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人生の決断とやらを語る。

金曜日です。
今日も書いていきましょう。

一応説明しておくと、
このnoteは、金曜日という週一度の安らぎMAXの日に。
僕が僕の思いをただ全力で綴る。

そんなコンセプトで構成されています。


だから、
大したことは書いていません。

でもね。

30代半ばのおじさんが全力で書いているのです。


何か掴めるものが、
あるかもしれませんよ。



……もしかしたらですけど。


今週の振り返り

さて、まずは今週の振り返りから。


僕の今週を一言で表すならば、

解 放

だったなぁと思う。


面倒な試験勉強が終わり、
ずっとモヤモヤしていた体調不良は、
病院で検査。

ひとまず大丈夫ではないか……?ということが判明した。
(来週、精密検査の予定だが)


あらゆる不安が一掃され、
創作に打ち込める。

そんな理想の環境に一歩、近づいたカタチだ。


もちろん僕にとって、ほぼ実現不可能な理想や夢物語に近い。
しかし。

作家活動をしていくならば、
少なからず、求めていかなくてはならない課題だったりする。



色々あっけどさ。
人生ってこう、単純じゃないし、
思考し続けなきゃいけない。


その先にしか、
求めるものはないんだな、って思い知らされた。

本当に。
基本的に社会人における創作や副業って、
逆境の中でやって当たり前。

心の奥底で、
もう一人の僕はニヤニヤしてるんだ。

「ほら、簡単じゃねぇだろ?」って。

チャイナブルーをジョッキでいただきたい。
今は、そんな気分だ。


今週のテーマは「決断」

今回の記事のテーマは、決断だ。

これは先日言われた、ある質問によって選ばれた。


「TACKくんはさ、今どんな気持ち?」



それは僕の現在を知る、元上司からの言葉だった。


人生の決断と後悔

今から遡ること6年前。
僕は人生でとてつもなく大きな決断をした。


そこにはさまざまな理由がある。
しかし、全てを書くとなると面倒臭すぎるので書かない。

なんていうか。
ひとつ言えるのは、


少なくとも僕は、
自分の決断を死ぬほど後悔している、
ということだ。


今タイムマシンがあって過去に戻れるなら、
過去の僕のほっぺたをつねり散らかして
気を失うまでビンタして止めるだろう。

そんぐらいは後悔している。



だが、今の僕が僕であることは。
その決断があったからに他ならないことも知っている。


だから、
表現としては難しいんだけど。


後悔している最中というか。
まだ結果は出ていない。

そういった感覚も、持ち合わせているのは確かだ。


人生の決断って、なんだ

元上司は、僕がなぜその決断をしたかを知っている。
そして、胃袋がひっくり返るぐらい後悔していることも知っている。


その上で、
僕に問うたのだ。


「今、どんな気持ちよ」と。

深くは聞かなかったが、
どうやら僕と同じような状況で、
僕と同じような決断をした知り合いがいるらしい。



とても優しい人だから。


僕の今の姿と、
その知り合いが今後たどるであろう道のりを重ねているのだろう。

ひどく落ち込んでいる様子だった。


僕はありのままを伝えたが、
せっかくなのでこのnoteでシェアしとこうかな、なんて。

そう思って今、
この記事を書いている。


TACK的 人生の決断の教訓

これをお読みのあなたも、
いずれ人生の選択を迫られるかもしれない。
もしかしたら、今まさに悩んでいるかもしれない。

だから、そんな人に。

僕が感じた、
「人生の選択」についての考え方をお伝えしよう。
参考になるかは分からないが、
僕が感じたありのままに書いていこうと思う。



①思考を放棄してはならない

まず最初にお伝えするのは、これだ。

決断するにあたって、
思考を放棄してはならない、ということ。


人は、
人生の大きな選択に直面すると、


AかBか?
という二極化した思考に陥りがちだ。


僕もそうだった。

自分の中では冷静なつもりでも。
なんだかんだと理由を見つけては、

あっちじゃない、こっちじゃないと思考が行ったり来たりする。


そうしているうちにあら不思議。

思考は極端に、A or Bになる。
それ以外の選択肢は完全に視野の外。

Aの方が絶対正解だよな。
いや待てよ。
Bだって捨てがたい。
万が一こうなった場合はAで確定なんだけど。
やっぱりBの方がむにゃむにゃむにゃ。

みたいな。
思考停止でそんなことばっかり考えるようになる。

(僕が単なるアホだっただけなのかもしれないが)


もちろん状況にもよりけりではあるけれど、

一歩引いて考えると、
AからZまで、実は選択肢なんて腐るほどある。
極論、全て投げ出してしまったなら。
決断の必要すら無くなる。


ある程度の大きな選択をした人なら、
きっと僕の気持ちは理解できるだろう。


経験のある人は思い返してみてほしい。

何年か経った後で、やっぱり二択でしかなかった、
なんて選択肢はそう多くはないはずだ。



そして。
なぜ、思考を放棄してはいけないか。

それは、
どちらを選んだか?よりも、
自分がその問題と真剣に向き合ったかどうかが、

実は後で心に突き刺さるからだ。


人生の時間で考えれば、
大体の場合、
決断に費やした時間 < その後の人生の時間

長く苦しむのは、どう考えたってその後の人生。
その時に、
自分が真剣に向き合って出した答えと、
そうじゃない場合で。

どっちが踏ん張れるか?って話だ。

だからね、絶対に思考を放棄してはいけないんだ。




もちろんこれは、とっても難しいことではある。
結果論的な話でもあるし、
いざその状況に直面しないと分からないこともある。

見えなかった選択肢が見えるということは、

自分自身が成長したか、
切迫した状況じゃないからできるのだ。



そうだとしても、考えるべきなんだ。
無理難題だとしても、向き合うべきなんだ。

直感で選ぶことを否定はしない。

だけど決断は入り口であって出口じゃない。


その先にはどこまで行ったって、
自分の人生しかないんだから。


ケツを拭くのはどこまで行っても自分なんだよ。

拭いてもらえるのは、
痴呆になって老人ホームに入った後だけだ。


②後悔しない選択なんてできない

「後悔しない選択をしろ」
そんな言葉がある。

僕は正直、嫌いな言葉だ。


なぜなら、そんなものは決断の段階でわかるわけがないから。

一見して華々しい道、立派な道だと思っても。
思わぬ落とし穴はいくらでもある。

逆に、困難にまみれた道だとしても、
その先でとんでもない幸福に出会うかもしれない。


全ては結果論。
だから、後悔しない選択をする、
という幻想は追い求めるべきじゃない。

僕はそう考えている。


僕がもし、過去の自分に一言伝えられるなら、
「どっちを選んでも後悔するから、覚悟だけしっかり決めろ」
と言うだろう。


もう一度書くけれど、
人生の選択において大事なのは、
「AとBのどっちを選ぶか?」じゃない。

「どれだけ真剣に向き合ったか?」

そして、
「どんだけの覚悟を決められるか?」なんだよ。


僕は幸いにも、
覚悟だけは決めて選択ができた。


だから、鬼のように後悔はしているけれど、
人生を投げ捨てようとは思わない。



この後悔の念が、
作家「TACK」を生み出し、
その過程で得た仲間との出会いをもたらした。


後悔はしてるけれど、
取り返しのつかない失敗をしたとは微塵も思ってない。

ただ、別の選択肢を選んだら。
もう少しアホヅラで生きられたんじゃないかなって。

超絶怠け者の僕は思っちゃうだけ。


③決断の結果は、最期の時に

最後に伝えるのは、これだ。

人生の選択の結果は、
人生の結末にしかないということ。



僕はこれが一番、大切な考えだと思っている。


はっきり言って人生の決断をした後は、
信じられないくらい、いろんなことが起こる。


その中で、
アホほど一喜一憂することだろう。


こっちを選んで正解だったと胸を撫で下ろし、
その翌日には、押し寄せた後悔の念で眠れず。

ひとりになれば苦しみ、
誰かといれば悩み、
新たな出会いや、
鼻くそみたいなラッキーで心底喜ぶ。

自分は間違っていなかったと言い聞かせ、
作り笑いを浮かべる。

選ばなかった道に思いを馳せて、
選んだ道を悲観して生きることだろう。

もちろん、逆も然りだ。


でもそれらは全て、
言うならば過程でしかない。


中間テストの結果、みたいなものでしかない。


自分の選んだ道が良かったか悪かったか。
その結果がわかるのは、人生の最期の瞬間だけなんだ。



結論、大事なのは決断じゃない


最後に伝えよう。

人生の選択とか、決断って。
ものすごい重いものだったり、
美化されたりするものだ。

それによって人生は変わる。
確かにそれは事実かもしれない。


でも。僕はこうも思う。

選択や決断をしていようとしてなかろうと、
人生そのものだと考えれば、
経験するものなんて何一つ変わらない。

と。


選んだ道は、確かに分岐していたかもしれない。
自分の意思でどちらかを選んだのかもしれない。

しかし、人生という視点で見ればそれは、
ただの「出来事」に他ならない。

それが分岐点だと思えばそうなんだけど、
人生、というぶっとい一本の道で見れば違う視点が見えてくる。

右端を歩いているか、
堂々と真ん中を歩いているか、
左端の草むらの近くを歩いているか。
そんな違いでしかなくって、

結局同じ道を進んでいることに変わりはないんだよな。

と、僕は感じている。



さらにもう一個言えば、

例えば道を歩いていて、
石につまづいて転んだとしよう。

「あぁ、なんでさっき右足を出してしまったんだ」
「あの時、左足から踏み出していればつまづくことはなかったのに」
「全体的に歩幅がもう少し狭ければ……」

そんな風に思うだろうか。
または、そう考える人をあなたはどう感じるだろうか。


僕は、人生の決断における「後悔」って、
これと同じじゃね?と思っている。


無論僕も、そんな後悔をしている一人だから、
偉そうには言えないんだけどさ。

大事なのは今であり、
次はどうするか?明日をどう生きるか?

ということなんじゃないかな。


おわりに

ちょっとだけ気持ちが昂ったけど、
今日はこんな感じでおわりにしようと思う。

あえて僕は、
少し達観した目線でこの記事を書いた。
まぁ実際そうっちゃそうなんだけど。


多分だけど、
実際に人生の選択に直面している人は、
こういう言葉は刺さらない。


当時の僕がこの記事を読んだとしてもおそらく。
ほぼ何も感じることはないだろう。


人ってさ。
やっぱり他人の経験談って他人事だと思うから。


自分でやってみて、
感じてみて。

そうじゃないと納得できないことって山ほどある。


それが例えば、
人生を左右するような話ならなおさらだ。

ダイエットなら気軽にやってみよってなるかもだけどさ。


だから。




その答えは、
自分自身で見つけるしかない。


当事者も、
その周りの人も。



天災とか病気と同じで、
人生の決断っていうのは突然降りかかる。

つらかったり、苦しかったり。
もどかしかったりしてさ。

後から考えたら、
なんだよダッセーなって思う結果になることだって
いくらでもあるんだ。



でも、
どうあったって、
少なくとも生きていればそれでいいし、
人生ってそういう、なんとも言えない瞬間ってあるもんじゃん?

とか思うわけです。


多分ね。

そっちの方が、
かっこいい大人になるよ。


僕はそう思う。






多分さ、
人生って負けたと思わなきゃ、勝ちなんだよ。


今日はここまで。




読んでくれてありがとう。

よしなに。

TACK




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