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後編/死んだはずの元婚約者が戻ってきたから、もう私はいらない?じゃあ好きに生きます


あらすじ

私と王子の結婚前夜、彼の元婚約者が訪ねて来た。彼女は5年前に死んだはずだった。突然の再会に喜んだ王子は、私に言った。
「俺が間違っていた。お前との婚約は破棄だ。国も出て行け」
―――ええ、喜んで!愛のない生活にも、誰かの為の人生にも、うんざりしていましたところです!

追放先の森では、魔法使いが待っていた。彼は私を魔界へ連れて行き、願いを何でも叶えてくれるのだという。元婚約者が魔物だと判明したらしいけど、もう遅い。私は最強の魔法使いの溺愛の元、魔界で永遠に幸せに暮らします。

本文

※前半はこちらで読めます※

09.死人との再会

ひんやりと冷たい石畳の床で、私はかろうじて意識を保っていた。

「気を失っちゃだめ……」

一時間以内に、ノアの待つ図書室へ戻らなくてはいけない。
もし私が戻らなかったら、きっとあの真面目そうな男の子は自分を責めるだろう。

「起きるのよ、サラ。私はタフでしょ……成績はいつもオールA、妹たちのお手本で、親の期待に応え続けた。クソ王子との婚約生活にも半年間、耐え続けた……」

そう、まだ家族が人間界に残されている。
ここでくたばってしまっては、魔物の王女・リリーによって人間界が滅ぼされてしまう。

なんとかして顔を上げた。すると机の上に座っている女性と目が合った。
肉厚の唇、幽霊のように白い肌。凶悪な目つき。

「あらあら。ねんねの時間にはまだ早いんじゃなくて?」

彼女は忘れもしない。リリー・キャンベル。
人間界の王子レオナルドの元婚約者で、五年前に死んだはずの令嬢だった。

「それともあの魔法使いを、夜通したぶらかしていたんですの?」
「そういう類の女もいるわね。それしか武器が無い、目の前の誰かみたいな女が」
「ふん。どちらの生き方が正しいか、レオの選択を見れば明らかですわ」

身体を起こそうとすると、リリーはぴしゃりと言った。

「あら、誰が頭を上げて良いなんて言っていませんわ」
「早くも王女気取りってわけ?」

彼女が懐中時計を振ると、ものすごい圧力がかかった。時計の針も進む。
残りは四十分になった。癪だが、彼女の機嫌をあまり損なわない方が良さそうだ。

「何しに来たのよ」
「二人きりで話すためですわ。城だと魔法使いの目がありますもの」
「ノアとローランの?」
「ええ。ちょうど見ていたところですわ、本の記憶を」

彼女は机の上から、一冊の本を手に取った。
面白くもなさそうにページをぱらぱらとめくる。

「これね。あなたが魔法界の城に連れて来られた夜ですわ」

すると本の上に、ある映像がうつしだされた。

それは魔法界の城で、見覚えのある寝室だった。
シングルベッドに寝ている私の足元に、ローランが立っている。

大きな窓は開いているので、戻って来たばかりだろう。
扉が開き、ノアが息を切らせて入って来た。

「お兄様!あれ、ベッドに誰かいる……?」
「静かに。ここで話すのはよそう。彼女は疲れているんだ。寝かせてあげたい」

ローランは部屋にいたメイドに、私をベッドに移動させるよう指示をした。
寝室を出て、二人は長い廊下を歩き始めた。

「彼女がサラ・ベルモント。ついに連れて来たんだ」
「お兄様が姿を変えてストーカーしていた、人間の女性ですね」
「愛と読んで欲しいな」

ノアはため息をついた。

「まさか連れてくるなんて。人間界の第一王子と婚約したんでしょう。戦争になりますよ」
「もう婚約していないよ。元婚約者が現れて、彼女はお役御免になった」
「そのために、お兄様が元婚約者をよこしたわけじゃないですよね?」
「はは。サラを手に入れるために手段は選ばないけど、最愛の女性を不幸にする道は選ばないよ」

前半に不穏な響きがあったが、ノアは聞き流していた。慣れているのだろう。
ローランは真面目な顔になり、話を続けた。

「その元婚約者だけど、どうも様子がおかしい。調査を続けようとしたら
、僕が執事でなく魔法使いだと感づかれた。おそらく彼女は魔物で、死人が復活したと見せかけて……」

急に二人の影がぐらぐらと揺れて、何もかもが消滅した。

ひんやりとした石造りの部屋で、蝋燭がゆらゆらと揺れている。
不自然なタイミングで映像が打ち切られたが、原因は明らかだ。あれから先は都合が悪かったのだろう。
私は机の上で忌々しそうに本を閉じた、リリーを見つめた。

「この世界には、人間界を含めた三つの世界があることはご存知ですの?」
「いや、人間界しか知らなかったわ」
「当然ですわね。人間には魔法界と冥界については知らされていないもの」

彼女は本を持って、私の前に降り立った。そして手を取り、本に近付けた。
触れるだけと思いきや、ページの中にずぶずぶと手が入っていく。

「ちょっと、本に触れるだけって言われたんだけど!?」
「こっちの方が手っ取り早いですわ」

彼女の言葉が遠くから聞こえる。
その記憶を最後に、私は本の中に吸い込まれていった。

10.隠された真実

『かつて地上には人間、魔法使い、魔物が住んでいましたの。彼らの間で争いが起きて、三つの世界に別れたんですわ。天空の魔法界、地上の人間界、地中の冥界に……』

リリーの声と共に、目の前に次々と景色が繰り広げられる。
たしかに魔法界にはローブと杖を持った魔法使いが、地上には人間が、地中には魔物たちが住んでいるようだ。姿の見えないリリーは、『それぞれの世界には弱点があるんですの』と、話を続けた。

『まず天空の魔法界は、魔力に頼っていますわ。魔法で作られた世界だから、魔力が枯渇すれば消えてしまう』

目の前には、巨大な木が出現した。木の周りでは魔法使いたちが、額に汗を垂らして、杖を振り続けている。
「さぼるな!木に魔力を捧げ続けろ!でないと世界が崩壊するぞ!」
「頑張れ、あと少しで交代だ!」
口々に鼓舞し合うも、中には途中で倒れてしまう者もいた。

『地中の冥界は、太陽の光が当たらない暗い場所。魔物たちの他にも、特殊な魔法を使って暮らしている種族もいるみたいですが、よく分かっていませんの』

次に地中の中へ移動した。中は空洞で、暗闇だった。見たこともない生物たちがうようよと生息している。頭が二つある蛇、上半身が男性で下半身が牛、ゼリー状の触手。目を背けたくなるグロテスクなナニカも見えた。

『人間界は、条件としては一番良いですわ。でもそこに住む人々は、代償として魔法を使えないことになっている。その取り決めのもと、世界は平和になっていましたの』

やっと馴染みの世界が目の前に広がった。愛らしい白い壁に赤い屋根、石畳の道。私がかつて踏まれた、踏んでいた街。

『人間界は魔法が使えないから、かつては不便な場所でした。でも彼らは土を耕し、国を作り、みるみるうちに繁栄していった。ここ数百年で急に豊かになったから、冥界はそれを苦々しく思っていましたの。そこで人間界を乗っ取ることに決めたんですわ』
 
次の瞬間、目の前で大殺戮が繰り広げられた。魔物たちが街を襲い、人間たちを次々と殺している。ある者はゴムまりのように身体がはじけ飛び、ある者は綿あめのように肉体を引きちぎられていた。私は姿の見えないリリーに尋ねた。

「どうして人間界はまだ乗っ取られていないの?」
『行き来する方法がないからですわ。それぞれの世界の間には門があって、入国審査官が見張っていますの。でも他の行き方もあって、王族だけが行き来する方法を知っていますの』
「どうしてリリーは他の行き方を知っていたの?」
『レオナルドが文通で教えてくれたんですの』
「あいつ、本当にクズね」
『ええ。ばれたら一族が全員処刑されますのに……本当に恋をしている人間って、愚かですわ』

リリーのくすくすとした笑いとともに、目を覆いたくなるような光景が広がった。レオナルドは斬首され、義母が水攻めをされている。くらくらする頭を押さえているうちに、いつの間にか、元いた小部屋に戻されてた。そこは湖の底のように冷たく、静かだった。

「私にそんなこと話して良いの?」
「もちろん話したのは理由がありますわ。サラ、あたしと手を組みません?」

彼女の言葉は、まるで水面に落とされた一滴のインクのように、部屋に響いた。

11.ゴーレムの攻撃

「手を組む?私たちが?」
「ええ。人間界は冥界に滅ぼされるのは、時間の問題ですわ。おそらく魔法界は、それから乗っ取るつもりなんでしょう。手間が省けますからね」

リリーの言葉に、私は耳を疑った。今日の彼女は三秒起きに、意表をつく発言をしてくる。

「サラは魔法界の動向を、あたしに報告して欲しいんですの」
「それで私に何か良いことがあるの?」
「魔法界を打ち負かした暁には、手厚く迎えてあげますわ。あなたも元の人間界……冥界ですけど、まあどっちでもいいわ……に戻れますし。お気づきになって?あたしたちは王族に使われているだけですわ。用が済めばどうなるか分からない。お互いの動向を報告し合って、生き延びましょう」
 
リリーは手を指しべてきて、私はそれを見つめた。ひとつ理解できなかったことは。私がローランに魔法界に連れ来られた理由だ。彼が執事ジェフリー時代に私を見ていて、哀れに思って連れて来られたの。そ

「報告はテレパシーの魔法を使ってくださいね」
「何それ?私、魔法なんて使えないわよ」
「え、なんですって?」

今度は彼女が驚く番だった。

「レオナルドから力を授からなかったんですの?」
「まともに会話したのも数える程度よ」
「あなたの家系……ベルモント家に代々伝わる魔法は?」
「うちにあるのは、侯爵の位だけ。あとは何も無いわ」
「そんな。じゃあどうしてあなたが魔法界に連れて来られたのかしら………」
「こっちが聞きたいわよ」

だんだん話が読めて来た。つまりリリーは私に何かしらの力があると考えていたらしい。

「じゃあ、どうしてレオナルドはサラを選んだんですの?」
「他にいなかったんでしょ。あいつの悪評は街に響き渡ってたから、どの侯爵令嬢も断っていたしね。持参金も王族なら免除されるから、両親にとっても都合良かったみたい」
「かわいそうな人。サラの人生なのに、あなたの名前がちっとも主語に出てきませんわ」

彼女の言葉は、なかなか堪えるものがあった。鉛を飲み込んだ後のように、腹にズドンと来る。
リリーは私に興味を失いつつあるようだった。私はそんな彼女を見据えて、言った。
 
「……だから、自分の人生を生きようとしてるのよ」
「素敵な響きね。死体安置所の係員が言いそうですわ」
「だから、あんたの提案もお断り」
「何ですって?」

彼女は目を見開いた。ぎらぎらと赤く輝いている。

「今の話が本当かどうか、分からないし。その時計、返してくれる?」

そろそろノアに言われていた一時間が経過しそうだ。
彼女は時計の存在に、たった今気づいたような素振りを見せた。下手くそな演技をする自称女優のような、からっぽな女を思わせた。

「おめでたいわね。ここから生きて出られるとでも思いましたの?」

リリーは右手を床につけた。ゴゴゴゴゴゴゴ……という音と共に地響きがして、石でできた床がはがれる。細かい石が、ぱらぱらと浮き上がって来た。

「土の魔物よ。この女を叩き潰しなさい!」

小さな石たちは集まり、私ほどの身長になった。人間ではない。
それは石でできた、ゴーレムだった。

「ふふ。利用されるだけの人生なら、終わっても良いと思いますわ」

ゴーレムは私に向かって拳を上げた。殴られればどうなるか、おめでたい頭の私でも理解できる。目を閉じて、衝撃に備えた。

「……あれ?」

しかし覚悟をしていた衝撃は、訪れなかった。おそるおそる目を開ける。そこにゴーレムはいなかった。

色とりどりの光が見えて、その奥に見覚えのある魔法使いのローブが見えた。

「ローラン!」

彼は私を抱きしめた。あたたかい光と彼に包まれて、家に帰って来たかのような安心感を覚えた。

「愛しいサラ。怪我はない?」
「ええ、身体にはね」
「心の傷は、後でいくらでも癒してあげるからね」

彼は優しく言うと、リリーに向き直った。

「この城は、お前のような冥界の魔物が来る場所じゃない」
「口を慎みなさい。あたしはじきに人間界の女王になるのよ」
「面白い冗談だな。退屈な夜にでも思い出すよ。サラがいれば、そんなこと無いだろうけどね」
「ふん。何か勘違いしているみたいだけど、その女に利用価値はないですわ」

途端に、ローランの雰囲気が変わった。部屋の気温は、急速に冷え込んでいった。彼の顔は見えないが、怒っているに違いない。リリーですら、少し怯えているようにも見えた。

「サラの悪口も、一言でも言ってみろ。生まれて来たことを後悔させてやる」
「あらあら。随分とお熱ね」

ローランはリリーに、杖をつきつけた。彼女は表情を欠いた顔で、杖の先を見つめていた。

「あなたたち魔法界の王族について真実を知られても、その子は一緒にいてくれるかしら?」
「……失せろ」
「言われなくても。あたしはレオナルドと音楽会に出かけますから」
 
彼女は私に、意味ありげな視線をよこした。そして時計を私に向かって投げた。何とかキャッチして時計を見ると、あと5分残されている。

顔を上げると、彼女はもう消えていた。
 
「リリーを倒さないの?」
「ああ。腐っても、レオナルドの婚約者だからね。人間界と揉め事は起こしたくない」

ローランが手を繋いできた。大きくて、あたたかい。部屋には時計のカチ、コチ、カチ、コチ、という音だけが響いている。彼はやれやれと言った様子で首を振った。

「別にいいさ。家族になってから、サラには話そうと思っていたしね」
「家族になってからって、どういう意味?」
「ははは。扉へ急ごう。もう時間がないよ」
「はぐらかさないでくれる?」
「お望みなら、この小部屋で一生を僕と添い遂げても良いよ。でも子供たちが生まれたら手狭かな?」
「わ、分かった。行くってば!」

私たちは、部屋の扉へ向かった。その先には図書室があり、ノアがいるだろう。そして何より、ローランがいる。彼は「どうぞ、お先に」と彼微笑んだ。光に包まれた扉へ、足を進める。

サラの人生を終えて良いのは、僕だけだからね」

そんな言葉が、背後から聞こえた気がした。

12.魔法使いとのお風呂

拝啓、お母様。お父様。妹たち。
私は魔法界の王子の城で暮らしています。王子のローランも、弟のノアも癖が強いけど、優しいです。
やっと幸せをつかんだかと思いきや、待ち構えていたのは―――水責めの刑でした。

「絶対に嫌よ」
「人間界でも、お風呂で汚れを落とすだろ?」

城のバスルームは広く、学校アカデミーの教室ほどある。
湯船の近くで、私はローランと向き合っていた。お互い、バスタオル一枚で。

「確かにお風呂には入るわ。でも、どうして男性と一緒に入る必要があるの?」
「君がリリーに何をされたか、僕が確認しなきゃいけないからさ。愛する人に呪いがかけられていたら、大変だろ?」
「もっと大変な相手に好かれたみたいなんだけど……」
「はは。さすが賢いサラだ。物分かりが良いね」

認めるな、変態!

彼は、じりじりと私に近付いてきた。一緒に入る気満々なのは、言われなくても分かる。
腰に巻かれたバスタオルの上に視線をずらすと、鍛え上げられた肉体が目に入って……

って、流されちゃだめだ。私はバスタオルをしっかりと抑えた。

「認めないわ、こんな薄っぺらい官能小説みたいな展開は!」
「はは。清純そうな見た目をして、いやらしいね。ますます好きになったよ」

彼は徐々に私に近付いてくる。そうして、手を私の方へ伸ばした。力の差では、どうしても叶わない。

私はぎゅっと目を閉じると―――

「え?」

シャワーのお湯が、上から降って来た。

「全く。サラはいつも物事を、いやらしい方に持って行くね」

ただのお湯ではない。それが身体に触れると、キラキラと輝いて消えて行った。
なのでシャワーを浴びても、全く濡れることはない。

「僕は水の魔法が得意だからね。水の力を借りたんだ」

蒸気に包まれた後のように、身体だけがぽかぽかと温かかい。
彼は含みのある笑みを浮かべていた。

「何をされると思ってたんだい?」
「べ、別に何も」
「色々とちゃんと整えたら、期待通りのことをしてあげるからね」

ローランは片目をつぶって見せた。見事なウインクだった。
彼が指を鳴らすと、メイドが現れた。

「全部やってあげたいけど、僕も色々と我慢できなさそうだからね。これからは彼女にも、サラの世話を頼むことにするよ」

メイドは紫色の髪で、透き通るように白い肌をしていた。
美少女だが、無表情だ。嫌々ながら引き受けてくれたのだろうか。

「クロエです。よろしくお願いします、サラ様」
「ええ、よろしくね。クロエ」

彼女は表情を欠いた顔でお辞儀をした。笑い方をどこかに忘れてきてしまったようだ。
私たちを交互に見ながら、ローランは言った。

「本当はもっと年配のメイドにしようと思っていたけど、クロエがどうしてもって言うからね」
「そうなの?どうして?」
「それはね……」

彼が口を開くと、バスルームにノックの音が響いた。

「ローラン様!昼食会の時間です!」
「やれやれ。じゃ、僕は行くね。理由は本人に聞いてみなよ」

バスローブを羽織り、彼は私に軽くキスをした。

「ち、ちょっと人が見てる前で……」
「人が見ていないところなら、何をしても良いのかい?」
「そういう意味じゃないってば!」

私は彼に向かって、近くに置かれていたタオルを投げつけた。
彼はそれをキャッチして、手をひらひらと振りながら扉から出て行った。

「まったく、あいつは……!」

息を切らせる私に、クロエが静かに話しかけて来た。

「サラ様、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないわ。この城にいると身がもたない」

彼女は少し、考える素振りをした。
そして、ぽんと手を叩いた。

「分かりました。じゃあ、少し散歩に出かけましょうか」

私はうなずいた。外へ出れるのは嬉しいが、油断ならない。ここは魔法界だ。
しかも私を見つめるクロエの目は、心なしか熱っぽい。他は感情を欠いた顔なのに、瞳だけが爛々と輝いている。

ただのピクニックでは終わらない予感が、既に漂っていた。

13.メイドとのお茶会

城の外に出て、庭を歩きながら空を見上げた。
魔法界の空は深い青で、ほとんど秋の空を思わせた。

空の下には、壮大な城がそびえている。無骨過ぎず、豪華すぎない。
私は声を上げた。

「すごい。城ってこんな広かったのね」
「ええ。魔法界の王子、ローラン様のお城ですから」
「へえ、彼のお父さんのお城もさぞかし大きいんでしょうね」
「……」

尋ねてから、少し間があった。言うべきか迷っている、そんな間だった。

「ねぇ、クロエ。一つお願いがあるの。」

私は彼女の方を振り向き、目を見つめた。

「私には、真実を話してもらえる?もう騙したり、嘘をついたりするのは嫌なの。誰も幸せにならないしね」
「それは……」

彼女の声は宙に浮かび、庭にある色とりどりの草花の中へ消えて行った。

「私もあなたに対して嘘をつかない。だからあなたも、私に対して嘘をつかないで」
「都合の悪いことを黙っているのはどうですか?」
「その判断は任せるわ」
「分かりました。聡明なサラ様のことですので、自力でも気付くでしょうから」

クロエは庭の奥を指さした。きれいな指先だった。

「ここから少し行った先に、テラスがあります。そこでお茶をしながらお話するのはどうですか?」

指を差された先を見ると、美しい庭園が見えた。中央に大きな噴水があり、辺りを色とりどりの花が咲き乱れている。

「あそこに座って待っていてください。お茶の準備をしてまいります」
「ありがとう」

彼女は紫色の瞳を、大きく目を開いた。

「どうしたの?私なんか変なこと言った?」
「いえ、今までお仕えした方から、お礼を言われたことが無かったので」

今度は私が驚く番だった。

「そう?挨拶は人間関係の基本じゃない。王族だって、普通の人たちじゃない」
「彼らもかつてはそういった時点からスタートするって、聞いたことがありますね」

言い終えてから、彼女ははっと口を押さえた。

「い、今のは忘れてください。サラ様は話しやすいので、つい……」
「大丈夫よ」
「私、サラ様にお仕えすることができて本当に良かったです」

相変わらず、彼女は無表情のままだ。しかし周りの空気が少し華やいだ気がする。それが彼女の笑い方なのだろう

「いつか本当の笑顔にさせてあげたいな……」

そう思いながら、城へ戻っていく彼女の背中を見送った。
小さな背中だった。それは、ふとある存在を思い出させた。

「そういえば妹たち、どうしてるんだろ」

彼女たちとは久しく会っていない。人間界の第一王子と婚約して、レオナルドの城で暮らしていたからだ。

「よし。クロエに、人間界に戻る方法を聞いてみよう」

ローランに聞いても良いけど、第一王子のなんちゃらがあって、ややこしそうだ。
クロエなら知っていそうだし、こっそり教えてもらえるだろう。

この呟きが、城で思わぬ騒動を招くことになるとは、まだ知らなかった―――

14.メイドと媚薬

クロエが淹れてくれた紅茶は見事だった。
微かにマロンの香う中、彼女は言った。

「人間界に戻る方法ですか?」

紫色の目が、大きく見開かれる。私はカップをテーブルに置いた。

「ええ。家族の様子が知りたくて」
「ご家族の?」
「父と母、妹ふたりね」
「申し訳ございません。私も存じ上げないのです」

彼女は深々とお辞儀をした。頭を上げる気配を見せない。
つむじのてっぺんが、城の庭に同化してしまうのではないかと思った。

「そんな大げさに考えなくて良いから、顔を上げて?」
「サラ様のお役に立つことがメイドの勤めですのに……」
「素敵な紅茶を淹れてくれたじゃない。このアップルパイも、素晴らしいわ」

パイ生地はさくさくとしていて、とろとろの密に包まれたリンゴは絶妙な甘さだ。
私は彼女を見つめた。相変わらずポーカーフェイスだ。でも少しだけ、すまなそうな顔が和らいだ気がする。

「サラ様は寛大ですね。他にお役に立てることはありますか?」

お代わりの紅茶を注ぎながら、彼女は言った。

「んー。じゃあ、私のメイドを希望した理由を教えて」
「そんなことで良いのですか?」
「『巨乳にして』とでもオーダーした方が良かった?」
「……」
「いや、メモ取らなくて良いから!」
 
彼女はメイド服の内ポケットにメモ帳をしまい、私を見つめた。

「私はサラ様に命を救われました」
「え?全く覚えがないんだけど?」
「私が一方的に見ていたので。魔法界からは、人間界の様子を覗けますから」
「人間界を!?じゃあ、私の家族の様子も……」

彼女の顔は、またすまなそうな顔に戻った。

「人間界を覗くには、厳しい要件があるんです」
「クロエはどうして見れたの?」
「病気の治療のためです。命に関わると、特別に許可が下りることがあります。人間界の方が魔法界より、医療が進んでいるので」

たっぷりクリームをつけたスコーンを、口に入れた。クリームは重たすぎず、甘すぎない。今まで食べたどれよりも素晴らしかった。

「ある日、私は咳が止まりませんでした。あと数日続くと死に至ると言われて、人間界を覗く許可を得たんです。そこで、サラ様が薬を作る姿を拝見し……」
「薬!?」

食べたものたちが、すごい勢いで逆流してきた。ごほごほとせき込む私を、クロエは不思議そうに見つめた。

「その薬を飲んで、私の咳は止まりました。サラ様は命の恩人です」

彼女の瞳は、次第に熱っぽい色を帯びていった。
恋する乙女にも、狂信家にも見えた。そこは紙一重だ。結局は同じなのかもしれない。『相手に騙される』という点では。

確かに私は薬を作っていた。
レオナルドに「何を作っているんだ?」と聞かれ、「せ、咳止めシロップよ。レオナルドが咳してるの聞いたから」とも返した。

本当は、媚薬を作っていたのだ。

そんなことを知らずに、クロエは続けた。

「レオナルド様は、薬を飲みましたか?」
「ま、まあね」

ええ、媚薬を飲んで、真っ先に別の女の所へ行きました!
元婚約者リリーと会っていたのかもしれない。知らないけど。

「悲惨な婚約生活を何とかするために、できることなら何でもしてたからね……」

クロエは感心したことを示すように、ほうっと甘いため息をついた。

「その努力が、彼だけでなく、私も救ったのですね。素敵です」
「……ねえクロエ。私が作っていた通りに、薬を調合した?」
「はい。一つだけ魔法界にない薬草があり、同じ成分のものを使いました」

理解できた。『媚薬』は一つ成分を間違えると、『咳止め薬』になるのだ。
黙って紅茶をすする私に、彼女は言葉を続けた。

「サラ様の頑張りは、執事ジェフリーに変身したローラン様から聞いていました。私もサラ様みたいに、努力できる女性になりたいです」

あれ、ちょっと泣きそう。報われなかった日々も、思わぬところで誰かの役に立っていたのだ。でも、いきなり泣かれても、クロエを混乱させてしまうだろう。
私は努めてクールに声を作った。

「そう、良かった。無駄にはならなかったのね」
「ええ。いつか必ず良いことがあると、サラ様はご自身で証明されました」

彼女は微笑んだ。あたたかく、きれいな笑みだった。

心地良い風が吹き、頬を撫でる。風は花の香りを運んできた。
紅茶に交じって、甘い匂いが漂う。まるで天国のようだ。

「その薬、僕にも作ってもらおうかな?」

しかし風が運んで来たのは、花の匂いだけではなかった。

いつの間にか、ローランが真向いに座っていた。
クロエは驚いた様子がない。ただ微かに眉を上げ、彼の行為をとがめているように見えた。

「ローラン様、姿を消して近づくのは控えて下さい」
「美しい花の香りに誘われてね。ちょうど最近、咳がひどくてさ」

確信犯だ、この男。
私は黙って紅茶を口に運んだ。飲み物は便利だ。口から言葉が出ない理由になる。

「でしたら、サラ様に薬を作っていただくべきです。あの薬は本当に効きました」
「代わりの成分を教えてあげたのは、僕だったよね」

私は飲み物を吹き出しそうになった。
彼はそんな私を見つめ、長い足を組みなおした。

「危ないところだったよ。成分を一つ間違えると媚薬になるからね。賢い君なら知っていたよね、サラ」
「それは……」

手をカップから離すと、彼に手を握られた。
テーブルの上で手を繋ぐ。彼の手はいつものように大きく、温かかった。

「なんてね。もう頑張らなくて良いよ。薬を作る必要もない。魔法使いの人生3回分くらい、君は努力してきたんだ」

私たちは見つめ合った。彼は微笑み、穏やかな時間が流れる。
そのまま永遠に時が流れるかと思っていたら、ローランは言った。

「でも麗しい香りは、聞き捨てならない言葉も運んで来た。人間界に戻りたいの?」

彼の目は、全く笑っていなかった。

15.人間界の現在

私たちは庭から城へ入り、階段を使って地下へ降りた。地下はいつもの城から考えられないくらい、薄暗く、冷えていた。ローランの手も、いつもより温度が低く感じる。あれから彼は、私と手を繋いだままだ。

「ねえ、手を放してくれない?刑務所に連行される囚人じゃないんだから」
「……」

彼はずっとこの調子だ。いつもなら「『愛の監獄』と言う名の刑務所かな?」とか軽口を叩きそうなのに。

「なんか、薄気味悪い場所ね」

廊下には、調度品たちが無造作に置かれていた。飾られている、というよりは、転がっている。どれも、すごく古そうだ。まるで子供が、使わなくなったオモチャを散らかしておいたようだ。

「ローラン、どうしてさっきから黙っているの?」
「悲しいからだよ」

彼は呟いた。どんどん暗くなっていく廊下の闇に、声は飲み込まれていった。

「サラをこんなに愛しているのに、人間界に戻りたいなんて言われたからね」
「家族の様子を気にするのは、当然でしょう」
「僕も君の、将来の家族だよ」
「は?」

ローランの表情は、確認できなかった。廊下が完全な暗闇に包まれたからだ。私の手は、不意に彼から解放された。

次の瞬間、廊下が急に明るくなった。壁に掛けられていた蝋燭に、一斉に灯がともっている。廊下の突き当りにはドアがあり、そこが勢いよく開いた。

「兄貴!何の用だ?」

扉の先には、青年がいた。白衣にゴーグルを装着している。彼に向かって、ローランは言った。

「人間界の様子を見せて欲しい」
「何のために?」
「サラのために」
「気でも狂ったのかよ。人間界を覗けるのは、掟で決められた時だけだぜ?」

この世界に来て、やっと(比較的)まともな人に出会えました!

青年を無視して、ローランは部屋に入って行った。廊下に残された私がどうしようか迷っていると、青年は声をかけてきた。

「お姉さんも入ったら?」
「え、でも……」
「あ、もしかして『暗い廊下』に、腕試しに来たのか?」
「腕試し?」
「来る途中で見ただろ。絵から人が出て来たり、彫刻が動き出したりするんだ!」
「今すぐ入るわ」
「そう来なくちゃ。ようこそ、ニコラの工房へ!」

私はドアに体を滑り込ませた。
やっぱり魔法界ここには、まともな人間はいないみたいだ。

部屋は数々の戸棚があり、そこには瓶詰めの虫や動物、薬草が並べられていた。近くでは大きな鍋が、ぐつぐつと煮えている。鍋に入ったピンク色の液体を見つめていると、肩を叩かれた。振り向くと、先程の青年が立っていた。

「俺はニコラス。弟のノアにはもう会ったんだよな?」

ゴーグルは外されていた。髪は茶色で、大きな目は少年のように輝いていた。

「女と間違えたんだって?面白いよな。センスあるよ。噂通り、かわいいし!」
「あ、ありがとう……?」

ぐい、と顔を近づけられる。目と鼻の先には、整った顔があった。
すると背後から、ローランが割って入って来た。

「彼は三男だね。いたずら好きだから気を付けて」
「好奇心旺盛と言ってくれよな」
「旺盛すぎる好奇心のせいで、こんなところに追いやられたんだろう」

ニコラスは「爆発はゲージュツなのに……」」と、ぶつぶつと文句を言いながら、戸棚へ向かって言った。次々に瓶を手に取り、真剣に眺めている。

優しく穏やかな長男のローラン、真面目な次男のノア。そして明るいマッドサイエンティストの、三男ニコラス。全く性格が異なる兄弟だけど、三人ともハンサムだ。王妃か王様も、さぞかし美男美女なんだろう。

ニコラスはマイペースに、薬草を鍋に放り込んでいる。鼻歌まで聞こえてきそうだ。その様子を見ていたローランは、痺れを切らしたようだ。

「それより、人間界を見せてくれるんだろうね」
「掟を破る以上、俺に何か良いことはあるんだよな?」
「サラが『人間界に戻りたい』なんて二度と思わないようになる」

ニコラスは私を憐れみの瞳で見つめた。「やれやれ。大変な兄貴に好かれちまったな」とでも言いたげだった。

「いつか埋め合わせするよ、ニコラス」
「約束を破ったら、土に埋めて良いのか?ま、仕方ないか。兄貴は狂ってるから」
「狂っている方が、楽しいことは多いよ」
「こんな美人も手に入れられるしな。ほら、よっと!」

ニコラスが瓶に入れられた生き物を、鍋に入れた。鍋は大きな音を立てて、そして静まり返った。

「さ、どうぞ。レディファーストだぜ」
 
私は鍋を、恐る恐るのぞき込んだ。先程までピンク色だった液体は、見覚えのある世界が映し出されている。

しばらく、それが人間界だと分からなかった。
そこに映し出されていたものは、まるで地獄だった。

16.すべての決着(最終回)

「な、何これ……」

人間界をのぞける鍋に映し出された、現在いま
そこに人間ヒトは一人もいなかった。

下半身が蛇の女性や馬の男性は、まだマシな方だ。巨大な蛸、頭が7つあるネズミ、空中には人間の顔をしたコウモリが飛んでいる。

人間かれらはどこへ行ったの?」
「いるよ。よく見てごらん」

ローランに教えられて、私は再び鍋をのぞき込んだ。

巨大な魔物たちに紛れて、小さな人間たちが動いている。彼らは奴隷のようにこき使われて、働いていた。もう一つ異なるのは、至るところに土の中へと続くトンネルがあることだった。そこから入っていく者と、出てくる者がいる。

「魔物が今まで住んでいた地中の冥界から、人間界に物を運んでいるんだろうね」
「あれ、レオナルドがいる!?」

奴隷の中には、かつて私を棄てた婚約者もいた。彼は不服そうな顔をして、蛇女に命令されて、荷物を運んでいる。彼は私が見ていることも知らずに、再びトンネルの中へ消えて行った。

「彼はリリーと結ばれていたんじゃなかったの?」
「やれやれ。本当にサラは人が良いな」

ため息まじりにローランは言い、私の髪を軽く撫でた。私を見つめる瞳は優しく、穏やかだった。

「魔物は嘘つきだよ。」
「ははは。兄さん、魔法使いもあんま変わらねえよ」
「……ニコラスは黙っていてくれるかい」
「おー、こわ。そういうの、ヤンデレって言うんだぜ?」

ニコラスは手をひらひらと振りながら、棚の奥へ消えて行った。

「リリーは魔物だった。人間界を征服するためにレオナルドを利用しただけだ」

鍋の中を見つめた。家族の姿を探したが、人間の数は多く、小さくてよく分からない。ふと、ローランから腰を引き寄せられた。彼は耳元で優しくささやいた。

「だから言っただろう?これからはずっと、魔法界で一緒に……サラ?」
「う……」

目から涙があふれて、止まらなかった。

「泣くほど嫌なのか。仕方ないな。洗脳するしか……」
「ち、違うの!家族を心配してるの!」

ローランの灰色の瞳に、再び光が宿った。いつもの柔和な表情に戻っている。
ニコラスの言葉を思い出した。ヤンデレ。

「君を売り飛ばした父親を?」
「ええ、そうよ。私は今まで、家族の役に立つことが生きがいだった。それしか知らなかった。でも、その道を選んでいたのは私だったのよ。それが楽だから。自分の頭で考えなくて済むから」

別に親から強制されたわけじゃない。愛のない婚約生活も、婚約破棄されたのも、私の責任だった。

「じゃあ、サラは家族を許すんだね?」
「もちろん。許すも何も、大好きな人たちよ。彼らを救うためなら、あの人間界じごくにだって行くわ」

彼は私を見つめて、不意に抱き着いてきた。

「サラは本当に偉いね。今まで頑張って来たのに、泣き言の一つも言わないで。もう大丈夫だよ。僕がいるから。一生、不自由させないからね」
「……」
「そんなに誰かに頼るのは嫌?」
「な、慣れてないから……」
「じゃあこれから慣れていけば良い」

背中に手をまわして、私も彼を抱きしめた。大きくて温かい彼にすっぽりと包まれていると、彼の言葉に嘘はないように思えて来た。

「そうね。別にヤンデレでも良いわ。私が決めたことだから」
「何のことだい?」
「べ、別に……」
「僕に隠し事は嫌だな。後で教えてね?……さて、と」

彼は身体を放して、ニコラスのいる方へ顔を向けた。
ニコラスは部屋の奥で、分厚くて古い本をぱらぱらとめくっている。

「ニコラス。彼らを解放してやってくれ」
「はいよ」

ニコラスは本を戸棚に戻した。彼が棚を押すと、ぐるっと回転した。奥に部屋があるようだ。私はそこへ駆け寄ると、懐かしい人たちがいた。

「お父様!お母様!」
「サラじゃないか!」
「サラ!会いたかったわ!」

お父様もお母様も無傷で、元気そうだ。肌艶も良い。むしろ……

「二人とも、ちょっと太ったんじゃない?」

彼らは顔を見合わせて、口々に言った。

魔法界ここの城は素晴らしいな。ご馳走ばかりだったよ!」
人間界あそこにいた頃は侯爵の位の維持に必死で、まともに食事もできなかったものね……お祝いの品々も借金の返済に充ててなくなったし!」

良かった。人間界に未練はないみたいだ。
背後から肩に手を置かれた。ローランだ。

「サラが家族をどう思っているか分からないから、ひとまず城に避難させたんだ」

父親が不思議そうに「サラ、その男性は……?」と呟く。
私たちは目を見合わせて、どちらともなく微笑んだ。

「彼はローラン、魔法界の第一王子。私の婚約者よ」

両親たちは、後ろに後ずさった。お父様は怒りと驚きで、ぶるぶると震えている。お母様も信じられないと言った様子で、口を手で押さえている。
 
「二度と変な男に渡さないと、誓ったばかりだったのに!」
「王子、婚約者?サラ、あなたも懲りないわね……」
「え、じゃあお父様もお母様も気付いていたの?レオナルドのこと」
「もちろんだ!あんな奴に娘を渡したことを後悔して、取り戻そうとお金を集めていたんだ!今すぐ戻るぞ、王族にまともな奴なんていない!」

私はローランの表情を確認した。両親に洗脳魔法をかけないか心配だったからだ。しかし予想に反して、彼は穏やかな笑みを浮かべていた。

「ご安心してください。大事なお嬢様を、僕はきっと幸せにしてみせます」

予想外に紳士的な振る舞いに、両親は一瞬、ひるんだようだった。しかし再び、ローランをにらみつけている。そんな二人に、ローランは言葉を続けた。

「お二人のお部屋も、城に準備させていただきました。大切な娘さんをそばで見ていただき、もし僕に至らない点があれば、ご指導ください」

頭を下げるローランを見て、お父様は頷いた。お母様は泣きそうになっている。

「そ、そこまで言うなら仕方ないな」
「本当に良かったわ。サラが良い人に出会えて……」

ローランは微笑んだ。あたたかく、深い笑みだった。

「サラの努力の賜物です。魔法使いの人生三回分くらい、彼女は頑張りました」

私は両親がいた部屋をのぞいてみた。思いの外広く、シニアが好きそうな、落ち着いたデザインだった。暖炉では火が、ぱちぱちと音を立てて燃えている。

「これからよろしくね、サラ」
「ええ。こちらこそ」

ローランは私にキスをした。目をうっすらと開けて、暖炉の火を見つめる。ゆらめく炎はあたたかく、いつまでも光り続けていた――。

おまけ

「あれ、そういえば妹たちは?」

ローランから顔を話して声を上げると、両親を含む三人は顔を見合わせた。

「ルナとレナかい?てっきり城の他の部屋にいると思っていたんだがね」
「そうだ、サラには妹がいたね。『家族を連れてくる』ように移動魔法をかけたんだけど、かからなかったのかな。まさか魔物に捕らえられたとか……」

彼らは首をかしげる。そこでニコラスの「げ!」と言う声が聞こえた。彼は鍋をのぞきこんでいる。私も鍋をのぞき込んだ。

そこは他でもない、私の実家だった。扉には張り紙がしてある。見覚えのある、下手くそな字。私は口に出して、それを読み上げた。

「パパとママへ。冥界の魔物(魔王って呼ばれてたよ!)たちと、私たち婚約しました~!楽しそうだし!大好きだよ、お姉ちゃんにもよろしく! ルナ&レナより」

部屋に再び沈黙が訪れた。先程よりも随分と重く、長く感じる。さらに鍋の中で、動きがあった。
ドラゴンの大群が、空を覆いつくし始めたのだ。魔物たちが襲い掛かるが、ドラゴンが口から炎を吹き、一瞬にして焼き尽くされた。

中央でドラゴンに乗り、統率を取っているのは、ピンク色の髪をした青年だった。服装から王族だと一目で分かった。しかし明らかに人間界のデザインではない。魔法界のそれでもない。

ニコラスが薬草を鍋に入れると、人間界の音も聞こえるようになった。ピンク髪の青年が、口を開いた。

魔物 おまえ たち、やめろ。愛しい妻の世界を、これ以上滅ぼすな」

皮肉な口元。しかし顔つきは好青年と言っても良い。きらきらと輝く桃色の瞳、端正な顔立ち、歯並びも見事だった。

しかし次に聞こえたのは、氷のように凍てついた声だった。

「人間界と冥界は友好条約を結んだ。待ってろよ、魔法界の平和ボケした魔法使いたち?」

~~完~~

<文/立木かのん>


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