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【物語】- 平坦 -

 星が良く見える夜空の下。

 渇いた空気が流れる荒廃した地にひっそりと佇む町では、その小さな規模に反して大賑わいを見せていた。小ぢんまりとひしめき合った建物のほとんどがバーやレストラン等の飲食店であり、この町の主な収入源にして立ち寄った客たちにとってのオアシスとなっている。至る店から聞こえてくるのは、笑い声や怒鳴り声、グラスやジョッキを鳴らす音、粗野で軽快な楽器の音色など実に雑多で騒々しい。人間というのはいざ酒を片手に語らう相手が隣にいれば、口を開き己の感情や見解や思考思想を吐き出し、喜び怒り悲しみ楽しまずにはいられない生き物だ。今宵もまた闇夜に迷う子羊が一筋の光明へ誘われるかの如く、この静まることのない町へ集い活気を露わにしている。
 
 
「おうッ、英雄サマの帰還だ! いつもの酒を用意してくれィ!」
 
 
 町のとある酒場でスイングドアが勢いよく開かれ、中に居る者たちを振り向かせるほどに張り上げられた声が轟いた。視線が集まる先に立っているのは、胸部に赤銅色のプレートを装着し背に長槍を携えた、年齢にして20代半ば頃の青年だった。短く刈り上げた金髪と鋭い眼光を持つ風貌は張り上げた自身の声に似つかわしい威勢の良さを発している。青年は意気揚々と店内の中央を突っ切りカウンター席へ着くと、少々面倒臭そうに視線を向けてくる店主から黄金色の発泡酒が目一杯注がれたジョッキを受け取り一気に飲み干した。
 
 
「くぅ~~ッ、最高だ! 店主、追加でもう一杯。あと腹も減ったから適当にグリルしたやつも持ってきてくれ!」
 
 店の主人が作っている表情などお構いなしにズケズケと注文を行うと、金髪刈りの青年は上機嫌な様子で口元の泡を手で拭った。それを合図にするかのように一連の行動を見終えた客たちは静まり返った場を再稼働させ飲み食い談笑を始めたが、その中の数人、付け加えると一際ガラの悪そうな数人は目を鈍く光らせて青年の元へ近づいてきた。 
 
 
「よう色男。最近羽振りが良いらしいじゃねぇか」
 
 
「そりゃそうだろうよ。なにせ目ぼしい案件は全部コイツが掻っ攫っていきやがるんだ。お陰でこっちは商売上がったりだ」
 
 
「ならよ、コイツに依頼を回してやってる分の仲介料を頂かねぇとな。たんまり報酬を貰ったんだろ? 金が無いなんて言わせねぇぞ」
 

 男たちはカウンター席に座る青年の周りを蛇がとぐろを巻くように取り囲み、各々の得物に手を伸ばしながら圧を掛けてきた。物々しい雰囲気が充満する包囲網の中で、しかし青年はどこ吹く風と言わんばかりに表情を緩ませ、皿やグラスを乗せたトレーを片手に客席の間を忙しなく歩く女性店員たちの姿をぼんやりと眺めている。
 
 
「おいッ、聞いてんのかギルドウ? てめぇがここいらを荒らしまくってる所為で迷惑してんだよ!」
 

 その余裕綽々な態度に堪忍袋の緒が切れたとばかりに、取り囲む男連中の一人が怒鳴り声を上げた。続けて青年の胸ぐらを掴もうと腕を伸ばしたその時────、
 
 
「っぶぁぁ!?」
 
 
 突如男の視界が大量の液体で遮られ、思わず伸ばしかけた手を引っ込めて反射的に瞑った両目を慌てて拭った。顔いっぱいにべっとり付着した液体の臭いで男はその正体が青年が手にしていたジョッキの中身であることを理解した。
 
 
「────せっかくのイイ気分が台無しじゃねぇか」
 
 
 掴み掛かられる直前に運ばれてきた追加注文の酒。肩越しに立っていた男が行動に出るや否や、青年は瞬時にその方向へ手に取ったジョッキを振り抜き男の顔面を酒塗れにしたのである。
 
 
「てめぇ舐めたマネを…ッ」
 
 
 カウンター席から思わぬカウンターアタックを喰らった男は怒りに任せて短剣を抜きそのまま振り上げる。上昇し切った刃先が下降していくその刹那、立ち上がり振り向くと同時に握り締めた青年の拳がアルコール臭たっぷりの膨れ面に豪快な音を伴って叩き込まれていた。男は無言のままゆっくりと背中から倒れ込み、その様子を目撃した周りの囲い連中は一呼吸の間を置いた後各々凶器を手に臨戦態勢を取った。大量の刃先を向けられたこの絶対的不利な状況においても、青年は余裕の笑みを浮かべて自身の得物を手に構えを取った。店内に再び沈黙が訪れ、今度はさらに張り詰めた空気が店内を覆う。

 と、カウンター前で今まさに大乱闘が行われると誰もが予想する中、不意に給仕服に身を包んだ一人の女性店員が蛇のとぐろの中へスルリと入り込み、金髪刈りの青年の隣へ躍り出た。
 
 
「はぁ~いジャックス、お仕事お疲れ様。依頼達成を祝ってあたしが一杯奢ってあげる。だからこの場は収めてちょうだい、ね?」
 
 
 女性店員は青年の耳元で甘く囁き、それを囲ってみていた男たちは女性店員の整った容姿と艶めかしい仕草にすっかり戦意を喪失し、どころか揃って鼻の下をだらしなく伸ばしていた。
 
 
「コイツらが吹っ掛けてきたんだぜ? なんでもオレサマが額の高い依頼ばかり受けちまうもんだから腹が立っているんだとさ」
 
 
「それは仕方のないことよねぇ。基本的に依頼の引き受けは早い者勝ちだし、そもそも金額の高い案件は危険で達成が困難だから易々と受けられるものじゃないわ」
 
 
「だろ? ならお前からコイツらに言ってくれ。そんな易々と受けられるもんじゃない案件を、オレサマみたいに易々と受けて達成できる実力を付けてから話しかけろってな」
 
 
「んもう、意地悪なんだから。遠慮しろとは言わないけど、この町にはお得意様の賞金稼ぎも沢山いるんだから、新参サマはもう少し気を遣ってよね」
 
 
 賞金の掛かった案件が舞い込むコミュニティの中は、地域と蜜に取引をしている“お抱え賞金稼ぎ”なる存在がいる。その腕を見込んで優先的に案件を回す事で、町にとっては安定して依頼を捌く人材を確保することができ、賞金稼ぎもまた案件に困ることがほとんどなくなる。しかし、コミュニティと特定の賞金稼ぎが個別に密になり過ぎると、依頼を求めて流れて来る他の賞金稼ぎには全く案件が回ってこないという事態に陥ってしまう。そんなコミュニティ事情が存在する中、この町では基本的に依頼を平等に受けるシステムになってはいる。ただし、賞金額の高い案件はこの町を頻繁に利用する常連組が先に受ける権利を持つという暗黙の了解があったのだ。町に流れ着いた新参者は、大抵まずこの情報を仕入れてはそれに従い、下手に事を荒げることなく依頼を受けるようにしている。しかしこの青年、ジャックス・ギルドウにとってはそんな暗黙など無いも同然とばかりに高額案件が更新されたそばから次々と受けていたのである。
 
 
「何言ってんだ。オレサマは気を遣われても遣う気はこれっぽっちも無ぇな。それに────」
 
 
 ジャックスはまだ言い足りない様子だったが、彼の肩に上目遣いで腕を絡めてくる女性店員の姿に言葉を切り、ムスッとした顔を一気に緩めた。
 
 
「…まぁ、なんだ。お前が一杯付き合ってくれるってんなら、オレサマはそれで構わねぇよ?」
 
 
「さっすがオレサマね。じゃあここにいる同業者さんたちにも少ぉーし気の利く言葉をかけてあげて?」
 
 
 女性は小声で囁くと、カウンター奥で聞き耳を立てながら調理をしていた店主へ目配せをした。すぐさま上品な赤紫色のアルコールで満たされたグラスが2つテーブルに並ぶ。そのうち1つを女性から丁寧な所作で手渡されると、渦中の青年は見る見る上機嫌に戻っていった。
 
 
「しゃーねぇな。イイ女がいるこの町のルールってんなら多少の融通は利かせてやるぜ。ただし、高額依頼に関してオレサマが待てるのは張り出されてからきっかり1時間だ。それを過ぎたらお得意さん等(ら)の手に余る案件だと判断し、このジャックス・ギルドウが貰うからよ!」
 
 
 尚も上から目線で主張するジャックスに女性店員は小さくため息をつくが、周りの囲い連中も似たり寄ったりの所作を行っては疎らに解散していく様子に一応の解決を見て安堵している様子だ。
 
 
「さて、それじゃあ乾杯しましょ? オレサマの祝勝にっ」
 
 
「おう。オレサマの祝勝に」
 
 
 とぐろが解かれたカウンター席に座った2人は互いのグラスを重ねて乾杯の音を鳴らした。金髪刈りの青年はすっかり機嫌を取り戻し、豪快に杯を傾けてワインを一気に飲み干した。その飲みっぷりに賛辞を送りつつ、女性はグラスに軽く口を付けながら青年へ話しかけた。
 
 
「ねぇ、ジャックス。あなたはずっと賞金稼ぎの仕事を続けていく気なの?」
 
 
「ん、なんでそんな事訊くんだ? 別に珍しい生き方じゃねぇだろ。腕っぷしの強さを活かした生活をするなら賞金稼ぎは妥当な稼ぎ口じゃねぇか」
 
 
 当然とばかりに返答する青年に、女性はそれもそうだけどと言い淀みつつ目の前の男を品定めするようにまじまじと見た。
 
 
「あなたって何かこう、ただ腕が立つだけの粗野な人たちとは違うのよねぇ。真っ直ぐなところあるし、意外と義理堅い面も持ってるしさ。“公務”として平和を守るお仕事もあなたに合うんじゃないかなーって思っちゃった」
 
 
「バカ言うなよ。《正規騎士団》なんて上流階級たちが仕切るお堅い仕事なんざ色んな意味でまっぴらだぜ。大体オレサマが群れで動くように見えんのか?」
 
 
「あら、意外と様になると思うわ。実力は文句ないし、あのお堅いだけの組織においては逆にいい上司になりそうじゃない?」
 
 
「お前の見立ては相当ズレてると思うぜ?」
 
 
「いっそ志願してみれば?」
 
 
「ハッ。こっちから願い下げだ」
 
 
 ジャックスはそこで話を切り上げて空になったグラスを振って見せると、女性店員はつまらなそうに口を尖らせつつカウンター奥の店主に再び目配せをしてもう一杯頼んだ。
 
 
「じゃあ、当分はその日暮らしの一匹狼って訳?」
 
 
 上品な赤紫色のアルコールで満たされたグラスがテーブルに置かれると、女性は空になったグラスと交換に青年へ手渡しながら少し意地になって食い下がった。


「そういうこった」


 青年は今度こそこの話を終わらせようと杯を一気に傾けようとしたが、ふと何かを憂う様にテーブルへ視線を落とした。


「────まぁ、ただ稼ぐだけの生活も平坦で面白みに欠けるけどな」
 
 
 今度はゆっくりとグラスを傾けて一口付けると、ジャックス・ギルドウは虚ろな目で天井を眺めつつぽろりと呟いた。女性にはそれが青年自身も気付いていない秘めたる願望の表われのように見て取れた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 結果から考えると、当人からは相当ズレているとの評価を下された彼女の見立ては、いずれ青年の運命を大きく変える出来事が起こることを見事予言していたのだった────。

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