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ライトな学問ができる場所作り

こんにちは、はなたあさかです。

今回は私の好きなnoteクリエイターの佐藤ひろおさんという方が書いた記事をご紹介します。

是非ご一読ください。

専門の違いはあれど、私もかねてより彼と全く同じ課題を感じていました。

勝手に引用させて頂きつつ、私の観点で思っていることをお話できればと思います。

大学の研究と製薬会社の研究

まずは学問(研究)とお金の食い合わせの悪さについて、薬学業界での研究を例にとってお話します。

大学にも研究者はいるし、製薬会社にも研究者はいます。その決定的な違いが"お金"です。

率直にいえば製薬会社は営利企業ですから、お金にならない研究はできません。

言い方を変えれば、製薬会社は薬を創り出して販売している企業です。薬として創り出すことに直結することが最優先。研究にかかるコストもその為に使われることが必須です。

しかし、薬というのはただ効果があれば薬になるわけではありません。

病気の詳細な機序(病態という)がわかって、そこに作用している身体の動き(生理という)がわかって、それで初めてどう薬を効かせるかを決めることが出来ます。

こういうのを基礎研究といいます。基礎研究には、さらにそれまでの数多くの研究者たちが紡いできた知見が積み重なっています。

科学の発展にはこうした基礎研究が必要不可欠。

その成果は非常に価値の高いモノですが、モノとして存在しない以上、そこにお金は発生しづらいのです。投資としての色合いが強くなってしまう
(商品として購入して、利用できる人がいない、という言い方もできる。)

そのため、製薬会社ではなかなかこうした研究に着手することはできません。こうした研究に関しては大学でしばしば推し進められるのです。

余談ですが、大学の研究者も同業者を相手に取れば利用してもらえる可能性はあるのだから、自身の発明をお金に換えることもできるのではないか?と思えるかもしれません。

この疑問は正しくて、このやり方として利用されるのが特許とベンチャー設立です。実際に、特許を取得して企業とタイアップする先生も沢山いらっしゃいます。

ただ、製薬企業側も上で言っているように利益に繋がらない案件に無駄なお金は使えないので、単に特許やベンチャー設立をするだけでなく、企業側が買いたくなるような開発実績が必要になったりもします。

薬局薬剤師の成長目標

利益に繋がるまで時間と経過を要するので、特に大学での研究はお金と食い合わせが悪いよ、

という話をするために大きな話をしたんですが、少し目線を変えてみます。

私は調剤薬局で薬剤師をしているので、そのプロとしての仕事は薬のことを一般の方々にお話しするところにあります。

ただ、多くの方にとって「うんちく」が聞きたいわけではないですよね。

知りたいとすれば、例えば副作用としてどんなものがあるのか、そういった症状が出た場合にどう対応すべきなのか。あるいは、具体的な使い方、といったところではないでしょうか。

薬剤師側のやりがい目線でいえば、患者さんが持っている課題を会話から導き出して、それに対して明確な対応ができて、良くなった患者さんから感謝もされれば嬉しいでしょう。

ミッションも患者の課題解決にあるわけですから、おのずと努力の方向性はそこに向かいます。

レベルの高い薬剤師ほど勉強するし、勉強のツールも教科書から論文へ、基本知識から最新の知識へとシフトしていくことでしょう。
その集めた知識の一旦を使って、課題の解決に寄与する。薬剤師としての成長目標はそこになる。

私が”好き”なこと

さらに個人の話に置き換えていきます。

私自身が本当に好きなことは、実はこういった課題解決ではなかったりします。というのが、最近わかってきたことなんですけども。

研究を立ち上げたり、疑問に思ったことを調べる過程で少なからず論文を読んだりしてきたんですが、調べれば調べるほど疑問は湧いてくるものです。

調べていく中で疑問に思ったことを議論したり、共有したりしたいですよね。自分で調べるだけでなく、他の人の意見を聞けば新たな発見があるかもしれません。

簡単に言えば、知的好奇心を満たしたいんですね。
こういうのを一言で「学問」といいます。

気を付けるべきは、目的が業務上の課題を解決することではなくて、気になることを追求していることにあるということ。

薬剤師の仕事に直接活きる話ではないので、自分の考えがこちらに寄りすぎると、患者さんはおろか薬局で薬剤師をする人にとっても別に知りたいと思わない「うんちく」になり得ます。

専門性の「需要」と学問の「供給」

勿論、専門家としての能力はこうした勉強の一つ一つの積み重ねで上がっていきます。

「個人の市場価値」という考え方でいくと、専門性を売りにする職業は能力を上げることが市場価値を上げることに繋がるはず。

しかし、市場には需要と供給というのがあります。「学問」的な供給は、市場が求める「専門性」の需要とはマッチしていない。

専門家の能力と市場価値は決して相関しません。

端的にいうと
勉強した分がお金に変わると嬉しいよね、と思う反面、それが求められていないようではなかなか商売にはならない。
これが学問に身を置く人の課題だというわけです。

うんちくをお金に換える錬金術

という現状がある中で、ただ需要が本当にないのか、潜在的にはあるけど顕在化していないだけなのかはまだ分かりません。

例えば治療を受けているわけでもないけど、薬の話がただ興味があって知りたい人がいたとしたらどうすればいいでしょうか。

今ならSNSで発信されている医療従事者の話を聞く??でもそれは情報の取捨選択が難しいし、何より学問の話とは逸れます。

本来的に、深い部分が知りたければ大学に行くべきです。大学は知の集合体で、最新の知識をガチの研究者から学ぶことが出来る施設です。

だけど、大学に入学するには莫大な費用がかかります。試験もあるし、拘束時間も長い。おいそれと入学を決めるわけにはいかない。それが社会人であればなおさらです。

そうすると、興味本位で知りたいことはあるけど自分では勉強のしようもないよね、という方はそうした情報にアクセスするのは困難です。

私は博士号を持っていないので、研究者の端くれですらありません。大学で教えられるような密度の話はできないでしょう。

ですが、少なからずやったことがあること、調べたことがあることをお話はできると思うのです。それをお金を貰ってお話できないか。

学校でもなく塾でもなく。もう少しライトな形で学問が出来る場所。
そうした場所を作りをしていく必要があるのかもしれません。


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