カメラを持つと無敵になれる。「蜜蜂と遠雷」を読んで思ったこと。
昨日、いつもの様にお風呂で本を読んでいたら、この言葉が目に留まりました。
「蜜蜂と遠雷」は、4人のピアニストを中心としたコンクールを舞台にした小説ですが、これはそのコンクールのドキュメンタリーを撮影している人の台詞。
この言葉を読んだときに「あ、めちゃめちゃ良くわかる!」ともの凄く共感しました。(ピアノとは全く関係ない場面なのはすみません。)
観光ブログを作成するためによく観光スポットを訪れて写真を撮るのですが、私が好きなのは風景写真。その為、行く場所も見晴らしの良い展望台や、街を見渡せる高い場所、そして断崖絶壁など。改めて考えて見ると高い場所が多い。
だからどうした、と思われるかもしれませんが、私は高い場所が苦手なのです。そう、高所恐怖症です。
そしてその高所恐怖症が、写真を撮っている時だけはどこかに消え失せてしまうのです。カメラ越しに観ると現実感が無くなるというか「蜜蜂と遠雷」で言っていたように「万能感」、なんでもできる様な気になるのです。
高くて足がすくんでしまう場所でも、カメラ越しに観るといい写真を撮ろうという頭に切り替わり、カメラから目を離すとまた足がすくんでしまう。こんな経験が何度もあります。
例えば、島根県の日本一高い灯台「出雲日御碕灯台」に行った時。
灯台の上にある展望所(灯台の中をらせん階段で登る)は、高さが約60mあるそうで、展望所には出ることすら恐ろしかったのですが、カメラを構えた瞬間、あっという間に恐怖心が無くなりました。不思議なことにこの写真を撮ったように下を向いて撮ることもできたのです。逆に恐ろしいです。
他にも、宮崎県の「馬ケ背」に行った時。
2022年に新しく「スケルッチャ!」という、高所恐怖症には正気の沙汰ではない観光スポットができたのですが、端から見ていると怖すぎて上に立つのを躊躇いました。ただ恐ろしいことにここでもカメラを構えると透明な床の上に立ち、透けている床を撮り、そして下を覗き込んで撮ることもできたのです。
この「蜜蜂と遠雷」の文を読んだときに、これらのことが思い起こされました。この現象を正に言語化してくれたことが、とても有難く嬉しい気持ちになり、「自分だけじゃないんだ」という安心感を得ることもできました。
本を読んでいると度々この様な場面に出くわします。自分の行動や気持ちが自分だけではないという安心感と、なぜ自分がそう行動するのか、なぜ自分がその様な気持ちになるのか、それを言語化してくれて自分に対する理解が深まる。
本を読んでいて良かったなと思える瞬間です。
▼「出雲日御碕灯台」の見どころはこちら
▼「馬ケ背」の見どころはこちら
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