見出し画像

「月が綺麗ですね」とUX

こんにちはUXデザイナーの原田です。
今回は「自分がUXをクリエイトする際、大事にしているのは機能よりは、まず情緒なのだな」と思ったことついて備忘録的に書こうと思います。

きっかけは夏目漱石のエピソードでした。

英語教師をしていた漱石が、I love youを『我君を愛す』と翻訳した教え子を見て、「『月がきれいですね』とでも訳しなさい。日本人にはそれで通じる」と答えた有名なあの逸話です。

直訳で考えれば「我君を愛す」は全く問題のない正解。でも、そこに人物の心理描写は存在せず『わたし』は『あなた』を『愛す』と言った状況以外は伝わってきません。正直これでは文学体験としてエモみが足りない。

教え子の翻訳で伝わってくる情報
・二人でいることがわかる。
・わたしがあなたへ伝えたい気持ちがわかる。

ところが「月がきれいですね」と聞いた時、『月』と『あなた』を重ね合わせることで「月がどんなに綺麗でも、手に届かない彼方にある」と、届かぬ想いを胸の奥に封印し、それでも想いを『あなた』に伝えずにはいられない『わたし』のもどかしい状況が、短い文章にも関わらず、すごい情報量として頭に浮かんできます。

漱石の翻訳で伝わってくる情報
・二人で月を見ている状況がわかる(情景)
・二人の実際の距離がわかる(声が届く近い距離)
・二人の関係性距離がわかる(わたしには手の届かない遠い存在)
・わたしのあなたへの想いがわかる(『わたし』の内面)

この『わたし』の想いを単純に「我君を愛す」ではなく日本人の俳句などで培った叙情的な言葉の世界を背景にローカライズすることで、直訳の「愛」という言葉以上に、すごく日本的な歯痒い「I love you」が見えてくる。
この文化背景をもとに想像力を掻き立てるストーリー部分機能ファクトの積み上だけでつくられたUXとの差を感じたわけです。

もちろん機能的ファクトが単純でわかりやすいことはとても大事なポイントでおろそかには出来ません。しかしサービスを利用した先の「ユーザーストーリー」を意識して使うときの気持ちを元に体験をローカライズしクリエイトしなければ「ボタンの多いリモコン」のようなエモみのない積み上げただけのサービスになる。これサービスの需要度において決定的にマイナスになるはずです。

Point
・UXは機能ファクトではなく利用者(読者)ストーリーでクリエイトする。
・ストーリーの感じられないUX/UIは味気ない。
・エモみ成分は需要度を高めるキモになる。

サービスを分析し理解するとき機能的な強みや、ユーザー数にフィーチャーしがちですが、一歩引いてどんなエモみポイントを持っているかを考えてのぞいて見ると、人気サービスの本質が理解しやすいかも知れません。

ちなみに漱石の逸話、どうやら都市伝説のようで、出典が不確かな上、エピソード自体がわりと最近のものしか見つからないそうです。
解釈もそれぞれで「月見て同じ気持ちを共有する二人」など他にもあるようですが、漱石作品を少しでも齧っていたら漱石語録と信じて言葉の深読みしちゃいますよね。この都市伝説作った人、ナイス漱石UXです。わたくしエモりました。