「そういうもん」の正体
今日の記事は、入社したばかりのフレッシュマンや、モヤモヤした気持ちに対して、一度でも「そういうもん」という言葉で片づけられたことがある人には読んでほしい。
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帰宅後は意外と時間がある。ということに最近気がついた。
日中の仕事を言い訳にして、帰宅後は脳死でYouTubeやSNSを巡っていたのだが、やろうと思えば、筋トレも、インスタも、このnoteだって記事としてアップできるのである。
結局は言い訳だったのだ。🐹自分を動かさないための。自分が傷つかないための。
渾身の記事(←書けた事ない)が伸びないことへの。
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さて、本題。以前こういう記事を書いた。
ざっくり内容を言うと、入社して1年経ったくせに未だ会社に馴染もうとしないワガママなクソガキが、旧態依然の会社システムにグチグチいっているとても情けない記事である。👶
が、あれからさらに2年が経ち、私にも後輩ができた。
そして、仕事を教えてあげている時にふと気がついた。
私も「そういうもん」と言ってしまっているではないか😨
歴史は繰り返す・・・。と
自分への卑下や会社への不満をまた語るつもりは毛頭ない。
そんなことでこの広大なサーバーの海を泳ぐつもりはサラサラない。🌊
では何が言いたいのか?
「そういうもん」の正体は、先輩たちの優しさだったということ。
分かるよ。今までやってきたことが通用しなかったり、普段触れているシステムよりも弱いシステムをなぜ仕事の中で使われているのかが分からなかったり。
理不尽なことを言われたり、誰かが経験したであろうミスを自分がまた経験していることに苛立ったり。
そんな時に先輩方はみんな言うのだ。「そういうもん」と。
上記の記事では、「そういうもん」を
「全ての疑問、疑念、猜疑…etcを無と化すほどの力」と紹介していたり、
「諦観」としていたり、タイトルを功罪としておきながら明らかに「罪」にフォーカスした内容を紹介していた。笑える。
だが、もう一度言う。「そういうもん」の正体は優しさである。
プラモデルもびっくりの手のひら返しだが、先輩になって思う。
優しさで言っている。
具体的にいうと、「そういうもん」には上の句と下の句があって、
(あーそれね、分かるわかる。私もすごくそれ思ってたことある、でもそれは)
そういうもん
(だから、あなたはそこに関しては気を張る必要がないし、もっと重要なことに注力していいよ。大丈夫。)
くらいの意味まで、時と場合によっては内包されている時もある。
冷静に考えたら分かることだったのだが、「そういうもん」と言われることは、「そういうもん」で済まされる程度の内容だったということだ。だから気にしなくていい、大丈夫。
今思えば、ペーペーの新人くんにとっては、仕事のことも、家庭のことも、人生のことも大した悩みのレベルではなくって、そんな瑣末なことでしか悩みの対象がなかったのかもしれない。かわいいね。(コロナ禍真っ只中だったのは抜きにして。)
こう思えるようになっただけでも成長かな?
あの日悩んでいたことも、時が過ぎれば本当に小さなことだったと思えるから、今新人で頑張っている人たちも懲りずに頑張ってくれや。
👋
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