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「車でお遍路」第25番札所 津照寺(楫取地蔵伝説の札所)

こんにちは、旅いこかです。

四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、25番目のお寺は、


宝珠山ほうしゅざん 真言院しんごんいん 津照寺しんしょうじ


24番札所の最御崎寺から約6.5㎞、車で約15分の場所、

次に訪れた札所は、これまでとは全く趣が異なる徳島県室津港という小さな港町の高台にある。

海路の要所であった室津港、昔は海が急に荒れ狂っても遭難しないようお寺でひたすら安全祈願をしていたのでしょう。

通称「津寺つでら」と呼ばれ親しまれている津照寺。

昔の海運の困難さと大師伝説に想いを馳せ、境内から太平洋が一望できる港町のお寺は特別な感覚でお参り。

では、楫取地蔵伝説の札所「津照寺」へ参りましょう。

境内から太平洋を一望、室津港を見守るお寺だとわかる


ご詠歌

法の船 入るか出るか この津寺 迷うわが身を のせてたまえや


お参りする前に知っておいた方が良い知識

歴史

  • 大同2年(807年)、唐での修行を終えた弘法大師は、巡錫中にこの地を霊地だと感得、漁民の航海の安全と豊漁を願い延命地蔵菩薩像を彫ってご本尊として開基

  • その後、武将の長宗我部氏からの庇護、そして土佐藩主山内公は感謝(大師伝説参照)とともに祈願所とし寺の運営は藩営になるなどして繁栄

  • 明治時代初期には、神仏分離令により一時廃寺

  • 明治16年(1883年)、寺名復興が許され再興して現在に至る


楫取かじとり伝説

慶長7年(1602年)、土佐藩主山内一豊公が室津沖を航行中に暴風雨で遭難しかけたところ、どこからか僧侶が現れかじを取って室津港に避難することができた。

その僧侶はすぐに姿を消したが、山内一豊公はお礼を述べようと衣から滴り落ちた水の跡を追うと津寺の本堂に、そこで目にしたのは御本尊の地蔵菩薩が海水でびしょ濡れ。
楫を取って救ってくれたのは地蔵菩薩
だとわかった。

このことから、人々は御本尊の地蔵菩薩を「楫取地蔵かじとりじぞうと呼ぶようになり、海上安全の守護仏として船乗りから厚い信仰を受けるようになったという。

今昔物語には、「本堂が火災に遭った時、津寺の御本尊が僧に身を変え村人に知らせて難を逃れた」との記述がある。

土佐日記には、「紀貫之が土佐の国司の任期5年を終えて帰京する途中に海が荒れ、10日間室津港に留まったのち室津岬を越えることが出来た」との記述がある。

Wikipediaより


寺号の云われ

  • 山の形が地蔵菩薩の持つ宝珠に似ていることから霊地であると感得、山号は宝珠山。
    また、高台から室津港を照らすように見守っている(鐘楼門は「仏の灯台」とも呼ばれています)ことから、津を照らして見守るお寺、津照寺としたという。


ご利益

  • 御本尊の地蔵菩薩
    ・・・すべての生命を育む大地を司る菩薩で、現世と来世に幸福をもたらす善男善女のための28種のご利益と天龍鬼神のための7種のご利益があると言われる。

    子供を守ることで知られているが、他には例えば、苦悩からの救済、無病息災、交通安全、五穀豊穣、安産、水子供養、子授け、などさまざまなご利益がある。

  • 特に津照寺の地蔵菩薩は、海上安全豊漁、にご利益。


御本尊・ご真言

御本尊:楫取延命地蔵菩薩
ご真言:おん かかかび さんまえい そわか


見どころ

  • 鐘楼門
    ・・・本堂へ向かう急な石段125段の途中にある中国風の鐘楼門  「仏の灯台」と呼ばれている

  • 本堂
    ・・・鉄筋コンクリート造りで、標高34.5mの頂上と高台で風が強いためか、香炉や蝋燭台は御堂の中  延命地蔵菩薩(秘仏)を祀る

  • 一木神社
    ・・・室津港改修難航工事に命を捧げた一木権兵衛を祀る


おまけ情報

  • 津照寺は室戸三山のひとつ(第24番札所最御崎寺(東寺)、第25番札所津照寺、第26番札所金剛頂寺(西寺))


写真


次は、第26番札所金剛頂寺こんごうちょうじへ参ります。

2022年3月15日投稿
2022年9月17日改訂

合掌

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