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『赤土と太陽』第四章

小学生の時、バットやグローブ、ボールなど野球に必要な道具は全て買い与えられていたが一緒に野球をする仲間がいなかった。兄は弟とあまり遊びたがらないし友達は球友や白鷺という野球チームに所属しており私とはレベルが合わず、近所のブロック塀に向かって黙々と投げ込むだけが私の中の野球だった。

ブロック一個分にしっかりと速球を投げ込む練習をしていたが誰とも野球ができない私はたまにはボールを打ってみたくなる。田んぼに行って自分で放り投げたボールを打ってみたがバッティング練習をあまりした事がないので上手く打てないし、たまに特大のヒットが生まれてもその白球を追う者は誰もいなかった。
 
友達が少なかった訳ではないがどうしても馴染めないところがありその頃流行り始めていたテレビゲームにみんながのめり込んでいくのがどうにも許せなかった。

お誕生日会だというので友人の家に行ってみると15人くらいの友人がテレビを囲み誕生日の友人がプレイするのをじっと眺めている。みんなは自分の順番が回ってくるのを期待しているようだが私はコントローラーの扱い方も分からないし何より山も川もある田舎でそんな異常な遊びに身を置こうとしているのが嫌だった。

私が誕生会を抜けて帰ろうとするとその家のお母さんが気を遣ったのかゲームを止めさせ外で遊ぶように促したが、私のせいでテレビゲームができなくなった友人達はみんな不服そうに見えた。私が我慢すれば良かったのだ。
 
結局私は山や川で一人遊びする事が多かった。最初は『独眼竜正宗』や『武田信玄』の影響か秘密基地を建設していたが、『春日局』を視て以来もっと穏やかな空間を築こうと他人の土地を勝手に耕し野菜や花の種を植え学校帰りに水をやった。何人かの友人をその場所に案内した事があったがそこが大切な場所だと分かってくれたのは一人だけでその友人と遊ぶ事が増えた。
 
中学、高校と進学するに連れて友人は増えていったが、大学に進学すると結局一人になり、大人になって旅をするようになってからもやはり一人が多かった。一人、一人、一人......
 
私は人を求めているが一人でいる事に慣れてしまっている。いじめっ子でもいじめられっ子でもなかったし友達は多くも少なくもなかった。でも本当はもっとみんなと仲良くしたかった。野球だって下手でも一緒に楽しむ勇気がほしかったし、テレビゲームだって自分が得意ならそれを異常な遊びと形容する事もなかったかも知れない。

兄は弟とはあまり遊びたがらないものだが弟はそうではない。しかし私は何かというと兄に殴られてきたしその兄がたまに兄の同級生達に殴られているのを見るのは嫌だった。
 
“一体自分はどんな大人になっていくのだろう...”
 
一人に慣れている反面ずっと一人が不安だった。
 
月日が経ちアメリカを自転車で走り切ろうなんて考えた段でもそれはあまり変わっていなかった。私のアメリカ自転車旅を案じ支えてくれる友人はたくさんいたし彼らとの関係をもっと育てていきたかったが自分の育ちが遅れているのを感じていたのだ。

いま一つ人の痛みが分からない。

貧困な表現をするなれば私は傷心でアメリカへと旅立った。自分の痛みと向き合う一年間を送ってきたしアメリカを走る事で前例がないほどに心身共追い詰められていくのだ。でもその先には他人への理解の深まりがある気がしていてアメリカ自転車旅は私を育ててくれるような予感がしていた。

それは幼少の頃からずっと怠ってきた鍛錬をついに始めたような摩訶不思議な感覚だった。
 
 
 
 
 
◆第四章目次
 
「虚無の折り返し」
「忍び寄る爪音」
「オクラホマの赤」
「赤土と太陽」
「レイシスト」
「無情」
 
 
 
 
 
【虚無の折り返し】
 
 
2013年9月14日
 
アメリカのロードトリップと言えばROUTE66をイメージする人が多いだろう。イリノイ州シカゴからカリフォルニア州サンタモニカを結ぶ3500km余りの旧国道で、数々の映画やドラマの舞台、曲のモチーフになっている。ジャズスタンダードとしても有名で私はナット・キング・コールが歌う『ROUTE66』でルート上の都市を覚えたものだ。

シカゴを出発した私はセントルイスやオクラホマシティを経由し後はロサンゼルスまでひたすら西進するのでほとんどROUTE66と同じルートを走る事になる。シカゴを出発したばかりだがこの道が西部や砂漠に続いていると思うとここまでとは全く違う新しい旅の始まりを感じる。
 
私はまずモリス、ブルーミントン、スプリングフィールド、リッチフィールドを経由してミズーリ州のセントルイスを目指した。イリノイ州は北部のため朝は寒く陽が昇り切るまでは思考が覚束ない走行が続くが少しずつ脳が動き始めると頭に浮かぶのはシカゴでの楽しい想い出ばかりだ。

久しぶりに留まっていたし友人と気兼ねなく過ごした。日本語でのコミュニケーションも楽しかったし美味しいものもたくさん食べた。シカゴまでは健迅達に会える楽しみもあったがシカゴ以降は誰一人友人はおらず、ずっと感じていた慢性的孤独は彼らと別れて以来鮮明で刺々しいものに変わっていった。

肉体はリフレッシュできたが精神がもう少しシャキっとしない。それはまるで夏休み明けの学生気分だ。これじゃダメだ。自分を戒めようとした次の瞬間、目の前の交差点で交通事故が起こった!シカゴを出発してすぐのジュリエットという街での出来事だ。

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