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ただ、座禅を組んで思った事 その1

 今回は、最近本格的な座禅を組んだ時の話について書く。

前置き

 本題に入る前に、どうして座禅を組むことにしたかと言うことについてまず書く。現在僕は非常に困った問題を抱えている。
それは、以前よりも明らかに記憶力が落ちていると感じること。
もしくは記憶力が求めるレベルにないと言うこと。

 例えば、小学生だった子供の頃は、どんなことでもすんなり覚える事ができたし、テストも抜き打ちでも満点を取る事ができていた。その頃と比べると学習能力が明らかに落ちている。
(今は少しのことを覚えるのだって苦労する)
 またここ数年で比べても、物事を集中して考えたり、仕事を切り替えながら素早くこなしたり、考えながら話したりする事が少々苦手になってしまったようである。辞めた会社の上司にも指摘された事があることから、どうやら主観的なことだけでもないらしい。

 少し調べてみると作業記憶(ワーキングメモリ)と呼ばれる機能が悪い事が、これらの現象をうまく説明できそうである。
(ワーキングメモリの説明は検索ですぐに出てくるため割愛する。)
 ワーキングメモリは、先天的なものである場合や、後天的なもの、すなわちストレス、精神状況等の内的要因、働く環境などの外的要因があり、これは改善したり悪化したりする場合があるとのこと。

 先天的な場合はうまく付き合っていくしかないかもしれないが、少なくとも小学生の頃は思考・集中・記憶がうまく出来ていたはずであるから、後天的なものである可能性が考えられる。後天的なものの場合は改善を試みたい。

 したがって今の自分の関心ごとは、「物事を集中して考える事」、「記憶する事」これらを自分の中でプロセス化したいと思ったのである。
今回はその一環として長時間座りながら、ただひたすらに座ることについて「考える」、座禅を組むことで自分の問題点のと向き合ってみた。

ご理解いただきたいこと

 これから書く内容は自分なりの納得解を探るプロセスであり、専門的な意見ではありません。例えば精神疾患等を改善する効果があると謳う記事ではないと言う事をご理解の上、お読みください。(僕の専門領域は応用化学である。)

 また僕自身はもともと禅宗ではないと言う事。座禅を組ませていただいた禅寺の御住職のかたは、ほとんど初心者の私(当日の座禅会では私だけ新参者でした)に対してとても丁寧に指導してくださいました。その体験を元にこれからの記事を書いていると言う事。

本題

前置きが長くなってしまったが、本題に入る。
座禅を組んでみて出てきた自身の課題は三つほど。

1) 雑念は思った以上に振り払うのが難しい。
2) 目の前のことをこなすと言う考えが足りていない。
3) どうやら自分は完璧を求めすぎているかもしれない。

本日は1)について

 座禅は40分間ひたすら座る→5分歩きながらの座禅ー経行(きんひん)ーを3セット繰り返すというもの。
詳しい座禅の作法は曹洞宗のサイトにまとまっている。
https://www.soto-kinki.net/zazen/manners.php

 座禅中は座る事や呼吸をする事だけに集中するのだが、どうしても色々と考えてしまう。
-終わったら何をしよう?
-書類の整理やらないと
-日曜の予定何かあったっけ?

などなど、考えたくないのになぜか頭の中でこれらの考えが巡っている事が分かった。御住職の方によると「人間そういうことを考えないというのは無理。ただし考えると分かっていてそれを聞き流すのが大事」と仰っていた。

色々考えてしまうのは仕方ない、もしかしたら「集中」は雑念を持たないことではなく「聞き流す」ということではないかということ。

本日はここまで

文責 ただ



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