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「車でお遍路」第26番札所 金剛頂寺(大師伝説から魔物退治に苦労したことを偲ばせる札所)

こんにちは、旅いこかです。

四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、26番目のお寺は、


龍頭山りゅうとうざん 光明院こうみょういん 金剛頂寺こんごうちょうじ


25番札所の津照寺から約5.0㎞、車で約15分の場所、

次に訪れた札所は、徳島県を離れ高知県室戸岬の室戸三山の一寺院西寺にしでらこと金剛頂寺。

室戸岬のほぼ先端の最御崎寺から西へ約30分、土佐湾に小さく突き出た行当岬ぎょうとうみさきの高台に金剛頂寺はある。

ここでも厄坂(男坂・女坂)の石段を上り山門へ。

では、大師伝説の多い札所「金剛頂寺」へ参りましょう。

威風堂々とした荘厳な本堂


ご詠歌

往生に 望みをかくる 極楽は 月のかたむく 西寺の空


お参りする前に知っておいた方が良い知識

歴史

  • 大同2年(807年)、唐での修行を終えた弘法大師は、平城天皇の勅願で薬師如来像やくしにょらいぞうを彫ってご本尊として女人禁制の「金剛定寺」開基

  • 嵯峨天皇(在位:809-823年)が、「金剛頂寺」の扁額を奉納し寺号を改称、淳和天皇(823-833年)も勅願所とし住職は第10世まで勅命、16世まで全盛を誇った

  • 文明11年(1479年)、火災により堂宇を焼失するが直ぐに再興

  • 戦国時代天正の兵火で多くの寺院に攻め入った土佐出身の武将・長宗我部元親(1539-1599年)が寺領を寄進

  • 最盛期には七堂伽藍を有し、室戸市一帯が寺領であったという

  • 江戸時代(1603-1868年)、土佐藩主の祈願所として諸堂が整備

  • 明治32年(1899年)、火災により大師堂・護摩堂を除き焼失


大師伝説

大師がご本尊の薬師如来像を彫り完成させたとき、その薬師如来は自らの手で堂の扉を開けて厨子に鎮座したという

「天狗問答」伝説
大師がこの地で修行をしていた時、天狗が人々に悪事を働いていたので問答して降伏させ蹉蛇岬さだみさき(足摺岬)に追い払い結界を設けて室戸に来れないようにしたという

その理由から、大師堂は
足摺岬がある西の方向に向けて建っており、本堂に背を向けて建つのは珍しい

「金剛定額」伝説
大師が楠の洞穴に自身の絵を描くと魔物が寄り付かなくなったという

「室戸伏龍」伝説
大師が修行中に海から毎晩毒龍が邪魔しに来たため、加持祈祷によって退散させたという

一粒万倍の釜いちりゅうまんばいのかま」伝説
大師が三合三勺のお米を炊いたら万倍に増え人々を飢えから救ったという


寺号について


ご利益

  • 御本尊の薬師如来
    ・・・大医王仏だいいおうぶつ医王如来いおうにょらいとも呼ばれ、十二誓願じゅうにせいがん現世利益げんせいりえきの仏さま(病気平癒、他)

  • 「癌封じの椿」というご霊木
    ・・・癌封じ、癌を封じて健康を取り戻す


御本尊・ご真言

御本尊:薬師如来
ご真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか


見どころ

  • 本堂
    ・・・御本尊の薬師如来を祀る 大晦日から1月8日まで御開帳 

  • 大師堂
    ・・・寛文5年(1665年)再建、京都神護寺に祀る板彫弘法大師像(重要文化財)は大師作金剛頂寺大師像を模して彫られたという
    また、裏側には3つの伝説を描いた銅製のレリーフがある

  • 霊宝殿
    ・・・正倉院様式、大師が巡錫に持ち歩いたという日本に唯一の金銅旅壇具こんどうたびだんぐほか重要文化財を多数収蔵


おまけ情報

  • 通称「西寺にしでら」「クジラ寺」
    室戸岬で東側の「最御崎寺」を「東寺ひがしでら」、西側行当岬の「金剛頂寺」を「西寺にしでら」という。
    境内に鯨の供養塔があることからクジラ寺とも呼ばれる。

  • 魔物を退散させるために山門に大草履や3つの大師伝説があることから、このお寺は以前魔物が住んでいて魔物退治に苦労したことが伺えます。

  • かつては女人禁制のお寺であったことから、約4㎞先に女人堂(新村不動堂、女性はこのお堂に籠り遥拝する)がある。

  • 行当岬は、かつては「硯ヶ浦すずりがうら」と呼ばれる硯の産地。


写真


次は、第27番札所神峯寺こうのみねじへ参ります。

2022年3月16日投稿
2022年9月17日改訂


合掌

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