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「車でお遍路(キーワード)」 神仏習合、廃仏毀釈とは

こんにちは、旅いこかです。

四国八十八箇所巡りをしていると、たびたび耳や目にする言葉でお遍路さんにとって知っておくべき言葉や記憶に残しておかなければならない歴史があります。

それは神仏習合しんぶつしゅうごうの歴史廃仏毀釈はいぶつきしゃくです。

まずは、言葉の意味から述べてみます。


神仏習合しんぶつしゅうごう

神道しんとうは、古代日本に起源を遡る日本土着の神々への信仰で、経典や教えもなく開祖もいない。
神話や八百万の神や自然現象などにもとずく祖霊崇拝的な宗教との位置づけです。

自然と神とは一体として認識して祭祀は神と人間とを結ぶ具体的な作法であり聖域となる神社でのみ行われます。

対して

仏教は、もともと仏は異国から来た外来の神「蕃神となりのくにのかみ」として日本の神と同質と考えられてきた歴史があります。


神仏習合とは、神道と仏教は融合して独立性を保ちながら一つの信仰体系として捉えたものなのです。


廃仏毀釈はいぶつきしゃく

「仏教を廃し釈迦の教えを棄却する意」
明治政府の神道国教化政策に基づいて起こった仏教の排斥運動との解釈となっています。

具体的には、明治元年(1868年)、明治政府が天皇中心の国家を作るために神仏習合を禁じ神道と仏教の分離を目的とした太政官布告(通称:神仏分離令)であるが、一部の国学・水戸学による神仏習合への不信感や仏教を非難する勢力や解釈の違い等により結果的に仏堂・仏像・仏具・経巻(経典)等に対する破壊が各地で行われたのです。

明治政府は、「神仏分離が廃仏毀釈を意味するものではない」との注意を喚起したといいますが、廃仏毀釈と解されるようになったのは江戸幕府の仏教国教化権益、身分特権に安住した僧侶への反感、地方官が寺院財産の収公を狙ったこと、など当時の様々な社会的政治的背景が理由にあると考えられているという。

第12番札所焼山寺の境内にある神社


私が思うに

寺院の焼き討ちには有名な信長の延暦寺焼き討ち、お遍路では天正の兵火があります。

歴史を見ると、仏教に対しては、寺院や守るべき文化財などの心の拠り所を求めて集団化するその大きな力に為政者は恐れて敵対視。

神道については、経典や教えや開祖がいないが、仏教については当時の様々な社会的政治的背景が理由にあり、
明治政府の神仏分離令が、廃仏毀釈へと知識者や国民などの様々な不満が拡大解釈される要因で起きてしまったようです。

大切な文化財や思想については、戦中戦後の世界を歴史に学び、二度とこのようなことは起きて欲しくないと祈ります。


合掌

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