正しさは何故負けるのか【貴方の正しさを実現する方法】
一般的に「正義は勝つ」と言います。多くの創作物はハッピーエンドで描かれ、正義が勝ってお話は終わります。しかし、現実はどうでしょう。本当に正義は勝っているでしょうか?
私は、正義は負け続けていると思っています。そうは言っても、「最後はかならず正義が勝つ」と仰る方もいるかもしれません。しかし、それは正義は負け続けて、最後の最後に勝つ、ということです。良くて1勝1敗、悪ければ1勝99敗かもしれません。負けていることの方が多いのです。
貴方はこれまでに、自分が正しいと思っていることが行われていない場面に遭遇したことはありませんか?
そして、そんな社会に対して怒りや悲しみを感じたり、それを是正できない己の非力さに無力感を感じたりしたことはありませんか?
本稿では、そんな方々を対象に、個人が抱く正しさをテーマに以下の項目について考察しています。
正しさとは何なのか
正しいと思うことが、何故行われないのか
どうすれば正しいことが行われるのか
そのためには何をすればよいのか
本稿が、貴方の考える正しさが行われるきっかけとなれば幸いです。
1.正しさとは何か
初めに、「正しさ」について認識を合わせます。辞書的な意味は以下の通りです。
これに私なりの解釈を加えたのが以下になります。
本稿では、私の考える「正しさ」の定義に基づいて進めていきます。
①正しさと本質
(1)本質の定義
「本質」の辞書的な意味は以下の通り多岐に渡り、難解です。
本稿では主に①の意味を基に、以下の意味合いで扱います。
(2)本質の具体例
人間社会における組織を例に考えてみます。「組織」の辞書的な意味は以下の通りです。
ここでの、組織の本質は以下の二つであると考えます。
ある目的を達成するため
集団
「集団」は、個か複数かを分ける言葉の定義で、正しさに関わることは少ないので、ここでは、「ある達成すべき目的のため」に注目します。下図の例を考えてみても、この本質が当てはまっていることが分かります。
(3)本質を把握するには
本質を把握するためには、まず物事の存在意義や目的を考えます。そして、物事を具体的な要素に分解し、本質に必要不可欠なものを見つけます。
②正しさと公益
(1)公益の定義
「公益」の辞書的な意味は以下の通りです。
本稿では辞書の意味に私の考えを追加して、以下の意味合いで扱います。
但し書きを入れたのは、下図のように、私利私欲が公益と重なるケースがあるためです。
(2)公益の具体例
ここでも組織を例に考えます。一般的に、組織の目的は、社会への貢献や付加価値の提供といった、公益に沿っている場合が殆どです。
引用元:
トヨタ自動車株式会社
ソニーグループ株式会社
株式会社三菱UFJフィナンシャル・グループ
しかし、組織の目的が、世の中の格差を拡大させることであったり、差別を推奨することだったりした場合、目的を達成するという本質面では正しくとも、社会公共の利益に背いている点で公益に反しており、正しくないと言えます。
(3)公益であるためには
公益であるためには、下図の通り自分を客観視することが重要です。
2.正しさは何故負けるのか
①正しさが負ける理由
正しさが負ける理由は「正しさを主張する者に力がないから」です。
正しさに力がないわけではありません。正しさの持つ本質や公益には、人を納得させる論理的説得力と倫理的拘束力があります。
しかし、社会における意思決定は、正しさではなく、様々な力を考慮した総合的な力が強い者によってなされます。正しさ以外にも、権力や経済力、暴力など様々な力があり、これらが総合的に最も大きい者の意思が社会の意思となります。つまり、正しさが行われていない状態とは、意思決定者が正しさ以外の大きな力を持っている状態ということです。
②正しさが負けている例
正しさが負けている例を3つ挙げます。2つは社会問題の例、1つは私個人の信念の例です。
(1)日本社会の例:ブラック企業
いわゆるブラック企業は、長時間労働や過重労働、不当な処遇、違法行為など、企業の正しさの公益面における法令順守に背いており、正しくありません。しかしながら、下図の通り、法令違反の事業所の割合は74%に上ります。
このような状況になっているのは、ブラック企業が従業員と比べて大きな力を持っているためです。ブラック企業は従業員の給与という経済力を人質を取っている上に、法令の知識の差などもあって、本来従業員側が発揮すべきの法令の正しさの力が上手く発揮されていないものと思われます。
(2)国際社会の例:ロシアによるウクライナ侵攻
ロシアによるウクライナ侵攻は、国際秩序や国際法という規則に背き、自国の利益という私利私欲のための行動である点で公益に背いています。しかしながら、開始2年経った現在でもロシアの侵攻は続いています。
これは、ロシアの持つ核兵器という軍事力や、資源を握っているという経済力が、国際法などの正しさの力を上回っているためです。ウクライナ陣営はロシアの持つ力を上回らない限り勝つことはできないわけですが、核兵器という強力な軍事力を超えることは容易ではなく、同じ核兵器で対抗することは、一歩間違えれば人類の滅亡に繋がりかねないので、解決が困難です。
(3)個人の信念の例:適材適所
私には、「適材適所」であるべきという信念があります。これは、その仕事に求められている能力を持った人がその仕事を担うべきというもので、下図の通り正しいことだと思っています。
しかし、現実においては様々な場面で適材適所となっていないと感じています。日本の政治家を例に考えてみます。
政治家であれば、適材適所に則れば、国を良くするという公益の意志と、行政能力に長けるという本質的な能力を持つ人がなるべきです。しかし、最近の裏金問題などの報道を見ると、国のためではなく私利私欲のために働いているように見えます。また、国会答弁中に寝ていたり、用意されたカンペを繰り返し読むだけだったり、ただ相手の政策を批判するだけで代替案をださなかったりで、自分の理念や考えを主張しているように見えず、行政能力に疑問を抱いてしまいます。
もし、私に見えている通りであれば、日本の政治家の中には、能力不足という点で適材適所の本質を満たしておらず、私利私欲という点で公益にも合わない、正しくない人がいることになります。しかしながら、そんな政治家達が今もその地位にいられるのは、選挙で勝てる力(演説力、経済力、選挙区の地縁や人脈)があり、私にはそれを覆すだけの力がないからです。
3.正しさが勝つためには
以上のことから、正しさが社会で行われるには、正しさを主張する者に正しさ以外の力が必要であることが分かります。そして、今の世の中で特に重視すべき力は、資本主義的な力と民主主義的な力です。
①資本主義的な力
資本主義的な力とは、経済力のことです。経済力があれば、自分が正しいと思うことの障害を取り除くことができますし、より大きな規模での実現が可能になります。震災復興を例に考えてみます。
ある人が困っている人を助けたいという信念を持っていたとします。この人は、震災の知らせを受けて、すぐさまボランティアとして現地に訪問し、復興作業に従事して人々の役に立ちました。一方で、同じ信念を持つ億万長者がいて、自分の資産を数億円寄付したり、ボランティアでなく、復興作業の人員を数百人規模で雇用して働かせました。
片や一人の労働力、片や数億円規模の支援金と数百人規模の人員の動員。どちらがより復興に貢献できているかは明らかです。
正しさに経済力という力を合わせることができれば、正しいと思うことをより大きな規模で行うことができるのです。故に、経済力は持っておくべき力と言えるでしょう。
②民主主義的な力
民主主義的な力とは、影響力のことです。選挙で言えば得票数、SNSやnoteで言えばビュー数やフォロワー数です。自分が影響を与えられる広さや強さであり、また自分を支持してくれる人の数の力です。影響力が大きいほど、他人からの信用力と数の力を得ることができます。また、影響力を駆使することで経済力を得ることもできます。
影響力を持っている分かりやすい例が、いわゆるインフルエンサー達です。彼らはSNSのフォロワーという力を持っています。彼らの中には、その認知度の高さや支持者からの信用力を活かして、広告収入や事業に成功してで経済力も手に入れている人もいます。
このような影響力があれば、自分が正しいと思うことが人に支持され、数の力によって社会で実行されやすくなります。故に、影響力は持つべき力と言えます。
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