見出し画像

「車でお遍路」第24番札所 最御崎寺(大師悟りの地、修行の道場はじまりの札所)

こんにちは、旅いこかです。

四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、24番目のお寺は、


室戸山むろとざん 明星院みょうじょういん 最御崎寺ほつみさきじ


23番札所の薬王寺から約78.5㎞、車で約100分の場所、

次に訪れた札所は、徳島県を離れ高知県の室戸岬にある。
徳島県ではじまった阿波霊場「発心の道場」の巡礼が終わり、次の土佐霊場「修行の道場」最初の札所「最御崎寺」へ。

最御崎寺への道のりは、薬王寺から海沿いの幹線道路で走りやすい国道55号線を約2時間弱の南国でのドライブ気分となる

車だと美しい海沿いのドライブだけど、歩きお遍路さんにとっては、80㎞弱延々と続く美しい海沿いの道程も、これまでの厳しい山岳霊場とは全く異なる「修行の道場」に入ったということなのでしょう。

では、大師悟りの地、そして修行の道場はじまりの札所「最御崎寺」へ参りましょう。

最御崎寺の境内

ご詠歌

明星の 出でぬる方の 東寺 暗き迷いは などかあらまじ

お参りする前に知っておいた方が良い知識

歴史

  • 大同2年(807年)、弘法大師が唐での修行を終えた翌年に、青年期に修行をして悟りを開いた地に再び訪れ嵯峨天皇の勅願により虚空蔵菩薩こくうぞうぼさつを彫ってご本尊として開基

  • その後、嵯峨天皇をはじめ歴代天皇の信仰も篤く、足利幕府の将軍や、戦国・江戸時代には武将や藩主などの寄進により隆盛を誇った

  • 慶応4年(1341年)、足利尊氏公によって土佐の安国寺となり繁栄

  • その後、火災により焼失

  • 元和年間(1615-1624年)、土佐藩主山内公の支援にて最勝上人が再興して七堂伽藍を有する

  • 明治初期神仏分離令により荒廃

  • 大正3年(1914年)、再建

  • 明治5年(1872年)、女人禁制を解禁


弘法大師伝説

  • 延暦11年(792年)、弘法大師が19歳で仏門に入り室戸岬を訪れ、暗い洞窟(御蔵人窟みくろど)で難行苦行である虚空蔵求聞持法こくうぞうぐもんじほうの修行をしていた際に空の明星が口に飛び込み成就したという

  • 洞窟で修行中、弘法大師の目前には「空と海」のみ、その情景が空海の名の由来という

  • この室戸岬には「空海の七不思議」という伝説(一夜建立の岩屋、捻れ岩、くわず芋、目洗いの池、行水の池、明星石、鐘石)がある


寺号の云われ

  • 寺号について
    室戸岬の最先端であるという意味
    「最御崎」火つ岬ほつみさきという意味があるという
    「火つ岬」とは、弘法大師が暗い洞窟で火を焚いて修行、海から見るとその火が灯された岬である灯台の役割を果たしていたことからその名がついたという

  • 山号と院号について
    室戸岬を訪れ、暗い洞窟(御蔵人窟みくろど)で修行中に、空の明星が口に飛び込み成就した」ということから「室戸山 明星院」と名がついたという


ご利益

  • 御本尊の虚空蔵菩薩
    ・・・記憶力を司る仏さまで丑・寅の守り本尊
    「福徳智慧」で学業成就の力、災難を除いて幸せになるとのご利益がある


御本尊・ご真言

御本尊:虚空蔵菩薩
ご真言:のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おんあり きゃりまり ぼり そわか


見どころ

  • 参道
    ・・・山門までの道程には亜熱帯植物、土佐にきたという南国気分

  • 山門(仁王門)
    ・・・表と裏に2体づつ、計4体の仁王像を安置する珍しい山門
    仁王像2体+巨大草鞋2対というのは珍しくないですが、、、

  • 本堂
    ・・・屋根が特徴的な本堂 御本尊に虚空蔵菩薩を祀る

  • 宝物館
    ・・・多数の寺宝を保管
    なかでも石造如意輪観音像、薬師如来像、月光菩薩像、は国指定の重要文化財

  • 御蔵人窟みくろど
    ・・・大師が悟りを開いた場所


おまけ情報

  • 通称「東寺ひがしでら
    室戸岬で東側の「最御崎寺」を「東寺」、西側の26番札所「金剛頂寺」を「西寺にしでら」という。

  • 室戸岬はV字型の岬なので、日の出と日の入りの両方を見ることができます。また、春分の日と秋分の日の前後には、「だるま太陽」という朝日や夕陽が8の字となる太陽を見ることがあるという。


写真


次は、第25番札所津照寺しんしょうじへ参ります。

2022年3月14日投稿
2022年9月16日改訂

合掌

この記事が参加している募集

私のイチオシ

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?