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夏の終わりにモンゴルを旅した話。

8月末、10日間ほどモンゴルに行ってきた。

台湾で出会ったモンゴル人の友人の結婚式に参列し、その参列メンバーと一緒に友人の故郷や絶景を巡るロードトリップをしてきた。

モンゴルで過ごした日々は、目に飛び込んでくる全ての景色が、壮大で美しくて、どう言葉で表現したらいいかわからなくらいに凄まじかった。

これから出会う景色に感動しなくなっちゃんじゃないだろうか、と不安にさせられるくらいに圧倒的だった。

友人が生まれ育った故郷を知った。

彼女の家族や親戚、そして彼女が大切に想っている友人達と巡り会えた。台湾、香港、マレーシア、ツバル、モンゴルの友人ができた。

伝統的な結婚式に参列したと思えば、高級リゾートゲルに宿泊。草原で遊牧民と共に馬に乗り、過酷な2100kmのロードトリップでは、ありのままの大地の美しさを感じながらテントを張って、目覚めると馬や羊の群れがすぐそばにいた。

単なる景色の美しさではなく、出会いや経験が修飾してくれている美しさ。

早朝に起きて次第に太陽に照らされていく大地を撮って、夜はみんなが寝静まった後も一人で星を眺める日々。

__「ま、あとでいっか。」みたいな先延ばしが全くない世界

一日として同じ日はない、そんな当たり前を旅先でカメラを向けているとより強く感じる。旅先で出会った人たちとの別れを、出会った瞬間から自覚するからだろうか。

今日は今日しかなくて、今は今しかない、と考えたら残したい瞬間が多すぎて、写真を撮る者としてはとても忙しい。ただ「忘れたくない今」が沢山詰まった自分の人生最高だな、とカメラフォルダの枚数を見て思う。

記憶は儚くて、最後に残るのは写真。そして人との出会いや新鮮な経験が詰まった旅の写真は、きっと単なる画像以上の意味合いを持つ。

人生なんてよくわからない。好きなことばかりしていたら、出会いがあって、縁が繋がってこんな場所まで自分を連れてきてくれた。

最初はウランバートルの見慣れない文字の看板を見ながら「なんだか遠くまで来たな」と思っていた。でも帰る時は車窓を流れていく草原を見ながら「そんなに遠くないし、またみんなに会いに来よう」と想った。

国と国の距離は物理的なものじゃなく心の距離だ

また恋しくなってこの景色に会いにいく気がしている。


[あとがき]
忘れてしまうことが恐ろしく、記憶が新しいうちに写真のレタッチを終え、動画を編集したり、言語化していたら部屋にこもって3日経っていた。

台南の独特のまとわりつくような暑さに、日常が戻ってきた感をひしひしと感じている。同じアジアといえども、モンゴルの1300〜1600m地点で過ごしていたのだから、やはりいまだに気候の感じ方にギャップがある。

それにしても今年もまた濃い夏を生きた。

友人や家族が台湾に遊びに来てくれたり、毎週の交流会でいろんな人と話したり、学校で仲良くなった友達との別れが寂しく号泣したと思えば、撮影・編集で目が充血するまで作業してたり、テストやプレゼンに追われ徹夜したり。モンゴルへ行く当日だって、結局寝る暇もなく朝やっと駅で作業を終えたし、帰りの便のトランジットで着いた香港でも結局寝ずに作業していた。

楽しいことで溢れていて、寝る時間を削って好きなことに夢中になった夏でした。すごくすごく楽しかった。

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