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「AI立国」カナダ/ディープラーニング創成の地、高い研究力を産業育成に、日本に連携呼びかけ

カナダは「ディープラーニング(深層学習)のゴッドファーザー」と言われる3人のうち、トロント大学のジェフリー・ヒントン(Geoffrey Hinton)名誉教授とモントリオール大学のヨシュア・ベンジオ(Yoshua Bengio)教授を擁し、世界中からAI(人工知能)の研究人材が集結する。英ニュースサイトTortoise Media による「The Global AI Index」(2023年6月)でも、(1)米国(2)中国(3)シンガポール(4)英国に次いでカナダは国別で5位にランクされる(日本は12位)。AIをテコにスタートアップや外国企業の国内進出、雇用創出を加速させようとしている。

◇ケベック州、AIエコシステムの規模世界7位

「モントリオールは都市として世界最多のAI研究者を抱え、ケベック州にはAIの製品とサービスを提供する600を超える企業・組織が存在する。ケベックを国に例えるならAIエコシステムの規模で世界第7位にランクされる」

1月12日にカナダ・ケベック州政府在日事務所の設立50周年を記念し、東京都内で開かれたAIの講演イベント。同事務所のシェニエ・ラサール(Chenier LaSalle)代表は同州でのAI研究やビジネスの進展ぶりをこう強調した。

マギル大学のジョエル•ピノー教授(左)とモントリオール大学のアーロン•クールヴィル教授

講師として登壇したのは、マギル大学教授で米メタのAI担当副社長兼モントリオール・フェイスブックAI研究所所長を務めるジョエル・ピノー(Joelle Pineau)氏と、モントリオール大学教授のアーロン・クールヴィル(Aaron Courville)氏。

クールヴィル氏はベンジオ氏や、教師なし学習で利用されるAIアルゴリズムの一種「GAN(敵対的生成ネットワーク)」を発明したイアン・グッドフェロー氏(Ian Goodfellow)との共著により、深層学習の教科書として高い評価を受けている「深層学習」(原題: Deep Learning)を著し、富士通やソニーグループや日立製作所など日本企業との協力経験もある。

ピノー氏は、AI研究の端緒となった1950年代の米国での研究者会議から、「自己教師あり学習」に基づき大量の画像や文章にAIシステムをさらすと、その構造を非常に高い精度で予測することを学習し、生成方法も学習する現在の生成AIへの流れを解説してみせた。

さらにその延長線上として、AIを活用した「新素材や新分子などの科学的発見」「炭素回収やエネルギーの貯蔵・輸送に貢献する電気触媒技術の確立」への期待を語る。クールヴィル氏は「AIは一つの領域における発見をそれ以外にほぼ全面的に直接適用できる。特定の分野に縛られないからこそ驚異的な進歩を遂げた」とし、個人的にはゲーム理論と強化学習とを組み合わせた新しいゲーム理論にも興味があるという。

ケベック州のAIエコシステムで基盤となっているのがモントリオールを本拠とする機械学習研究機関のMILA(ミラ)だ。1993年にベンジオ氏が創設し、現在では州内のモントリオール大、マギル大など4大学協働のもと運営され、所属するAI研究者数は1,400人に上る。

MILA連携担当シニアディレクターのフレデリック・ローラン(Frederic Laurin)氏は「日本企業とMILAとが力を合わせることで、AIに関する幅広い専門知識と学術分野のAI研究者からなるグローバル人材を活用することができる。特にライフサイエンスや環境関連で日本企業との関係を深めたい」とコラボレーションに期待を示す。

◇トロント大学にトップ人材集結

凍てつくような1月のカナダ・トロント。Monozukuri Ventures(モノづくりベンチャーズ、京都市下京区)が立ち上げた「Deep Tech Forum 2024」の北米プログラムに参加し、カナダトップの大学であるトロント大学(University of Toronto)を訪れた。

ベクター研究所や起業支援部門などが入居するシュワルツ・リースマン・イノベーションセンタ―

市の中心部に広がるトロント大のメーンキャンパス。目抜き通りのUniversity AvenueとCollege Street沿いに建つ独特の外観の建物が目を惹く。2023年に第1期が完成したばかりの「シュワルツ・リースマン・イノベーションセンタ―(Schwartz Reisman Innovation Centre)」。アルファベットの「A」と「I」を組み合わせたような斬新なデザインで、非営利AI研究機関であるベクター研究所(Vector Institute)のほか、トロント大の起業支援やスタートアップ関連部門が入居する。

ベクター研究所は世界最高レベルのAI研究やその産業化を目的に2017年に発足した。カナダ政府やオンタリオ州政府、民間企業の資金支援を受け、州内の大学による共同研究機関として運営される。

「よく知られているようにディープラーニングはジェフリー・ヒントン名誉教授によって、ここトロント大学で確立された。現在活躍する有力AI企業のキーパーソンのほとんどが『U of T』(トロント大)と関係が深い」。同大の技術移転機関であるInnovations & Partnership Office(IPO)アナリストのマイケル・ディポール(Michael DiPaul)氏はこう言って胸を張る。

同氏の資料によれば、Google、Meta、Microsoft、Nvidiaなど巨大ITだけでなく、トロント大はAI関連スタートアップにも多数の人材を輩出する。例えば、現在話題の生成AIでOpen AIのライバルの一つと目されるコーヒア(Cohere)。トロントに拠点を置くユニコーン(創業10年以内で評価額が10億ドルを超える未公開企業)で、企業向けの大規模言語モデル(LLM)を開発。ヒントン氏ら研究者のほか、SalesforceやNvidia、Oracleが出資する。

実はコーヒア共同創業者のエイダン・ゴメス(Aidan Gomez)最高経営責任者(CEO)は生成AIの立役者の一人。トロント大で計算機科学を学んだ後、GoogleのAI開発部門Google Brain(現Google DeepMind)でのインターン中に、AIが長い文字列の関係性を学習する深層学習モデル「トランスフォーマー(Transformer)」の研究論文を共同筆者として執筆した。

この2017年の重要論文がきっかけとなって2022年11月に公開され、世界を驚愕させたのがOpen AIの対話型AI「Chat GPT」。ちなみにOpen AIの共同創業者で、同社の「頭脳」と言われるチーフサイエンティストのイリヤ・サツケバー(Ilya Sutskever)氏もトロント大のヒントン門下生。アレックス・クリジェフスキー(Alex Krizhevsky) 氏らヒントン研究室のチームで高速・高精度の画像認識を実現する畳み込みニューラルネットワーク「AlexNet」を2012年に共同開発している。

◇頭脳流出相次ぎ、人材引き止めに苦労

ただ、深層学習の確立という成果をもってしても、カナダでは研究者の定着という意味で苦労したようだ。

前出のサツケバー氏も米スタンフォード大学のアンドリュー・ン(Andrew Ng)教授のもとでのポスドク(博士研究員)の後、ヒントン研究室のスピンオフとしてトロントで創業され、オブジェクト認識技術を研究するDNNresearchにクリジェフスキー氏とともに在籍したものの、同社は2013年にGoogleによって買収。これに伴い、サツケバー氏はGoogle Brainのリサーチサイエンティストに採用された。

トロント大学の工学面での研究成果と産業界とをつなぐ「U of T Engineering」のパートナーシップ担当エグゼクティブディレクター、エイドリアーノ・ビサ(Adriano Vissa)氏は「10年ほど前には、卒業生が(高待遇の)米国などの大学や企業にキャリアを求める頭脳流出を経験した」と振り返る。

トロント大学U of T Engineering のエイドリアーノ・ビサ氏

それが「汎カナダAI戦略」による国家レベルでのAI重点化やベクター研究所の設立、企業からの投資拡大などにより、「7、8年前から卒業生がエコシステムに定着する好循環につながってきた。特にAIと量子コンピューティング分野で多くのスタートアップが創出されている」(ビサ氏)という。

ケベック州でも同様。前出のマギル大学のジョエル・ピノー教授は「幸いなことに現在は世界中から非常に才能のある学生を迎え入れているが、5、6年前は大変だった。学生が修士号や博士号を取得した後は基本的にカナダを離れ、ほとんどが米国に行ってしまった」と明かす。

それがAI予算の増額や機械学習研究機関MILAをはじめAIエコシステムの整備により、卒業後にカナダ国内での起業や既存企業への入社、大学で研究者を目指す学生の増加につながったという。それでもピノー氏は「エコシステムが多様化し一定数の人々を受け入れるまで盛り上がるには数年程度の時間がかかる」とも指摘する。

一方で、大学の研究や教育でもAIは「基軸」としての役割を果たしつつある。トロント大のビサ氏は「データ分析やAIは全ての領域に変革をもたらす横断的技術。大学でも大学院でもカリキュラムにデータ分析とAIを組み込んでほしいという学生のニーズも非常に強い」とする。そのため工学分野の教育や研究に率先してAIを活用し、多様な学問分野を融合する「学際性の高さ」を大学の強みにつなげている。

さらに、Innovations & Partnership Office(IPO)のディポール氏はIPOのほか、助成金調達や研究成果を商業化するインキュベーター「UTEST(University of Toronto Early-Stage Technology)」による大学発スタートアップへの育成支援を挙げる。その代表例がディープジェノミクス(Deep Genomics)という。

同社はプログラム可能なRNAを使った遺伝病治療のためのAI創薬プラットフォームの開発を進め、シリーズCまでの累計資金調達額は2億3,700万ドルに上る。知的財産の出願やポートフォリオ管理、シード投資、顧客・諮問委員会とのネットワークづくりなどをこれら大学の機関がサポート。やはり深層学習の創始者の一人で、博士研究員としてヒントン研究室に在籍したメタ副社長兼チーフAIサイエンティストのヤン・ルカン(Yann LeCun)氏(ニューヨーク大学教授)がアドバイザーに就いている。

◇スタートアップ創出が加速

最後にMILAとトロント大学発のAI関連スタートアップを紹介しよう。

MILAのコービット(Korbit)は、チームでのプログラム開発でメンター(指導者)役となり、プログラミングの良い点、悪い点などを評価する「Korbit AI Mentor」のベータ版を無料で提供。開発者のコメントから会社やエンジニアの好みをAIが学び取り、それに沿った形でAIがアドバイスを返してくれる。

ドリームフォールド(Dreamfold)はたんぱく質の3次元(3D)構造についての創薬向け生成AIを手がける。共同創業者は英Google DeepMindが支援する英オックスフォード大学ディープマインド教授のマイケル・ブロンシュタイン(Michael Bronstein)氏。同社が開発した「フォールドフロー(FoldFlow)」は画像データを生成する従来の拡散モデルに比べ、安定したアルゴリズムで訓練時間も短くて済むという。

(右から)SiMLQに取り組むトロント大のオファー・バロン特別教授、ヨーク大のアリク・センデロビッチ助教、トロント大のドミトリー・クラス教授

トロント大学ロトマン経営大学院のオファー・バロン(Opher Baron)特別教授やドミトリー・クラス(Dmitry Krass)教授ら3人の教員が携わるウェブベースのソフトウエアソリューションが「SiMLQ(シムルキュー)」だ。イベントデータや統計をもとにビジネスプロセスを解析するプロセスマイニングの従来手法に加え、機械学習(ML)を活用。渋滞システムでのデジタルツインを作成してシミュレーションにかけ、待ち行列(キュー: queue)を最小化させるための行動を提案する。

創業メンバーの一人で「キューマイニング」のパイオニアでもあるヨーク大学のアリク・センデロビッチ(Arik Senderovich)助教は「SiMLQは拡張性が高く、データ量が少なく欠損があってもきちんと機能する」と強調。実際にノースヨーク総合病院での事例研究では外来患者の平均滞在時間が従来の3.72時間から2時間未満に短縮できた。「まだ製造分野への応用例はないが、製造現場でのボトルネックの特定、手戻りの削減、リードタイム短縮、調達・在庫・サプライチェーンプロセスなどにも応用可能」(センデロビッチ氏)とする。

トロント大発のマズライト(Mazlite)は工業用スプレー塗装のプロセス改善手法を開発した。塗料コストが高騰する中、既存の塗装工程の壁に取り付けるセンサーとAIソフトにより部品塗装でのスプレー量を最適化し、「ある顧客では塗料消費量を60%削減できた」とアミレーザ・アミギー(Amirreza Amighi)CEOは言う。顧客の半数は北米に工場を持つ日系の完成車メーカーやティア1で、今年の第2四半期にはこれらの一部生産ラインにセンサーが実装される見通しという。

ただアミギー氏は筆者に対し、「日本の完成車メーカーやティア1との関係はできつつあるが、日本の塗装機器メーカーや塗料会社へのコンタクトが難しい」との悩みも口にした。

AIによる工業用塗装の最適化システムを展開するMazliteのアミギーCEO

AI分野を含めカナダ最大のディープテックファンドは政府系の中小企業向け金融機関であるカナダ産業開発銀行(BDC)が運営する。BDCディープテックベンチャーファンドのリードパートナーを務めるトーマス・パク(Thomas Park)氏は「カナダの基礎研究はとても強いが、多数の才能ある人材に対し資本が潤沢ではない。だからこそ大きなチャンスがある」と話し、こちらも日本企業に対して研究の産業化やスタートアップ投資での連携を呼びかけた。
(冒頭の写真はトロント大学IPOのディポール氏の資料から。それ以外の写真は筆者撮影)

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