フレンチ

「ゲスト様に振る舞うコースはフレンチか中華、どちらになさいますか?」



「フレンチで」「中華を」



式場プランナーがゲストに提供するコースを僕らに訊いたのだ。
フレンチと答えたかみさんと中華を選んだ僕と「そこから意見割れてんのかい」とあきれ顔のプランナー。一瞬にして刻が止まった。


「え?フレンチでしょう?」とかみさんの声。


フレンチでのみ使う金のカトラリーがひとつのウリとなっている式場なので、食事はフレンチと決めたはず。それでも僕の口から「中華」という言葉が出てしまったのは、師匠、及び招待しているまわりのお客様「文蔵組」の顔が浮かんだからだ。




「あの人達、フレンチ食えるのか?」




式場は神保町。この町には落語家にとって縁の深い「らくごカフェ」がある。ビルの五階にある、50人で満員となるこの箱で、数々の噺家がしのぎを削っている。師匠も長年、会を催しており、ぼく自身も初高座がこの「らくごカフェ」なので、思い出深い場所である。
落語会の後には必ず打ち上げがついていて、客席に座っていたお客様が毎回飲み屋で待ち構えている。会場ではおとなしかったはずのその顔は「飲み師」と姿を変え、飲めや唄えやのドンチャン騒ぎ。弟子は店員と共闘し、海賊たちに注文を聞いて回る。見習いから前座までの、ザ・修行だった。

行く店はたいてい、「酔の助」か「三幸園」。落語会が早く終わって押し掛けても快く開けてくれた「酔の助」では、いったい何本の一升瓶を空けたことであろう。また、「三幸園」の餃子ほど、働きながらつまみ食いをして美味かったものはない。そこでは中華の定番「紹興酒」を山ほどやっつけた。


そのみなさま及び師匠が「フレンチ」を食べる姿がちょっと想像できなかったのだ。規則正しく出てくる料理をワインと共に愉しみ、端から順にナイフとフォークを使うなんてことが、神保町であって良いことなのか。考え込んでいる僕にプランナーが声を掛ける。


「あのー、フレンチの食材になにか、アレルギー等があれば対応できますよ」

「ええ、食材、というかフレンチそのものが、アレルギーかもしれないです」


 きょとんと音がするくらいきょとんとしたプランナーに構うことなく

「あのー、文蔵組の方々が来るんですけど」


「…ちょっと待って下さい。それは、あの、どういった団体なのでしょうか?」

反社会勢力ではないことは説明し、フレンチがどうもと話をする。

「お客様に事前に、中華かフレンチか、選択してもらうことはできないですかね?」

にっこり笑って「出来かねます…」と苦笑いのプランナー。

さて困った。
まあ、お客様に関してはまさか日常のすべてを神保町で過ごしているわけではないと思うので、フレンチも愉しんでくれるはずであろう。しかし、師匠である。果たしてコーポラスカナメでダンボールから蛇口が生えた金宮焼酎を食らっている師匠は「フレンチ」を食べるのか。そして僕は「フレンチ」を食べる師匠を笑うことなくみていられるのか、正直自信がない。


「ひとりだけ、どうしても中華じゃないといけない人がいるんです。その人だけでも中華を出せませんか」


こちらの真剣な眼差しに「まじなんだ…」とプランナーも思案して、検討の結果

「わかりました!文吾さんの大事な方ですものね。対応させて頂きます」


これが気遣いというものだ。せっかくの祝いの席、食べたことないものなど口に入れさせるわけにはいかない。式場に感謝をして、その日の打ち合わせを終えた。







後日師匠に報告。







「師匠、結婚式の料理、フレンチのコースなんですよ」

「ふーん」

iPadで麻雀を打ちながら気のない返事をしているが、内心動揺しているのだろう。


「でも安心してください。師匠だけ中華にしました」

タッチパネルを弾く指がとまり


「え、なんで?」


「だってフレンチなんか食べられないですもんね。交渉して、なんとか師匠だけでも中華に変えときましたよ」


「みなさんフレンチを食べてるなか、俺だけ中華を食べるの?」

「そうですね!」



タブレットから完全に目を離すその顔は、頬を赤らめ、ひどく慌てている。


「ばかやろう!俺だけ中華なんて恥ずかしいだろう。俺もみんなと同じフレンチを食わせてくれよ」

「え?中華じゃなくても…」

「いいよ!俺だけ仲間はずれにするな」


「でも師匠、人生でフレンチ食べたことあるんですか?」

「あるよ。あるから、頼むから俺だけ中華はよしてくれ」

「でも…」

「お願いだから俺を辱めるな」



お願いされたので翌日プランナーに全員フレンチの旨を伝えると、ほっとした声で「ですよね」と提案を快く撤回にしてくれた。


いろんなこと決めなければいけないが、とりあえずフレンチを出すことは本決まりとなった。

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