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新しい世界が始まる

 椎名林檎さんは1999年、20世紀最後の年に彗星の様に現れた。

 デビュー当時の作品に、幸福論・ここでキスして・ギブス・罪と罰・本能などがある。

 林檎さんは、制作会社から売れる曲を書いて欲しいと言われたらしい。

 aikoさんや宇多田ヒカルさんは、J-POPの中心をごっそりと持っていかれたけど、林檎さんは、少しずれているところを作曲された。

 林檎さんが新曲をコラボされたけど、デビュー当時の罪と罰のMVを彷彿とさせる。

 林檎さんは、センスと才能があって、とてもアーティストの一面を持つ。

 例えば、東京事変はカッコ良いし、映像の演出もされた事がある、五輪の音楽も素晴らしかったに違いない、コラボも評価が高い、求められた事を表現できる。

 今日、どうして林檎さんの記事を書いているかと言うと、デビューから25年経つけど、休む事なく第一線で活躍を続けていらっしゃる。

 その力強さに、表現者として学ぶべき所が沢山ある。

 僕が好きなのが林檎さんを演じられる時である、言葉の使い方や息の吸い方、姿勢、身のこなし方、服装、表情の作り方など映像作品は見応えがある。


 話は変わるんだけど、今日デイケアで感じた事を書こうと想う。

 この病気できついのは、カナブンの様な音が頭の側で聴こえる。これがつくと体力が次第に奪われてきつい。

 小学生や大学生の時は、毎日を乗り切ろうと必死で、幻聴にもとんでもなく大変な目にあった。

 声がしなくなるとホッとして、じっとしていようと想う。

 無理をしていると長続きしないので、最後は諦めてしまう。自然体で取り組める事が大切である。

 僕にとって、中学生・高校生の時の様に、基本的に何もしない学校生活は安定剤の様なものだった。

 デイケアを避難所と言っているけど、学校に行く事で安心していた。

 幻聴が騒いで、調子悪いなと思う時もあったけど、学校生活を送る姿勢は生き方として正しかった。

 僕は、幻聴がどうしたら静かに出来るか?そればかり考えていた。

 例えば、静かになるまで待とう、強引に進めないなど避難所の運営に努めた。

 今日も帰宅して21:00頃まで、この状況からどうすれば良いか?判断していた。

 デイケアの利用、病気対応が毎週同じ事の繰り返しになっている。

 今日の最後は、調子が悪いから寝ようとなる。

 デイケアでは、ゲストの様に扱って貰える。

 避難所で収入を得る為にはどうすれば良いか。

 例えば、自分が出来る有料記事の投稿を取り組んでみる。

 Mさんとの心理面接が全ての始まりでもあり終わりとも言える。

 エリアプラス、始まりと終わりが繋がる場所、新しい世界が始まる。

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