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旅を教えてくれた沖縄の狂ったじいさん①

 人生の分岐点にいる人物はどうもおかしな人間ばかり。私だけだろうか?沖縄の猟奇的なじいさんとの出会いがなければ私は世界を旅するという事もなかったと確信している。

シリーズでお届けするこの話はもちろん事実にのみ基づいている。


《塩じいとの出会い》

2010年2~3月、私は東京から福岡、さらには沖縄を一周する1500kmの自転車旅に挑戦していた。沖縄は那覇から時計回りに一周したのだが、宿泊施設のない東村周辺で日没を迎えそうになり途方に暮れてしまった。一つはっきりと言えるのは“とにかくやってみよう!”という気持ちが先走るばかりで計画がずさん過ぎた。私の心境とは裏腹にビーチでは飼い犬とも野良犬ともつかない二頭の犬が戯れているのが見えた。

しばらく犬と沖縄の海をぼーっと眺めて現実逃避をしていたが、自転車旅はペダルをこぐ事によってのみ進展を生むもの。全身に回った倦怠感と闘いながら再びヤンバルに突入する決意を固めたその時、誰かが犬を呼ぶ声が聞こえた。なるほど一応飼い犬であった訳か…  声の主に駆け寄る犬を背に再び走り始めると、それでもまだ叫び声がするではないか。もしかして私を呼んでいるのか?振り返ると一人のじいさんが身振り手振りでこちらに何かを訴えている。

それが塩じいとの出会いだった。

じいさんは状況を全て察したかの様に『うちに泊まっていきなさい』と言ってくれたが、突然の申し出過ぎてやはりそれには少し悩んだ。真に親切な老人であれば大変失礼だが何処の馬の骨か知れない高純度の他人で、丑三つ時に包丁を磨ぐ音が聞こえてこないとも限らない。

私はアジアを旅してきた経験から声を掛けてくる人に警戒心を持っていたが、日没後のヤンバルを走る事は同じくらい絶望的で、不安を払拭できないながらも厚意に甘えて休憩だけさせてもらう事にした。するとあれよあれよと泊まっていく話にすり替わっていく。決してそうは言っていないのだが…   戸惑いはあったが一本タバコを吸ってほぼ陽の落ちた海を眺めていると”まぁそれも面白いかな…”と思い始め、タバコを吸い終わるとビールを買いに共同売店へと走った。

海に向って椅子を並べて塩じいと語らいながら夜遅くまで飲み続けていた。少し打ち解けてきた頃、見ず知らずの自分を何故迷い無く泊めてくれるのか、素朴な疑問をぶつけてみた。すると酔っ払っていたはずの塩じいがはっきりとした口調でこう答えた。

『沖縄の人は困っている人を絶対に見捨てない!絶対にだ!あとわしも今はずっと海を見て暮らしているだけだから寂しいんだ。もう眠いから寝るよ。明日は三枚肉焼いてあげるからね!三枚肉!』

…言葉が出なかった。

私が誰でどんな人生を送ってきたのか。善か悪か。塩じいには関係がないんだ… 凄いな、じいさん。

それまで東京から走ってきた1300km区間にもたくさんの出会いがあったが、この時ほど旅をしていると感じた瞬間はなかった。塩じいが寝た後もしばらくマガキ貝をつまみにオリオンビールを飲んでいた。初夏の沖縄の夜は心地よくいつまでも私を穏やかに包み込んでくれ、足元にはビーチで出会ったあの犬たちが寝そべっていた。


《宜野湾市 た32-34》

じいさんの呼び名について少し説明しよう。”塩じい”と言っているが、本当は苗字に「塩」がつく訳ではない。アル中で昼間から久米仙のアクエリアス割りを飲んでいるじいさんのろれつの回らぬ自己紹介を”塩川さん”とそら耳したのが発端で”塩じい”と呼び始めたのだが本当は砂川さんなのだ。ただ本人が”塩じい”を気に入ったのか訂正しないのでそのまま塩じいで定着してしまったといういい加減な話だ。

若い頃の塩じいは運送系の会社を経営していたが軌道に乗るまでは苦労も多かったようで、当時はラッタッター(ホンダのオートバイ)で必死に金を貯めていたらしい。その想い出が強かったのか部屋にはバイクのナンバープレートが飾ってあった。殺風景な家だがところどころ塩じいの人生を垣間見る事ができ客人としては飽きない。

泊めてもらえる事になったはいいが塩じいの家は昆虫パラダイスで、私の人生であまり出会った事のない虫たちが生き生きと暮らしている。普段なら抵抗があるが疲れとアルコール、そしてこの特別な境遇のおかげであまり気にせずいつの間にか眠ってしまった。

いくつかの関連のない夢を見たが最終的に私は煙の中にいた。元々夢の様な旅をしている私には夢と現実の判断に些か時間がかかったが息苦しさをもってそれが現実だと悟る。部屋中に充満する煙!何だこれは?!

その出元を確かめるべく家の奥に入っていくと、塩じいが台所で換気扇もつけずに豚肉を焼いているではないか!そう言えば昨日『三枚肉を焼いてあげるから』と言っていたな…  塩じいの焼いてくれた豚肉は概ね炭化していたが素材が美味であった事は何となく想像できる。

食べ終わった頃、屋外の暗さにに違和感を感じ時計に目をやると、なんと朝の4時ではないか… 私の人生で朝4時に豚肉を食べたのは後にも先にもあの一回だけだ。

意図せず早起きした私は別れを惜しむように塩じいとたくさんの話をした。時間の限られた自転車旅、すぐに別れの時はやってくる。出発する直前に私は厚かましいお願いをしてみた。じいさんとの想い出に何か欲しいと。するとじいさんは私に二つのものをくれると言い出した。一つ目はこの家と土地。ありがとう、塩じい。でも要らないよ。二つ目はじいさんが大切にしていたラッタッターのナンバープレートだ。「宜野湾市 た32-34」と書かれたそのナンバーは自転車旅の想い出に持ち帰るには丁度いいサイズかも知れない。

その後ヤンバルを走り出すと、なるほど、昨夕じいさんが私を制止した理由も分かるハードな道のりが続いた。それでも最後まで走り切った私は無事に東京-福岡&沖縄自転車旅を終え2週間以上ぶりに東京に帰った。

つづく…




◾️旅の鳴る木◾️

旅と日常のクロスオーバーをテーマにネットラヂオを制作中。100回以上の海外渡航、海外自転車旅、キャンプ、釣り… 様々な体験から得た自分なりの考え方を実生活に結びつけたい。20〜25分程度の短いラヂオです。ぜひ聴いてみて下さい。一緒に旅の続きを楽しみましょう!

ネットラヂオ『旅の鳴る木』
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『旅を教えてくれた沖縄の狂ったじいさん②』▼

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